最近、ちょっと近場を歩きたいがこれといった行き先が思い当たらない場合にいいと思っているのが、郷土博物館(個々の名称は色々)。
訪問先について自治体規模の地理歴史を学べ、訪問先周辺の基礎知識を得るのに丁度いい。
館内でずっと立ちづくめというのが難点だが、雨天でもマイペースで見学でき、しかも料金は安い(無料のところもある)。
郷土博物館が行き先となるので、まずは東京の近場から固めたいが、地元文京区を含め、隣接する区の北区・台東区・荒川区は訪問済み(他に中野区、杉並区、江東区、足立区も)。
南に隣接する千代田区は、東京の筆頭の区なのに、郷土博物館が無い!
北西隣の豊島区と南西隣の新宿区にはちゃんとあり、千代田区のさらに南の港区にもある。
そこで都心部の山手線内(江戸府内)からということで、豊島・新宿・港の3区の郷土博物館を、土曜の本日、一気に”はしご”する(池袋(豊島)・新宿とくれば、3つ目は渋谷になり、しかも渋谷区の郷土博物館は山手線内にあるのだが、今回は渋谷区より港区を優先する)。
山手線内を”はしご”するなら、その内側を縦横に走っている東京メトロの24時間券が便利(自販機で購入できる)。
購入から24時間(日をまたいでよい)以内なら、600円でメトロ管内が自由に乗り降りできる。
メトロに乗る区間は大抵200円だから、3回以上乗れば元が取れる。
まず(1回目)は南北線から有楽町線に乗り換えて池袋に行く(丸の内線乗り換えの方が池袋には近いが、出口が博物館から遠い)。
豊島区を最初にしたのは、池袋なら昼食を摂りやすいから(他の2つは繁華街でない)。
といっても食べる店の多くは開くのが11時から。
それより早いと、チェーン店ばかりとなり、それではつまらない。
11時になるまで少し待って、地元の中華店で私定番の「五目焼きそば」を食べる(650円と安め)。
豊島区は郷土資料館で、”資料館”と名のつくのは建物的に独立した建物である”博物館”よりランクが落ちて、ビルの1フロアを意味する(文京区・荒川区も同じ)。
その代わり入場無料。
展示は豊島区の地層から始まり、区内で確認された地層(関東ローム層)が再現されている。
驚いたことに、姶良カルデラなどの南九州からの噴石物の層が複数ある。
それと旧石器時代の出土品もあり、府中に負けていない。
縄文時代は、我が家近くの豊島区駒込にも縄文遺跡があり、台地上よりはむしろ豊島区のような台地末端部の方が海に近くて生活しやすかったろう。
ところが、古代・中世になると、とんと情報がなくなり、太田道灌が戦さに走り回った程度。
そして江戸時代になると、町屋と武家屋敷が広がって途端に賑やかになる。
とりわけ染井を中心とした巣鴨・駒込両村は植木・園芸の一大中心地となり、他国からも見物客がくるほど。
職人の技術も高く、この地からソメイヨシノが生まれた。
そして今でもJR駒込駅はツツジの名所(ツツジはこの地の名物だった)。
かくも、この地は、植物とりわけ花を愛でる人の心が開花した所。
一方、豊島区西部の長崎には、戦前にアトリエ村ができて若い芸術家が集まったという(その模型がある)。
戦後の「トキワ荘」もその名残かもしれない。
以上、ワンフロアなので面積的には小さいが、近所ということもあり、歴史散歩と民話の本を買った。
ここから(2つ目は)副都心線・丸の内線と乗り継いで四谷三丁目で降り、新宿区の歴史博物館に行く。
ここは立派な単独の建物で(写真)、庭もある。
それだけに入館料を払い、荷物をロッカーに入れる。
まず地層は豊島区よりは粗い再現。
その代わり、旧跡時代のナウマン象の骨、縄文は草創期の土器が区内に出土している。
これが新宿区のアドバンテージ。
ただ、古代・中世は板碑程度しかなく、近世に入って甲州街道の内藤新宿ができてやっと賑わいだすものの、まだ江戸府内からの”郊外”扱いだった。
新宿が東京の中心部に入るのは明治以降で、坪内逍遥以降、多くの文学者が好んでこの地に住み着いた。
中でも新宿生まれ、新宿育ちで、新宿で死んだ夏目漱石は、新宿区第一の歴史的著名人。
そして展示は、戦後の闇市から、酒場としての新宿、すなわち東京を代表する酒場文化の街(私も若い時にその一端に触れたことがある)という顔で終わる。
かくして、新宿の繁栄は、ついに都庁をも引き寄せて現在進行形なのだ。
さすが新宿区、豊島区との差を見せつけられた。
受付で、区の地域ごとの観光地図(無料)をもらう。
3つ目は四谷三丁目の駅から四谷で南北線に乗り換え白金台で降りる。
地上に上がると目の前に文化財的価値のありそうな戦前のビルがあり、なんとそこが港区の郷土歴史館。
入館時は3時になっていたので、よくある4時に閉館だと時間が足りるか心配したのだが、なんと土曜は8時までという。
建物自体が歴史の証人の価値を持っている。
入館料300円を払い、まずは中央ホール(写真)に見入る(映画のロケに使えそう)。
常設展は上階の小さな部屋ごとに分けられている。
常設展は東京湾の説明から始まる。
港区のアイデンティティは、まさに港、具体的には金杉浦・本芝浦(芝浜)の漁港にあった。
その近くに貝塚を含んだ遺跡があり、縄文時代から弥生時代さらには江戸時代までの住居跡が重なっている。
多くの川が入り込む東京湾は、栄養豊かで浅瀬のため、大昔から漁労に適していた。
きっと多摩の台地上の縄文人より食生活は豊かだったに違いない。
ただ港区も古代・中世は情報がなく、徳川家康の入府後、増上寺や武家屋敷ができて賑やかになる。
幕末維新になるとまず福沢諭吉が慶應義塾を作り、明治になって新橋に鉄道の駅が出来、東京芝浦電気(東芝)や日本電気(NEC)、森永製菓が港区に誕生した。
この博物館になった建物は、旧公衆衛生院で。昭和13年の建築(写真)。
展示室になっているのは元研究室や教室だった所(大きな講堂はそのまま残っている)。
建物は古いが、展示の解説・補足説明などはタッチパネルの液晶画面を多用していて、設備は立派。
ミュージアムショップでは、オリジナルグッズや菓子があり、博物館紀要の他に『港区の歴史』というシリーズ本が分冊になって一冊3000円で売っている(全巻揃えると万を越す)。
私はそこまでして港区に詳しくなる気はないので、買うのを諦めたが、図書館にあればぜひ読みたい。
すなわち私の期待水準を超えた品揃えなのだ。
これで帰る(やはり時間的にも体力的にも3ヶ所が限度)。
4つ目の帰途は途中で千代田線に乗り換えて、立ち寄る所がある西日暮里まで乗った(正規運賃は250円)。
以上、3つの区の郷土博物館をまわったが、設備・内容の充実度は、まわった逆順だった。
とにかく港区はすごい(建物も、内容も、サービスも)。
実は”都心3区”の残りの千代田区と中央区は、民間の博物館に任せて区立の博物館を設けていない。
その点、港区は民間の博物館もたくさん持ちながら、自前の立派な博物館を運営している姿勢は素晴らしい。
ただ、豊島区にはソメイヨシノ、新宿区は夏目漱石という全国レベルの郷土自慢があるが、港区には何があるだろう(いや、”東京都港区”であること、それが自慢になろう)。