私の「心の多重過程モデル」における、心を構成するサブ(低次)システム(システム0〜4)は、それぞれが固有の目的をもっている。
すなわち、
システム0:生体の恒常性維持。生物に共通。
システム1:眼前の環境への適応。動物で発達。
システム2:自我の発動と眼前を超越した思考。ここまでは人間なら日常的に作動。
システム3:自我の束縛からの離脱。ここから先は特化した訓練(体験)が必要。
システム4:個我・個体の超越。
以上の一連の流れは、身体を基盤にして、身体の超越に向かっている。
すなわちこのモデルにおいては、心身一元論と心身二元論が並立している
(心身二元論を肯定するか否定するかという高次の二元論を否定)。
心システムのこのような一連の多重化は、下位(数値が低い)のシステムでは対応しきれない状態へのより良い対応として上位システムの創発という、心という高次レベルでの調整作用による(生物進化の1つの側面といえる)。
ただし、システム2で生きることをやめてシステム3で生きよというような、下位システムから上位システムへの移行を目指すのではない(オカルト的意識進化論とここが異なる)。
下位システムを十全に作動させたまま、下位システムに上位システムを追加(上乗せ)するのである。
たとえば、システム3の作動を目指して瞑想に従事しても、日常生活をこなすためのシステム1・2の性能向上もおそろかにしない。
なので、システム3・4の超越的境地に達するために、たとえばシステム0(身体性)をないがしろにはせず、身体の健康の維持・増進はそのまま追求する。
むしろ、それぞれのサブシステムの能力向上を目指すことで、サブシステム間の相互作用(相乗効果)※を強化して、トータルとしての”心をバランスよく高度にする。
※:サブシステム間の相互作用は、直接の上位・下位間に限定されない。すなわちシステム0はシステム1とのみ関係するのではなく、システム2以上とも直接関係できる。なのでこれらサブシステム間は”多層”構造ではなく”多重”関係にある。
その適したサンプルが、気の理論を元にした、鍼灸・漢方・気功を使った練功といえる。
すなわちシステム0からシステム4までをトータルにバランス良く作動させる。
ヨーガもそのような可能性がありそうだが、私はヨーガをやっていないのでよく知らない。
ただし眉間のパワーポイント(MSのアプリ名ではない)については、”印堂”というツボより、”アージナー・チャクラ”としてその開発を目指している(私にとって、一番反応しているチャクラ)。
システム3の作動は瞑想(システム2の停止)が一番だが、システム4はシステム0やシステム2(思い込み)と連動させた練功やヨーガが適している(システム4では、システム3が一旦否定したシステム2の力を利用する。このモデルでは肯定/否定の二元論は論理の多重化によって克服される)。
残念ながら仏教はこのような身体技法のシステマティックな開発に乏しく、
一部は(釈尊が否定した)苦行※に走ったりしている。
※:自己否定が強ければそれだけ自己超越できる、という論理はわからなでもないが、単なる”論理”にすぎない。実際の忘我状態は、システム1などの下位レベルへの退行をもたらす。