今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

縁切榎・お岩墓・とげぬき地蔵

2024年05月12日 | 東京周辺

昨日の背中の痛みがすっかり癒えた本日日曜。
予定していた山の代わりに近所の散策に出かける。
お寺で御影を買う可能性もあるので、A4クリアファイルが入る昨日のリュックを背負って。

思いついた行先は、板橋の「縁切榎」(えんきりえのき)

別に縁切りの願掛けをしたいからでなく、こういう呪詛のような負の願掛けの名所も訪れてみたい。

場所は旧中山道の板橋宿にあり、都営地下鉄三田線の駅から近い。

どうせなら板橋宿の町中華で昼食をとろうと、三田線の「板橋区役所」で降り、
国道17号(現中山道)から東の細い道を通って旧中山道の仲宿の商店街に出る。
仲宿は日本橋から最初の宿場である板橋宿の中央の町で、今でも商店街で人通りが多い。
”旧街道を歩く”という趣味もじわじわ湧き起りつつある自分にとって、
こういう今でも賑やかな宿場町は楽しい。

さて、私が目をつけていた町中華は2軒とも、”日曜のランチを地元商店街の町中華で”という人たちの行列ができていた。
確かに閑散とした店は避けたほうがいいと思うが、行列に加わる気もしないので、
ある程度客が入ってしかも空席のあるチェーン店風の店に入り、
予定通り「五目かた焼きそば」を注文(可もなく不可もない結果だった)。

仲宿を北に進むとやがて石神井川に掛かる「板橋」を渡る。
そう、ここが板橋宿そして板橋区の地名の元。
昔は板製の橋だったわけだが、昭和になって車も通すため、コンクリの橋に変わった。
ただ雰囲気を残すため、色で板を演出している。

そこすぎて上宿のゆるい坂を上ると右手に縁切榎が見えてきた。
主役は榎なのだが、神社の境内のようになっていて、榎の前に立派な祠があり、その右側に、縁切りの願掛け用の絵馬が自販機で売られていて、その奥に絵馬に願掛けを記入する台がある(写真:下記の2人の背中が映っている)。
20代の女性が2人、それぞれ絵馬に記入中。
絵馬は願掛け記入部分をシールで貼って隠し、祠の左側の絵馬を掛けるスペースに、絵馬の側面を正面にして(普通の絵馬掛けと90°直角に)並べて掛ける。
その結果、膨大な数の縁切願掛けの絵馬が整然と並ぶ。
その風景を撮影したかったのだが、先の20代女性2人が絵馬を掛けるまで待っていると、
次に40代の女性が一人で来て絵馬を買って願掛けを記入し始める。
かように、次々と縁切りの願掛けの参拝者がやってくる。
ネットの口コミでも、現在もなお縁切りのパワーが落ちていないようだ。
そう、切るべき縁はスパッと切った方がいいが、
自力で切れない場合は、こうして大きな力に頼るしかない。
西新宿で殺された女性もここに願掛けしていれば…。

こういう怨念が溜まった場所には長居したくない。
それを祓う意味で、国道17号(現・中山道)を渡って、浄土宗・智清寺(江戸時代の童女の墓が3基ある)、
そして本日訪れるにぴったりの真言宗・日曜寺(本堂の愛染明王を拝める)を参拝。

最寄りの「板橋本町」駅から三田線に乗って往路を戻り、豊島区の「西巣鴨」で降りる。
ここから国道17号を渡って寺町に入り、日蓮宗・妙行寺に行く。
ここはあの四谷怪談の”お岩さん”の墓がある所。

境内に入ってすぐの所に明治年間に建てられた「四谷怪談お岩様の墓」という大きな石柱がある。
さらに進むと、日蓮宗寺院に特有の水をかける浄行菩薩の石像があり、なかなかの美仏(写真)。

庫裡の入り口に境内の案内図があり、「お岩様の墓」の場所が示されている。
それに従って本堂左手奥の墓地に進み、正面に鳥居があるところに「お岩様の墓」の位置と説明がある。
その説明によると、「お岩」という実在の女性は、夫(入婿)伊右衛門と折り合いが悪く、病身となって亡くなって以来、その家では色々な禍いが続いたため、菩提寺であったこの妙行寺の日達上人の法華経の功徳で悪縁が取り除かれたという。
この実話を下地に戯作者・鶴屋南北が「東海道四谷怪談」という怪談を創作したようだ。
この寺も当時は四谷にあったが明治になって当地に移転したという
※:お岩さんが住んでいた四谷は甲州街道沿いで、今の墓は中山道沿い。”東海道”とは縁がない。

そして今ではお岩様の墓に塔婆を捧げると願い事が叶うという
(すなわちお岩さんは成仏しており、祟る死霊ではない)。

上に記されてはいないが、四谷怪談でお岩を演じる際は、役者は必ずここに参拝する。
実際、墓の三方にずらりと居並んだ塔婆の中に、歌舞伎役者の名が散見する。
お岩さんの立派な層塔の墓を参拝(写真:周囲の塔婆の数がすごい)。
私は墓前で「南無妙法蓮華経」と10遍唱えた。

ここから、「お岩通り」を通って、国道17号を渡り返せば巣鴨のとげぬき地蔵に近い。

とげぬき地蔵高岩寺という曹洞宗の寺である。

只管打坐(ひたすら坐禅)が教えの曹洞宗は、本来なら霊験あらたかを謳わないはずだが、
ここの地蔵菩薩の霊験が江戸時代から評判で、しかもそれが現代にまで続いていて、
今では、本堂外にある「洗い観音」に自分の悪い身体部位をタワシ洗う人達の行列が絶えない(観光バスまで来る)。
本堂に参拝したら、ちょうど祈祷が始まるところで、曹洞宗の儀式は滅多に同席できないこともあって、
太鼓のリズムに合わせて般若心経をテンポよく一緒に唱えた。
真言宗のように護摩こそ焚かないものの、信徒の祈願成就を唱えるのは在家対象(衆生の与楽抜苦)の大乗仏教としては致し方ないか。
曹洞宗なら、本当は坐禅瞑想をすることで我欲への執着心から距離をとれる境地(システム3)に導いてほしいのだが。

そういば昨晩、身近にある地蔵菩薩をきちんと参拝する気になっていたのを思い出し、
本日の予定になく、たまたま訪れた高岩寺で地蔵菩薩の祈祷も同席でき、さらに本尊の御影の掛け軸が1000円だったので迷わず購入。
地蔵通り入り口にある眞性寺(江戸六地蔵の1つ)の大きな笠地蔵も参拝し、徒歩で帰宅した。


今まで訪れたスピリチュアル・スポット

2024年05月12日 | パワー・スピリチュアル

私が今まで訪れた場所で、強力な霊気を感じたり、計器が異常反応した所、すなわち心霊(浮遊霊)スポット+神霊(神格化した霊)スポット=スピリチュアル・スポットを紹介する。
※:何らかのパワー(力)が計測される”パワースポット”とは定義が異なる。


①東京大手町の将門首塚記事(訪問時の元記事、以下同)
ここはスピリチュアル・スポットとして既に有名だが、その客観的根拠を探りに行った。
その結果、地磁気(直流磁気)の計測によって、客観的な磁気異常を確認した。
まず首塚のある敷地内に入ると地磁気が減少し、首塚に近くにつれ、その減少度が増す。
塚の周囲を巡ると、塚の内部が磁気減衰の中心であることがわかる。
塚の中に強力な反磁性体が埋もれているかのようだ。
年をおいて複数回計測して同じ状態だったので偶然ではない。
そして、このような反応傾向の場所は、他にはない。


②埼玉狭山丘陵のトトロの森1号地付近記事
トトロの森1号地近くのある草むらに近づいたら、首から下げていた”ばけたん”が暴走反応を示し、制御不能になった。
※:固有のアルゴリズムによるお化け探知器。私は初代器から使っていて、霊感の師匠的存在。
いつもはばけたんは自動的に霊を探知していて、探知したのが心霊だと赤く、神霊だと青く光り、あえてその場を探知したい場合は探知ボタンを押すのだが(「何もいない」と緑に光る)、ここに近づくにつれ、赤と緑が交互に点滅し、それが止まらなくなった(こんな反応パターンは正常ではありえない)。
その後、電池切れになったらしく、反応が止まった。
帰宅して外電池を入れるとまたあの点滅になった。
あの場所で、回路が故障したようだ。

実は、ばけたんが暴走した草むらは、1週間前にキャミソールをつけた白骨遺体が発見された場所。
もちろん遺体の痕跡はなかったが、目に見えない何かがその場所に残っていたのかも。
ばけたんは霊の探知だけでなく、防御のバリアを張ることもできる。
ばけたんは身を賭して防御してくれたのか。


③群馬高崎の田村堂記事
ここは幕末の下仁田戦争で水戸の天狗党と戦って死んだ高崎藩士31名と民間人5名の全員が、当時の衣装をまとった木像として作られて祀られているお堂。
その姿が珍しいので、堂内の木像にデジタルカメラを向けて、電源スイッチを入れたら、カメラの動きが途中で止まって撮影不能になってしまった。
急いで堂から出て、外でカメラの電池を入れ直すと、今度は無事にスイッチが作動した。
これは「撮ってくれるな」という彼らの霊からのメッセージだと思い、もちろん堂内でカメラを向けることは止め、改めて合掌して死者たちの冥福を祈った。

このようにデジタル機器が反応することはよくあることで、それを利用した霊探知器もある。


④千葉成田東勝寺の霊宝殿
江戸時代の義民・佐倉宗吾の墓のある東勝寺境内にある宗吾の遺品などを展示する建物。
館内に入ると”ばけたん”がにわかに青く光った。
館名はともかく、展示館の中で光ったことに驚いたが、後ろを振り返ると、そこには宗吾と連座した子どもたちの位牌が祀られていた。
彼らの死を悼む後世の人たちの祈りで霊が浄化されたのだ。