しつこくで恐縮だが、読破した『大菩薩峠』を紙の本で所有していたら、1冊の厚さ1cmと少なめに見積もっても全巻41cmの分量になる。
小説は大作ほど二度とは読まないので、揃えて所有することに意味がない。
なので無料の青空文庫の電子書籍だから読破する気になれた次第。
こういう大全集を実際に持っているかというと、例えば雄山閣の『新編武蔵風土記稿』は索引冊含めて箱入り全13巻でこれも厚さ40cm近い。
ただこちらの本は旧武蔵国内の訪れた寺社の歴史を知る上でよく参照するので、持っていて損はない。
専門の心理学に関する本では、人文書院の『フロイト著作集』もほぼ全巻持っているが、重要なもの以外は読んでいない。
学術書の全集は、頭脳で格闘する必要があるので小説と違って暇つぶしで読み通すことはできない。
その著者自身を研究対象とするのでない限り、どうしても上のような状態になる。
なので『ハイデッガー全集』などは図書館に通って読もうとも思わない。
ちなみにコミック(漫画)は、繰り返し読めるので全巻揃えて損はない。
理由は、マクルーハンの表現で情報が”ホット”(高精細)であるため、一回の読書で全ての情報を認識できないためだ(読むたびに発見がある)。
といっても一般的に巻数が多いので、特に『ゴルゴ13』や『こち亀』を揃える気はしないし、コミックこそ電子書籍の方が読みやすい(持ち歩きもしやすい)。
それに今年は国会図書館でコミックを閲覧する機会を得て、これは今後も続けたい。
コミック以上に揃える価値があるのは音楽家の全集CDだ。
音楽こそ幾度も繰り返し聴けるので全く無駄にならない。
私は、『モーツァルト全集』CD170枚のボックス、『バッハ全集』もCD170枚のボックスを持っている(ともにドイツ製)。
この二つの全集を聴き通すだけで膨大な時間を要し、実際に自宅で聴くのはこの二人の全集ばかりとなっている。
むしろ、残りの人生も、この二人の全集を繰り返し聴くことで足りそうに思っている。
実際、『モーツァルト全集』はすでに聴き通し2巡目を終え、3巡目に入っている。
ただ少年時代のオペラ群(「イドメネオ」以前)は、音楽がたいして劇的でなく、素のセリフが多いので、セリフの内容がわからないと辛い。
一方『バッハ全集』は、170枚のうち70枚以上が同工異曲のカンタータなので、2巡目以降はカンタータ以外(「コーヒーカンタータ」を除く)の主に器楽曲を中心に聞いている(もちろん「マタイ受難曲」も含む)。
追記:記事のアップ後、思い出したことには、かつてアメリカテレビドラマのDVDにハマって連続して箱買いしていた(『ER』『Frends』)。
レンタルで借りる時間のズレさえ我慢できなかったため。
考えてみれば散財的にはこのDVD全集が一番大きい。
これは一種の熱病症状で、今は発症しない。