秋の彼岸中日の翌日である今日、東京も愛知も露点温度が20℃を大きく下回った。
これは気象予報士たる私の基準で”秋の空気”になったことを意味する。
実に「暑さ寒さも彼岸まで」という天気俚言の信ぴょう性は揺るぎない。
ということは、外を歩いても暑さに苦しむことはない。
9月の3連休最後の日にして実質的な”秋の初日”の今日、満を持して歩きに出かけたい。
行き先は、岩槻(さいたま市)の慈恩寺(天台宗)。
実はこの寺のことは知らなくて、地下鉄南北線の車内広告で見つけたもの。
それによると慈恩寺で本尊開帳をやっており、なんと今日が最終日(それまでは暑くて行く気がしなかった)。
私の寺巡りは”秘仏開帳”が重要な選択基準となっているので、これを見逃せない。
アクセスを確認すると、慈恩寺は岩槻を通る東武野田線の駅から2km離れており、しかも路線バスがない(平日のみコミュニティバスがある)。
だが空気は秋なので、往復4km歩いても問題なかろう。
ハイキングだと思えば4kmは短い。
というわけで、岩槻の1つ先の最寄駅、東岩槻駅に降り立った。
ここからGoogleマップの徒歩用ナビで最短路を選んでもらい、それに従って進む。
Googleのナビは、車だと恐ろしい隘路を案内されたりするが、徒歩だとそれがよく、車が通れない細い路も選んでくれる。
のどかな田園風景の中を歩く。
寺に達する手前に、寺が建てた玄奘三蔵の分骨を納めた霊骨塔があるので立ち寄る。
戦時中に中国から分骨されたという。
入り口は中国式寺院の山門で、層塔の霊骨塔の前には、三蔵法師の天竺求法姿の像がある(写真)。
敷地隣の和風の民家はピザ店になっている。
また塔の背後をまわると、何やら由来ある地蔵像があった。
ここから慈恩寺に行くには、Googleマップでは途切れてる道(当然ナビで案内されない)が国土地理院の地図(一番正確)では近道として通れる(ただし人のみ)のがわかる。
すなわち、Googleマップの徒歩ナビは完璧ではないのだ(ただし地理院のマップアプリはナビをしてくれない)。
開けた境内の慈恩寺に達する。
改めて慈恩寺を説明すると、開山(824年)は慈覚大師(円仁)で、大師が学んだ唐・長安の大慈恩寺に因んでるという。
大慈恩寺こそ、玄奘三蔵がインドより持ち帰った経典の訳出作業をした寺である。
そして今年は開山1200年記念ということで、本尊とその眷属・二十八部衆の特別展示が開催されたというわけ。
本堂内に靴を脱いで入ると(堂内は撮影禁止)、
目の前に等身大よりやや小さい二十八部衆が居並ぶ。
いずれも江戸時代後期の作で、造形は整っているが顔・肌が一様に黒く塗られ、衣装の彩色はごく新しそう。
今まで、二十八部衆といっても奈良興福寺のそれが有名なこともあって阿修羅と迦楼羅くらいしか着目しなかったが、ここでは配布パンフに28体の説明が載っているので全員を丁寧に見てまわる。
それによると梵天・帝釈天のバラモン教最高神の二天、阿・吽の仁王二体、四天王らも混じっており、結構有名な天部たちが揃っている。
中でも朗報は、私が大好きな吉祥天が「大弁功徳天」として加わっていたこと。
ここで吉祥天にお目にかかれるとは思ってもみなかった。
吉祥天の母である鬼子母神(訶梨帝母)も「魔和羅女」として加わっており、夫の毘沙門天(多聞天)もいるのでファミリーで加わっていることになる。
これら二十八部衆は本尊千手観音の眷属という位置づけなので、まずは中央奥に開帳されている本尊千手観音(天海が叡山よりもって来たという)を拝み、
本尊の左右に配置されている毘沙門天と不動明王も拝む。
そして、目の前の大弁功徳天すなわち吉祥天に向かってその印を組んで真言を唱えて拝む。
大弁功徳天は髪も顔も真っ黒だが、他の威嚇的な像と違って、優しい顔立ちが美しく仕上がっている(右写真は絵ハガキより)。
この像、吉祥天としてみると右手に剣を持っているのが珍しい(普通は手を下げた与願印)。
私の美仏リストに加えたいが、撮影禁止でしかも普段は見れないらしい。
本堂下の寺務所に行くと、二十八部衆の個別の絵ハガキが売られていた。
本来なら本尊の御影を買いたいところだが、それがないので(あっても)、「大弁功徳天」の絵ハガキを買った(100円)。
これで満足
吉祥天が単独で祀られている所は少ないため、今後は二十八部衆を探すことにしよう。
駅までの復路は、往路とは別ルートを選び、近くの常源寺(曹洞宗、本堂前に木造仁王が立ちはだかっているのが面白い)、東西寺(天台宗、秩父の山がよく見える。天神と庚申の石塔がある)に立ち寄った。
そして自宅での夜は、10歳になる姪とその父=弟の誕生会(私が買って帰った松坂肉を皆で賞味)。