那須岳での高校生たちの雪崩遭難は、教員引率の安全講習中という、
高校生たちにとっては自分の意思で行動をコントロールできない状況であっただけに、
なおさら可哀想だ。
私が高校(都立)の時(ワンゲル部員だった)は冬山は禁止だった。
でも、それだけにかえって冬山に対する憧れが強く、
本格装備が必要ないギリギリの雪山には自分たちだけで行った。
そして、そこで雪崩の跡に出くわした。
この”春山”安全登山講習会は半世紀も同じことをやってきて、今回が初めての事故だという。
かように、自然災害というのは、経験則が効かない。
言い換えれば、自然に対して、毎年無事なのだから今年も大丈夫という”経験則”に陥ることは、
とっても危険な思考である(さらに以前の「玄倉川水難事故」もこの思考が原因)。
ヒマラヤ経験者であっても、日本の山で遭難死した人は多い。
自然を相手にしている行為には、過去の経験よりも、この先の予測力が大事。
今朝の積雪は、例年にない量だったという。
この事実こそ、経験則を無効にするに充分と心得てほしかった。
雪崩は山腹の斜面で起きる。
だから雪崩の危険がある時(「雪崩注意報」という情報の有無にかかわらず、
雪崩には細心の注意を払うのが雪山では当たり前)、 山腹の斜面を避けるのが鉄則。
すなわち雪崩の発生源(斜面)より常に高い稜線を歩く。
今回の事故現場は、細かい地形は不詳だが、麓から稜線に達する斜面といってもいい
(さらにその谷部だった可能性が高く、それなら雪崩が集まる最悪のルート)。
雪崩はその斜面の上からやってきたようだ。
だから、縦列で登っていた先頭部がやられた。
深い新雪のラッセル中なので、とてもじゃないが逃げられないから。
結果論だが(自然災害はどうしてもそうなる。他山の石とするしかない)、
思いがけない新雪のため、登頂予定を変更し、ラッセル訓練にしたのは、
雪山の講習としては、それなりに合理的な判断といえる。
問題はルートだ。
本日の”例年にない”降雪直後なら、
新雪雪崩は予想の内に入れておかなくてはならない(過去経験に頼ってはならない)。
ということは、上部に積雪のある斜面は絶対に避け、ちゃんとした稜線にすべき。
近くにそれがなかったら、広い雪原か、そもれなかったらあきらめる。
雪山における雪崩は、鉄砲水と同じで、絶対に避けねばならない致死的危険だから。
ましてや”安全講習”なのだから。
それから、雪崩が来た時、「伏せろ!」と指示したらしいが、この指示は疑問だ。
雪崩は、津波や鉄砲水を同じく巻込まれたら、もうおしまい。
伏せる(フリーズする)ことに防御の効果はまったくない(実際、死因は圧死だった)。
頭部防御のために伏せる意味があるのは、コブシ程度の落石レベル。
人を呑み込む強大なパワーに対する防御は「逃げる」しかない。
できるだけ早く、速く。
そして逃げる方向が大事。
雪崩の速度は時速100kmを越すから、反対(後ろ)方向に逃げても無理。
幸い、雪崩は幅が限定されているから、進行方向の直角(側面)に逃げるのが一番リスクが低い(竜巻の場合も同じ)。
人間が本能的に獲得している最適な”逃避行動”を、その場で阻止した意味がわからない(”パニック”を恐れたのかも)。
よしんば逃げるには遅過ぎたとしても、伏せて重心を低くすることは、
圧死を招くだけで、やはり意味がない。
力学的に言えば、むしろ重心をできるだけ高く(できたらジャンプ)することで、
雪崩の上層部(密度が低い)で流された方が、圧死・窒息のリスクが下り、自力で這い出られる可能性を増やす。
ちなみに、冬山(厳冬期)と春山(3月以降)は、気温こそ冬山の方が厳しいが、
積雪量はむしろ春山の方が多い。
春山は、吹雪による凍死は減るが、表層雪崩に加えて、全層雪崩の危険が増える。
今回の事故で 亡くなられた 若者たちに 追悼申し上げます
那須岳は 何回か 登りました
この季節に 何故?と 悔やまれます
これから アルプスを目指していただろうにと 思うと 可哀想で いたたまれません
残された私たちは、この事故からできるだけ多くの教訓を引き出すことで、忘れないものとしたいです。