京都の大山崎にある大山崎山荘美術館で「みうらじゅん マイ遺品展」が開催中。
知らなかったのだが、みうらじゅんという人は物書きで、「マイブーム」とか「ゆるキャラ」という言葉の発案者だそう。
連れに誘われ観に行くことにした。
JRの山崎駅か阪急の大山崎駅が最寄り駅。
天王山への登り口にある。
入口の門をくぐって山荘の方へ歩いていくと、早速展示物が現れた。
飛び出し坊やのみうらじゅんバージョン。
後で見る館内展示で分かったのだが、いろんな飛び出し坊やの写真をコレクションしていた。
このみうらじゅんバージョンの飛び出し坊やは、山荘の庭園各所にいくつか設置されてるとのことで、鑑賞後探して歩いて写真に撮った。
入館し、鑑賞に先駆け喫茶室でお茶することにした。
展示期間中、みうらじゅんのイラストの焼印が押されたドラ焼きが食べれるとのことで、売り切れる前に食べておく事にしたのだ。
宇治ほうじ茶とのセットで注文。
お茶屋さんの前を通りかかった時に香る良い匂いを楽しみつつ、ドラ焼きをいただいた。
食べたのはテラス席。
うまい具合に入室してすぐ席が空いた。
少し高台にあるのでテラスからの眺めがとても良い。
暖かい日で少し冷える程度だったから、いいとこに座れたな。
麓を走る新幹線の音が遠く聞こえてきていた。
食べ終え、作品鑑賞に向かう。
展示品はみうらじゅんが死んだら遺品になるだろう彼の蒐集物である。
旅先のお土産物とか灰皿、瓢箪の人形、仏像や立体的に見える写真など。
少しおかしな(面白い)デザインのモノにフォーカスしている。
蒐集してるのだからその数は沢山あるのだが、普通でないのは集めるモノの種類も数多くあることだ。
種類にして二、三十はあっただろうか。
よくもまあこんなに集めたな。
美術館でこうして並べて見るスペースがあるならいいが、普段はどこに仕舞ってるのだろう。
そんなあれこれが複数の部屋にグルーピングされて展示されていた。
最後に安藤忠雄建築の地中館「地中の宝石箱」で常設展示してあるモネの絵画、睡蓮を鑑賞。
戻る時、地中館の入口と反対側の窓際に、顔はみうらじゅん、身体は(名前を覚えれなかった)女性の裸体の像が置いてあるのを発見。
入館時にもらった館内案内図を見ると、この作品のありかも書かれていたが、ここに今回の展覧会の作品があることに気づいてない人は多いのではなかろうか。
さて、こんな変なもの(失礼)を集めてる人なので、とても個性的な人のよう。
私も子供の頃にキーホルダーを集めていたが、いつしかやめてしまった。
意味を求めてしまったのだ。
以来、何かを蒐集するということはなくなった。
もし、あのまま続けていればなんでもないキーホルダーでも、何かしらの意味を持ったものになってたかもしれない。
継続するというのはとてもエネルギーが必要だ。
こうしたことに注力し続けられる人でないと芸術方面で成功できないのだろう。
そんなことが腑に落ちた展覧会だった。
知らなかったのだが、みうらじゅんという人は物書きで、「マイブーム」とか「ゆるキャラ」という言葉の発案者だそう。
連れに誘われ観に行くことにした。
JRの山崎駅か阪急の大山崎駅が最寄り駅。
天王山への登り口にある。
入口の門をくぐって山荘の方へ歩いていくと、早速展示物が現れた。
飛び出し坊やのみうらじゅんバージョン。
後で見る館内展示で分かったのだが、いろんな飛び出し坊やの写真をコレクションしていた。
このみうらじゅんバージョンの飛び出し坊やは、山荘の庭園各所にいくつか設置されてるとのことで、鑑賞後探して歩いて写真に撮った。
入館し、鑑賞に先駆け喫茶室でお茶することにした。
展示期間中、みうらじゅんのイラストの焼印が押されたドラ焼きが食べれるとのことで、売り切れる前に食べておく事にしたのだ。
宇治ほうじ茶とのセットで注文。
お茶屋さんの前を通りかかった時に香る良い匂いを楽しみつつ、ドラ焼きをいただいた。
食べたのはテラス席。
うまい具合に入室してすぐ席が空いた。
少し高台にあるのでテラスからの眺めがとても良い。
暖かい日で少し冷える程度だったから、いいとこに座れたな。
麓を走る新幹線の音が遠く聞こえてきていた。
食べ終え、作品鑑賞に向かう。
展示品はみうらじゅんが死んだら遺品になるだろう彼の蒐集物である。
旅先のお土産物とか灰皿、瓢箪の人形、仏像や立体的に見える写真など。
少しおかしな(面白い)デザインのモノにフォーカスしている。
蒐集してるのだからその数は沢山あるのだが、普通でないのは集めるモノの種類も数多くあることだ。
種類にして二、三十はあっただろうか。
よくもまあこんなに集めたな。
美術館でこうして並べて見るスペースがあるならいいが、普段はどこに仕舞ってるのだろう。
そんなあれこれが複数の部屋にグルーピングされて展示されていた。
最後に安藤忠雄建築の地中館「地中の宝石箱」で常設展示してあるモネの絵画、睡蓮を鑑賞。
戻る時、地中館の入口と反対側の窓際に、顔はみうらじゅん、身体は(名前を覚えれなかった)女性の裸体の像が置いてあるのを発見。
入館時にもらった館内案内図を見ると、この作品のありかも書かれていたが、ここに今回の展覧会の作品があることに気づいてない人は多いのではなかろうか。
さて、こんな変なもの(失礼)を集めてる人なので、とても個性的な人のよう。
私も子供の頃にキーホルダーを集めていたが、いつしかやめてしまった。
意味を求めてしまったのだ。
以来、何かを蒐集するということはなくなった。
もし、あのまま続けていればなんでもないキーホルダーでも、何かしらの意味を持ったものになってたかもしれない。
継続するというのはとてもエネルギーが必要だ。
こうしたことに注力し続けられる人でないと芸術方面で成功できないのだろう。
そんなことが腑に落ちた展覧会だった。