現実に侵されている

2019-01-12 20:51:57 | 音楽&本&映画
小川洋子 著「琥珀のまたたき」を読書中。
まだ中盤だが、心穏やかに読める物語である。
外界から人為的に孤絶した環境に暮らす家族(子供達)のお話。
一言で言うとそうなってしまうのだが、この一文ではこの物語の本質は説明できていない。
状況を説明しているだけ。
お話の面白さを表現する術を今の私は持っていないのと、今回の記事のテーマではないので詳細は省略。



読んでいて思ったのは目には見えないいろいろを、美しく違和感なくまた分かりやすく表現するなあ、と。
感嘆。
写真を撮るとき、今自分がやりたいと思ってることをやってる。
人は気付かない、自分の心の目で見たものを写真に表現したい。
でも貧しい人生経験で曇った心の目は、当たり前に見える景色しか捉えることができない。
目の前にある事物に現実的な意味づけしかしていない。
前にも書いた、年取って空想しなくなったなと。
もっと心を自由に遊ばせる術をもう一度手に入れねば。



小説家ってのはすごいな。
売れ残った図鑑、音の欠けたオルガン、郵便受け、雨でできたぬかるみ。
こんなものからあの美しい物語を編み出すのだ。
私が同じことを写真でやるには二つの関門がある。
まず見えない絵を心眼で描く。
そしてそれを画像に写さねばならない。
一つ目はなんとかなる?として、二つ目の見えないものが写せるのか?
雰囲気のある写真とはそういう見えないものが写ってるんだよな。
文章ではとても表現できないが、写真でなら…。
モノにしたいものだ。





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