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春の気配にうろたえる

2024-02-09 06:20:42 | Weblog
梅の花が咲いていた。
暗い背景にぽっちりと白い花弁を浮かび上がらせていた。
通勤途中にある梅で、毎年一番に咲くのを見つける木だ。
だから驚くものでもないのに、「ええっ、もう?」と変にうろたえてしまった。
まだまだ冬真っ只中のイメージがあった。
と言うのも、2月は3連休が二度もあるので、どちらかで雪のある冬景色を見に旅行に行きたいなと考えていた。
寒さは苦手であるものの、今年は冬を過ごしている気分いっぱいだったからそのせいだ。
結局企画が間に合わず、3連休は単発の予定を入れてしまったのではあるが。
来年はもっと早くから検討を始めねば。
例年2月は春が来るのをまだかまだかと待つ日々だ。
まだろくに咲いていない梅苑に早々と遊びに行って、梅の咲く時期を勉強したのを思い出した。



朝方目を覚ます頃、部屋がほの明るくなってきた。
そうか、もう春が来ようとしてるんだ。
気分を切り替えて、春に遊びにいく先を検討することにしよう。


ANDO建築

2024-02-07 06:21:01 | その他旅行き
兵庫県立美術館は安藤忠雄の設計だ。
正面入口から敷地へ入っていくと、左右に聳える巨大な壁にまず圧倒される。
展示室へ向かう時、階段を上れるのなら階段を使うべきである。
階段室はコンクリートの打ちっぱなしで、整然とした美しさに魅了される。
来るのは二回目で、前回来た時もコンクリートの階段にカメラを向けたっけ。







今回は写真展を観覧後、建物の中を巡ってみた。
Ando Galleryという安藤忠雄コーナーなんてのがある。
入場無料なので覗いてみると、世界の安藤建築が紹介されていた。
ほんとすごい人なのね。
屋上デッキに出ると青リンゴのオブジェがある。







デッキからは海の対岸にある摩耶埠頭が近い。
海岸へは広い階段が繋がっており、ヤノベケンジ作のSun Sisterがすっくと立っていた。
展覧会がなくてもいろいろ見どころのある美術館である。
うろ覚えだがNHKの日曜美術館で、キース・ヘリング展の巡回先だと言ってたと思うので、また来ることになりそうだ。








写真の歴史に触れる

2024-02-05 06:22:35 | その他旅行き
兵庫県立美術館で写真展をやっているので観てきた。
大正から昭和にかけて活躍した写真家で、安井仲治(やすいなかじ)という人の回顧展である。
自分はこの安井という人を知らず、今回初めてその写真を見た。
写真を芸術として取り上げ始めた黎明期の時代の写真家である。



昔の技術であるピグメント印画法という方法で現像された、フワリと柔らかい画質の写真が並ぶ。
ピグメント印画法ってなんだ?
その手法のひとつであるブロムオイル印画について説明してくれていたが、説明を読んでもイメージが出来ない。
油絵の具を使ってイメージを作るとあるので、撮った写真の上に絵を描くのだろうかと想像したが、写真を見ても描いているようには見えない。

<展示の様子>


疑問符を頭の上に浮かべながら鑑賞することになったので、後でネットで調べてみた。
とても略して書くと、光の当たったところと当たっていないところで残る水分量に差の出る感光剤を使った印画紙に、油絵の具をブラシで擦り付けて水が弾く油の量の多少で像を浮かび上がらせる方法、と理解した。
絵の具の擦り付け方でボカシを入れたり濃淡を出したりして手工芸的な表現を加えることができたようだ。
当時は絵画を模した作品を写真で作ろうとしたらしい。
その後、絵画に似せて画像を作ることを目的とするのではなく、カメラで撮ったありのままの画像、カメラだから撮れるあらゆるジャンルの画像を追求する新興写真と呼ばれるスタイルに移り変わっていくらしい。

<愛用のカメラ>


展示されている写真の被写体や撮り方に特別な感じのする作品はない。
それは当然で、彼らのような当時の写真家が作った道があり、我々はその道を通っているだけなのだから。
革新的な表現について敏感に反応し、研究し、撮影した写真家だそうだ。
当時写真はこうあるべき、というような風潮があったのだろう。
今では当たり前の何でもない被写体も、こんなものを撮って発表する事に対する理由をあれこれ考えている文章が紹介されていて面白い。

<寄稿先>


写真表現はどのように開拓されて来たのだろう。
美術史と同じように、時代時代で流行り廃りがあったに違いない。
そんな写真史について知りたくなる展覧会だった。


御陵前まで歩いて戻る

2024-02-01 06:24:03 | その他旅行き
バラ庭園駅から浜寺公園中央口まで戻り、横にあったコンビニで昼食にパンとコーヒーを買い、歩きながら食べた。
阪堺電車の線路は道路の対岸を走っており、南海電車の線路を越えるため緩やかな坂道を上り向こうのほうへと離れていく。
線路を追いかけて道路を渡った。





地図を見ると、まずまず線路の横に道路が沿ってあるので町の様子を伺いつつ、やってきた電車を撮影することにする。
線路を左に見ながら住宅街を歩く。
船尾停留所辺りはアパートや民家、商店がひしめいていて、下町のいい雰囲気があった。





船尾を過ぎると線路のすぐ横の道は行き止まりになっていたりして少し迂回を迫られる。
ジグザグと細い道を辿り踏切を渡ると石津川。
石津川を渡る橋梁の横にかけられた橋から電車が来ないかとしばらく待つ。
やってこないので、石津停留所まで行って様子を伺うと遠くに電車が見えた。
橋の上へと急足で戻り、しばし待って橋梁を渡る電車の姿をゲットした。





再び線路脇に道路が伸びる区画整理された住宅地に差し掛かる。
線路脇の道路から垂直に道路が付いているのだが、T字路に町内会の掲示板が立っている様子が昨年歩いた我孫子道停留所辺りの町と全く同じなので笑ってしまった。
こういう作りがこの辺りのちょっと昔の新興住宅地のトレンドのようだ。
石津北停留所辺りまで来ると、大きな道路が横切っているからかビルが目立つようになる。





東湊停留所でその日の沿線散歩の終了時刻となった。
こちらに出てきたので、連れが欲しいという鍋蓋を難波の道具屋筋に買いに行く時間が欲しいのだ。
阪堺電車とおさらばし、西側を走る南海電車で難波駅へ行こうと湊駅へ向けて歩き出した。
しかし適当に歩き、曲がる道を選り好みしていたら、左へと曲がれる道がない道に入ってしまった。





スマホ地図で居場所を確認すると、阪堺電車の線路が左に曲がり、今歩く道へと近づいてきていた。
であれば仕方ない。
もう少し撮影してやろうと御陵前の交差点に出ることにした。
うまいことやってきた電車が信号待ちで止まってくれた。
最後の一枚を撮って、今度こそ御陵通りを湊駅の方へ向かった。



これにて今回の阪堺電車沿線訪問記はおしまい。
歩いていない沿線部分がまだあるので、また来たいですな。