伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

30年目にして…

2008-03-08 23:26:19 | Weblog

 写真には「毛馬内(けまない)」とある。

この名称に初めて出会ったのは、今から丁度30年前のことである。

 昭和52年の秋、私は東京都立川市にある陸上競技場にいた。陸上競技部に入部して2ヶ月目、年度最後の記録会が私のデビュー戦であった。種目は200mで記録は27秒6。本当はハンマー投げに出場したかったのだが、顧問やチームメートに止められた。今考えれば当たり前のことである。記録はともかく、周囲の選手を怪我させたのでは堪らないからである。

 記録会後、様々な種目の講習会が開かれていた。ハンマー投げでは小柄なおじさんが高校生相手に教えていた。私よりも身長が少し低かったように思う。ハンマーを持って腕で振り回すスイングの仕方、体を回転(ターン)させるための脚の動かし方を教わった。

 そのおじさんこそ、メキシコオリンピックで3位と同記録で4位に入賞した菅原武男氏だったのだ。今をときめく室伏広治選手の父、重信氏の日大での先輩に当たる方である。世界で初めて完全な4回転ターンを完成させたといわれている方である。

 タイミング良く、本屋で売っていた月間陸上競技マガジンには氏のことが載っていたのである。正確にいうと、この時に初めて菅原武男氏の実績を知ったのである。そこには秋田の毛馬内高等学校でハンマー投げを始めたことが書いてあった。そして努力の塊のようなひとであったこと。

 2006年の東北旅行で通った毛馬内。先日に熱射病に陥っていなければ氏の功績が彫ってあるモニュメントのある毛馬内高等学校(現十和田高等学校)にまで足を伸ばしたはずである。

ゆきたんく、高校最後の試合

私がハンマー投げを教わったあの時、氏は30代だったはずである。今は70前後だろう。どう過ごされているのだろうか。

コメント (2)
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