さて、松戸シリーズ。
新田開発の時代に、松戸古ヶ崎でいくつかの新田が開かれた。
それというのも土地が低いことが環境条件になっていたからだ。
しかし、河川の整備ができていなかったため、大雨に見舞われると洪水の被害に遭うことが少なくなかった。
そのなかでも伝兵衛新田は特に被害が大きかったのだ。
松戸市自体が漏斗のような地形になっており、その水の注ぎ口に当たるのが古ヶ崎だった。そして、そこには200年にわたって地元住民を苦しめた坂川があった。
江戸川への排水路や坂川の河川の状態が良くなかったのだ。
坂川には、藻が水流を止めてしまうことで水が田に溢れ、稲をだめにすることが多かった。たまに水害がない時でも、浅間山の噴火のさいの灰で作物がだめになり踏んだりけったりの様相だった。
先にあげた伝兵衛新田は、水流が逆になることで「逆川」と名づけられた。今では「坂川」と表記されている。
その伝兵衛は、ゆきたんくの家から3キロくらい離れていると思っていた。
さぞかし大変な思いをしたのだと思われる農家も点在している。
ところがである。地元でお世話になっている自動車屋さんと話をしていたらゆきたんくの家から50mのところに伝兵衛さんの本家があるというではないか。
今の所に住んで16年。冠水には2度見舞われたが、伝兵衛新田の所ではないのでそんなに水位は高くないと思い込んでいた。
いやぁ、ゆきたんくの家の前です 2004.10.09
ということは、ゆきたんくの家の前が写真のようになったことは順当だったのだ。