何でも初めてというのは嬉しいものである。
大人になっても、小さい頃のドキドキ・ワクワク感が戻ってくる。
そう、ゆきたんくは千葉県民となって27年目を迎えた。
小さい頃は電車ファンで電車の運転手になりたかったくらいである。
そのゆきたんくが、旧国鉄として松戸駅誕生の1896年から17年後に開業した流山軽便鉄道株式会社(現在の流鉄)にまだ乗っていなかったのである。
軽便とは一般的な鉄鉄道よりも規格が低く、安価に建設された鉄道のことを言う。
会社設立のための資金調達は、町民であった。
設立当初は本鉄道の社員も役員も地元の住民が多く、流山町長が取締役に就任していたことなどから町民のための鉄道ということで「町民鉄道」と呼ばれていた。
このときの出資者が一株株主に至るまで流山居住の人々であったことから「町民鉄道」の名称が当鉄道の代名詞のように使われるようになったが、利益の見込めない地方鉄道に他の地域の人々が出資することは稀であるため、祭りの寄付金のような一種の地域分担金として流山の住民が所得に応じて株を購入し、出資に応じていたそうである。
ともあれ、現在も活躍している市民の味方「流鉄」に初めて乗ったゆきたんくである。
流鉄の「流星」トッブ(馬橋駅にて)
住宅の間に敷かれた単線線路の上をゆったりと走る流鉄は、乗っていて心が落ち着く。
小学生の頃、東急の長津田駅(神奈川県横浜市)から1区間のみの単線「子どもの国線」に乗って子どもの国へ行った時のことを思い出した。
流鉄沿線にお住いの方々もゆきたんくと同じような郷愁を感じていらっしゃるのではないだろうか。