軍艦島16号棟。
通称「日給住宅」と呼ばれていた建物。
この歴史が、何と30号棟の2年後ということだからやはり100年近い間立ち続けてきた鉄筋コンクリート住宅ということになる。
30号棟の整備保存が不可能となった今、この16号棟の存在は大きい。
右手の建物が16号棟。2017.06.17
地獄段と呼ばれて階段の上部が見える。
グラバー園で放映していた動画から
かつて職員は月給制、鉱員は日給月給制だった。
その日給制の鉱員が住んでいたことがら、「日給社宅」と呼ばれていた。
16号棟はその「日給社宅」の一部だという。
この16号棟の1階には、商店街があり、洋品店、雑貨屋、本屋、電気屋、中華料理屋、果物屋、八百屋などがあった。
屋上には弓道場があり、屋上庭園今でいうビオトープがあった。日本最古の屋上庭園だったということだ。
戦後には畑や水田まで作られていて、軍艦島に住む子供達の教育のために、学校の教材用に使われていた。
日給住宅屋上の庭園…グラバー園で上映されていた動画から。
1918年築の、この16号棟が整備の最優先になったことは嬉しいことだ。
30号棟が朽ちた時、日本最古の鉄筋コンクリート住宅をその姿で語ることのできる存在だからだ。