伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

どこにいるの?

2017-06-15 23:41:10 | ジモティ

ゆきたんの仕事でのお師匠がいる。

その方の家の近くにそれはあった。

なんでこんな場所に?

それは陸軍の境界標柱であった。

畑と道の境に杭が数本立っていて、その中の1つが標柱だった訳。
 
 

 


こんな感じで建っていた。


石だよなぁ。何でだと思っていた。


 戦争遺跡に興味を持つようになって、松戸の相模台ではたくさんの境界標柱を見つけることがてきた。

それに似ているとは思っていたが、知り合いの家近くにあると思わなかった。

陸軍に関係のある施設や、鉄道第二連隊の施設とも離れている。



だいぶ削られてはいるが、「陸軍」の文字は確認できる。


遺跡探訪の仲間とライトで照らして影になった「陸軍」の字を確認した。2007.08.18


 現在は、ここに私宅が建ち境界標柱も姿を消した。

どこにあるのかは分からない。

博物館とかにいないかなぁ。

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下火?

2017-06-14 23:57:28 | ジモティ

それは30年以上前の寒い日のことだった。

ゆきたんくは初めて武蔵野線新松戸駅のホームにいた。

そのホームから目に飛び込んできたのはカタカナ7文字。

「マツモトキヨシ」

現在のマツモトキヨシ新松戸駅前店のことだろう。

駅のホームから大きく見えた人の名前。

何だろうと思っていたら、数年後に全国展開されたドラッグストアに成長した。

テレビでコマーシャルを見ない日はなかった。

かつての勢いはどこへ消えたのだろう。


 


松本清記念館に立つ碑。 こうして見るとかっこいい。


表側。この辺りの地名「大金平」は松戸市長、松本清氏の直筆。→ Map 


 松戸に住むものとしては、もう一度盛り上がってほしいと思う。

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知っている限り・・・

2017-06-13 23:46:47 | ジモティ

松戸市で一番大きな石像だ。

近くのお寺は西蓮寺と西願寺。

どちらのお寺に関係があるのだろうか。

道路をはさんで飛び地のような場所にある。



ゆきたんくが知っている限りで松戸市で一番大きな石像である。→ Map 


 こんな風に写真を撮っておいて、その調査を進めなければいけないのだが・・・

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いつの間にか

2017-06-12 23:38:07 | ジモティ

いつも見ていたはず。

そういうものが突如消えたことはないだろうか。

ゆきたんくの住む松戸市は、市役所の近くに京葉ガス㈱がある。

その社屋の前にガス灯があった。



歴史を感じさせるガス灯だった。 → Mapの辺りにあった。


 そして今はない。

どこへ行ったのか。

知っている人は知っているだろう。

いつでもそこにあると思って安心してゆきたんくのような者は、ある日突然気づくのである。

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名前は知っているけれど・・・

2017-06-11 23:28:28 | ジモティ

さて、松戸市の歴史を語る上で欠かすことのできないのが坂川(さかがわ)である。

かつて治水が上手くいかず、農民たちが苦しんだ水害。

時には、川下と川上の住民の間で殺人事件も起こったくらい申告な問題だったのである。

また流山街道と土手沿いの道の間には、いくつもの「水神宮」があることがそれを物語っているのではないか。

その坂川の流れを改善する過程でできた樋門の1つが赤圦樋門(あかいりひもん)である。

その赤圦とはなんぞや。



赤圦樋門


赤圦橋


樋門全景(江戸川側から) → Map


 この辺りにへばりつく水垢が大変赤いことから赤圦との名前が付けられたそうだ。

地域にある名称には、しっかりとした根拠がちゃんとあるのだ。

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お馬鹿。

2017-06-10 23:48:00 | ジモティ

水戸街道、千住宿から2番目の宿場町が松戸宿だ。

今回はその歴史に触れた話ではない。

この写真を撮ったのは2005年9月4日だ。

ゆきたんくが松戸市に住み始めたのが1993年のことだから12年後のことである。

それも、探していたのではなく偶然目に入ったのである。

この写真は「松戸宿本陣跡地」の碑である。

ここには2004年6月まで本陣の建物があったのだ。

1993年から2000年までの7年間、この本陣から50mしか離れていない場所を毎日通っていたのである。


 


ここは気づかなかった。 → Map


この隣にある郵便局には何度も足を運んでいたのに気づかないなんて、なんてドジであろうか。

この写真を見る度に反省するゆきたんくである。

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そういえば会いに行っていない。

2017-06-09 23:38:28 | ジモティ

今回の投稿をジモティネタにするか、戦争遺跡ネタにするか少し迷った。

まあジモティネタにすることにした。

場所は相模台公園。

その昔「松戸工兵学校」の敷地だった所だ。

陸軍境界標柱という標柱を意識して初めて、発見した標柱がある。

その記念すべき初対面がこれ。

階段を登り切ったところで左右を見る。

何か石のでっぱりがあるな・・・



コンクリート製の石柱。何か字が見える。


泥を落としたらはっきりと「陸軍用」が見えた。その下に「地」がある。→ Map 


 ゆきたんくの戦争に対する考え方を大きく変えたきっかけになった境界標柱である。

分岐点の標柱である。

また会いに行かねば・・・

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なくなっちゃった。

2017-06-08 23:45:46 | ジモティ

松戸市にはいくつかの桜通りがある。

新京成の沿線が有名であるが、今日紹介するのは八ヶ崎付近の「桜通り」である。

あっ、桜通りの紹介文ではないのでここで断っておく。



桜通り。八ヶ崎交差点から八ヶ崎5丁目6番地まで


 この桜通りの丁度真ん中付近に民家の庭があって、底に木を剪定したお猿さん(ゆきたんくはそう思っている。)があった。

そして交通事故とゴミ捨ての防止に一役買っていたのである。

この場所に6/8開通で道路ができた。


 


ゆきたんくは気にいっていた。


この右下部分の道路の起点(終点?)に剪定された木があった。


 なんか、残念だなぁ。

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行かなくなったね。

2017-06-07 23:36:20 | ジモティ

松戸市には「21世紀の森と広場」という場所がある。

博物館や、ホールがあるが駐車場は高く、電車だと不便。

あまり行かないな。

一時期、戦跡オタクのゆきたんくは塹壕跡を見に行ったり、周囲の鉄道第二連隊との関連を調べていた。

その調査も終了し、あまり行かなくなった。

子ども達が小さい時には随分とお世話になったのに恩知らずな奴である。

反省。



マスコットの「ドンちゃん」と「グリちゃん」 黄昏時。


 

 

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知らなかったねぇ。

2017-06-06 23:27:28 | ジモティ

実はゆきたんくの住んでいる松戸市は、漏斗のような地形をしているという。



漏斗(じょうご)ね。


 間口が広くて、注ぎ口が細いやつね。

その注ぎ口の部分ときたら、土地で言うと低い部分だね。

ゆきたんくの住んでいる場所が、かつての注ぎ口の部分だということは知らなかった。

ただ、いろいろと土地改良を重ねて、今一番低いのは他の場所らしい。

近くの排水機場のモーターが回っていなかったことがあって、膝下まで水が来たことがあった。



ゆきたんくの家がある道路。


いろいろなものが流れてくる。


 そうだねぇ、この23年間に3回あったかな。

今年は雨が降りそうだから心配しているのである。

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そういえば。

2017-06-05 23:43:10 | ジモティ

ゆきたんくが自宅から、女房のりたんの実家に向かう時には東京外環道を使う。

その外環に行くまでに通るのは、先日書いた江戸川土手沿いの道。

そして途中でかつてあった小学校の脇を通って北葛飾橋に乗る。

六間川という川を通る時は三養橋を渡る。

その橋の近くには桜があり、春になると綺麗な花を見せてくれた。

季節はずれの話ではあるが、昨日の投稿を書いていたら思い出したので書くことにした。



北葛飾橋方面


松戸駅方面。


もっと良い色をしているのだが・・・


目を楽しませてくれた。


 この三養橋は、欄干が赤くて年に数回はペンキが塗り直されたいた。

しかし、近くの小学校が閉校してからは塗られたことはない。

赤いペンキははげ、下地の白い色が見えてきている。

次第に錆びてくるのだろうか。

あの赤い欄干と、綺麗なピンクの桜のコラボはもう見られないようだ。

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これも・・・

2017-06-04 23:28:58 | ジモティ

20年前のお話。

ゆきたんくの家から松戸駅方面に向かうには、江戸川土手沿いの道が早い。

駅近くに行くまでに、ほとんど信号がないからだ。

制限速度は時速30㎞だが、守っている車はほとんどいない。

まあ、それなりに事故に気を付けて運転する。

その途中に、松戸最古の不動尊があった。

朱色のお堂のような建物の中に鎮座しておられたのだ。

ある日、それがなくなった。

その記録はゆきたんくの目に焼き付いている。

丁度仕事で出かける時のこと。

その不動尊の前を通り過ぎた時、なんと重機が建物を取り壊しているではないか。

車を停めて写真を撮りたかった。

しかし、後ろには車がいるし仕事に遅刻してはいけないし・・・

結局、仕事から帰った時にはあとかたもなくなっていた。



この建物である。


慶安3年って、調べたら1650年だった。


中の様子。


この碑は、現在は市内の圓勝寺にある(露天)。


よく、首が別のところにあって直してあげた(笑)


 地図のブックマークはしない。

現在は住宅になっているからだ。

もちろん、移動する際の祭儀はすんでいるはずだ。

 少しずつ消えていくものってあるはず。

気がついたら記録に残したいと思う。

 

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居場所。

2017-06-03 23:07:50 | ジモティ

いつも思っている訳ではない。

自宅の近くなので、その時に気になるだけだ。

広い場所に木がたくさんあって、その土地の真ん中にいらした神様。



中央の木の陰にいらっしゃる。


 ゆきたんくの自宅から、直線で100mの所にいらっしゃる。

今のところに引っ越してきた23年前は、上写真の所にいらっしゃった。

森の中にいる雰囲気だ。

ただ、駐車場に土地を奪われた感はあった。

それでも、周囲を木々に囲まれた真ん中に祠はあったのだ。

以前は雨ざらしだったろう。

それがこんな感じに金属製の祠が作られていて、その中に鎮座されていた。



20年前のお姿。


 ある日突然(自分にとってだよな)、全ての木が切り倒され、神様の姿は消えてしまう。

ここは今では住宅になっている。

しばらくして、少し離れたところに神様は戻った。

随分と小さな場所を当てがわれて鎮座されている。

文句の1つもいう訳ではない。

何か心に引っかかる出来事なのだ。

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どうなったのかなぁ

2017-06-02 23:30:35 | ジモティ

2009年2月13日に千壇家前の「道しるべ」については書いている。

ゆきたんくの住む千葉県松戸市には千壇家という老舗のホテルがあり、そのホテルの前に立っていたやつ。



かつての千壇家全景


 このホテルにはかつて新撰組の近藤勇が滞在したことがあるという。

それはホテル前の説明書きにあった。

本当は「道しるべ」のために書かれた説明板なのだろうが、近藤勇の方がネームバリューはあるよね。



この説明板の下に道しるべがあった。


 この千壇家前を含めて3本しか確認できていない。

その貴重な道しるべは、千壇家の建て替えの時に一時姿を消した。

そしてホテルが新築したおりには、ホテル左端の隙間に片付けられていた。

いつの日かまた、ホテルの正面に立つのだろうと思っていた。

いつの間にか、ホテルの脇からは消え、再び正面に立つことはなくなった。



これね。


 どこにいっちゃったのかね~

 

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義父との思い出・ジョクジャにて

2017-06-01 23:38:32 | 言いたんく

続くね、インドネシアシリーズ。

今年2月に亡くなった義父との思い出もあった。

サガンで夕食を食べ、ジョグジャのメインストリートであるマリオボロ通りに行く。

「〇〇君、ベチャに乗ろう。」

義兄がベチャと言う。

なんか汚い響きだなぁ。

と思っていたら、ベチャは前輪が2輪、後輪が1輪の三輪車だ。

お客の座席が前にあって、後ろに漕ぎ手がいるのだ。



道路の真ん中を走るって気持ちいいね。まぁ、夜だからピントは会わないね(笑)


義母と義姉。 → Map


Mapを見ていただくと分かるが、ほぼ、マリオボロの初めから終わりまでを走った。

このあと、バピヤという菓子の製造販売をしているところに連れて行ってもらった。

その間におかしいことが・・・

ゆきたんくの乗っているベチャが他のベチャにどんどん抜かれていく。

義兄とおーちゃん、義母と義姉のベチャ、その他のベチャ。

後ろを振り返ると漕ぎ手のおじさまがしんどそう。



義父とゆきたんくの乗ったベチャの漕ぎ手のおじさまは最初は笑顔で。 


 この時のゆきたんくは100㎏近くあったので、おじさまは疲れてしまったようだ。

途中で降りて押し始めた。

降りて手伝おうと思ったが、料金のうちなので乗っていなければいけないとのことだった。

ペチャを降り、バピアを買い、次はシャツのお買い物。

楽しいジョクジャのお兄様方にいじられながら買い物をするゆきたんく。

それを見ている義父。



誰が撮ってくれたのかな・・・ 店の入り口で買い物の様子を見ている義父 → map


今では店の経営者も店の名前も変わってしまっているようだが、地図は間違いない。

また、良く見ると店の前に停めてあるオートバイの向こうに義兄がいた。

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