夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我家も、昨夕から年末年始の休暇・・♪  《初出2007.12.29.》

2008-06-03 11:46:12 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日の夕方から雨が予測されていたので、
家内の母の来宅時を心配していたが、6時前に我家に到着した。

『おかあさん・・良かった・・雨の降る前に・・』
と私は、家内の母に微笑みながら云った。

我家では、これからの年末年始に於いて、私達夫婦と家内の母の3人で生活を共に過ごすのは、
今回で4度目である。

家内の父が死去されて、独り住まいとなった家内の母に、
年末年始の時は、我家に来て頂きたい、と私達夫婦の発案であった。

居間の20畳ばかりに一角に6人用の炬燵で設置し、
奥の6畳の和室と書棚の3畳のスペースで休んで頂くのが、
恒例となってきている。

居間の炬燵の中で私達夫婦は、
家内の母から八千代市の自宅から我家までの年の瀬の街の情景を聴いたりした後、
今年、私達3人で旅行で訪れた話となった。
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利の純米酒の辛口を呑みながら、
ささやかな料理を食べ、話し込んだのである・・。

2月の中旬に奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に5泊6日で滞在し、
北ルートは西穂高ロープーウェイを利用し、北アルプスの冬の光景を眺め、
そして南ルートは高山市の街並みを散策したのであった。

5月の下旬には、伊豆半島の南端の下田に6泊7日で滞在し、
街並み、周辺の公園、観光地などを散策し、
花のうつろいを誉(ほ)めるたたえたりした。

8月の初旬になると、蓮(ハス)の花を観賞したく、
群馬県の最南端の館林市に3泊4日で滞在し、
猛暑の中、観光船に乗り、夢のような一面蓮の花咲く光景を見惚(みと)れたりした。

10月の下旬からは、沖縄本島に8泊9日で訪れたが、
家内の母の希望であったので、それなりなに心の思いは深く残った、
と私に熱っぽく話された・・。

こうした話題をあの時は・・などと話し込めば、2時間ばかりの酒宴は過ぎてしまった。

そして、私はこの間に煙草を喫う為に、
玄関庭の軒下に下りると小雨が降って折、
何かと慌しい年の瀬を浄化してくれる雨かしら、
と感じたりしていた。

私は9時過ぎには寝室の布団の中で熟睡し、
早朝の5時過ぎに目覚め、ときおり小雨の降る庭に下り立った。

そして7時過ぎに、11時過ぎまで母と炬燵の中で・・、と私は家内から聴き、
私は微笑みながら、我家でも年末年始の休暇が始まった、
と実感したりしている。


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コブクロの最新アルバムのタイトル名・・♪  《初出2007.12.28.》

2008-06-03 11:44:06 | 音 楽
私は齢を重ねた63歳の身であるが、ときおり音楽を聴くのが好きである。

今年の初秋の頃から、遅ればせながらコブクロという若い人達から絶大な人気のあるディオに魅了された。

最近、アルバムが発売されているが、
アルバムのタイトル名『5296』と称されているので、
私はどのような意味かしら、と少し戸惑ったりしていた。

私はこのサイトで、11月18日に於いて、
『コブクロの『赤い糸』に感銘を受けたひとりとして・・♪』と題し、
投稿したことがあるので、
多少注視していたでデュオであった。

昨夕の読売新聞で、『エンターテインメント 音楽』で、
この方たちの記事が掲載され、私はタイトル名の意味が解かり、
恥ずかしくなったが、了解した今、好感している。

『5296』
2人とも昭和52年生まれ、
結成9年で6枚目のアルバム、と明示されていたのである。

そして私は新聞の記事の中で、彼等の真摯な歌への思いに、
何よりも感銘を受けたのである。

無断であるが、彼等のメッセージを引用させて頂く。


『路上で演奏していたアマチュア時代、
老若男女あらゆる層の通行人を相手に、
1人でも多くの人が足を止め、
僕等の音楽がそれぞれの心に届けばいいと願ってやっていた。
その数が、100万いう規模になったことは、
うれしいと同時に信じられない。
でも、あの時の精神は、今もこれからも決して変わらない』

小渕健太郎はこんな風に、成功の心境を語る。


こうした発言をされると、彼等の熱く真摯な思いは、
齢を重ね少し惚(ぼけ)た私でも感動し、感銘を受けたりしている。



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年末・年始の国内旅行の想いで・・♪  《初出2007.12.28.》

2008-06-03 11:42:03 | 現役サラリーマン時代の想いで
私達夫婦は、実家の近くに家を建てたのは、
昭和53年(1976年)の春であった。

この年以来、大晦日に家内が作った御節料理を母の住んでいる処に私が届けた後、
家内の両親に来宅して頂き、御年取りと称した大晦日の酒宴で宿泊して貰い、
元旦の昼下りまで共に過ごし、
3日は長兄宅で私方の親族で新年会が恒例となっていた。

この間、家内の妹が結婚された5年前後は、
家内の妹の主人と子供、そして家内の両親と私達夫婦は、
元旦より1泊2日で、湯河原、銚子、富津地域に宿泊したり、
自宅に来宅して貰ったりしたこともあった。

このような形で年末年始となっていたが、平成10年(1998年)の新年間もないときに、
私の母が亡くなり、私達の年末年始は変貌した。

この年の12月の初めに喪中の葉書を出した後、
恒例の御節料理も不要となった。

そして私は父に小学2年生の時に死去されたので、
50代の初めの私でも、何かと母の存在が大きく、
母に去られた後は失墜感があった。

家内の父も体調に自信なくし、
病院に入退院を繰り返し始めた頃であり、暖かい時節に旅行を共に、
ということになったのである。

このような状況となり、私は現役のサラリーマンの多忙な時代であったが、
私達夫婦は初めて年末年始に旅行に出かけることとなった。

秋田県の山里にある秋の宮の稲取温泉に年末の30日より3泊4日、
これ以降の年、29日より山形県の湯の浜温泉に4泊5日、
29日より能登半島の輪島に4泊5日、
大晦日より北海道の北部の紋別、稚内の周遊し2泊3日、
大晦日より宮城県の秋保温泉に2泊3日などを年末年始に出かけたのである。

詳細の心の思いは、このサイトで綴っているので省略するが、
私達夫婦にとっては、その地の年末年始の街の情景が深く心に残り、
お互いに、あの時は、と話し合ったりしている。

私の定年退職の秋に、家内の父が死去し、
独り住まいとなった家内の母に大晦日の数日前に来宅して頂き、
新年の4日まで、私達3人と共に過ごすのが、
ここ3年の恒例行事となり、私達夫婦の年末年始の旅行は終わったのである。



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年の瀬、明日より年末年始の休暇・・♪   《初出2007.12.28.》

2008-06-03 11:39:51 | 時事【社会】
東京の郊外は、曇り空で朝を迎えているが、夕方より小雨が降り、
明日の午前中まで降り続いた後は、快晴となり歳末、そして新年を迎える、
と予測されている・・。


日本の数多くの人々は、本日は仕事納め、明日より年末年始の休暇と思われ、
いよいよ年の瀬となる。

ふるさとに向かい新幹線、在来線の乗客、或いは自動車で高速道路を利用され、
帰省ラッシュが本日より始まる、と報じていた。

私のふるさとは、今住んでいる処なので、
帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音であるが、
どうかご無事で行かれ親愛を深めて下さい、と祈願したりしている。

そして、日本の各地、海外に旅行される方たちにも、
せっかくの年末年始の休暇を楽しまれて下さい、と思ったりしている。

或いは自宅で年末年始を過ごされる方たちには、
明日よりご家族で大掃除、買物などをされ、ゆったりと新年をお迎え下さい、
とニュースを見ながら思ったりしている。

そして、年末年始も仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
大変ですね、と心を寄せたりしている。


我家は、私の定年退職後は、独り住まいの家内の母を大晦日の数日前に迎え、
新年の4日まで私達と生活を共にする恒例となっている。
ここ1週間は家内の孤軍奮闘の大掃除、年末年始の料理等であり、
私は齢を重ねた買物メール・ボーイとなり、
幾度なく家内の指示された買物に通ったりしていた。
そして、幾分小奇麗に掃き清めた庭をぼんやりと眺めている。




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私の師走の読書は、佐野眞一の著作が多く  《初出2007.12.27.》

2008-06-03 11:37:13 | 読書、小説・随筆
このところ遅ればせながら、作家の佐野眞一の読書が多くなっている。

この師走の時期は、『小泉政権~非情の歳月~』(文春文庫)、
『東電OL殺人事件』(新潮文庫)、そして続編の『東電OL症候群』(新潮文庫)を読んだりした。

特に『東電OL・・』に関しては、
人が秘そむ心の深淵がどれだけ、その人となりに言動で発露されるか、
著作者の熱い思いを行間から感じ取ると、このたった二冊であるが私は数時間の毎日で読み続け、
二週間ばかり要したのである。

それだけ著作者の思い心を受け止めるには、単なる読むには、
著作者の真の言葉の伝達を受け止めることが出来なかったのである。

私はこの佐野眞一の作品は、6冊しか読んでおらず、
今回の作品を含めても8作品となる。

今の私は、未読の『枢密院議長の日記』(講談社現代新書)が過日購入したので、
大正時代の激動期に於いて宮中に身を置いた人の日記、
そして作家の佐野眞一の心情に導かれて、大正時代に思いを寄せ、
改めて明治以降の日本を学ぶ機会になれば、
と思ったりしている。


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今年も 余白が少なくなり・・♪  《初出2007.12.27.》

2008-06-03 11:34:29 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、初冬の陽射しに恵まれて、朝を迎えている・・。

屋根、庭に霜(しも)が真っ白なベーェルとなっているが、
朝の陽射しが庭に差し込めば、直ぐに溶け込み黒土となる。

日中のひととき、庭と玄関から門扉までを掃き清め、
明日が今年最終の『燃えるゴミ』に収集日なので、
多少小奇麗にするのが私の最低限の責務としている。

世間では、仕事納めが何日に迎えるのか、
とぼんやりとした脳裏で思ったりしている・・。

東京のの郊外は、本日は初冬の快晴となるが、
明日は曇り空で夕方から小雨となり、
明後日の午前中まで降り続く、と予測されている。
その後は、快晴日が続いて大晦日、そして新年を迎える。

齢を重ねた63歳の私は、昨今の社会状況を憂いながらも、
天気予報が一番気になるのが本音でもある。

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買物メール・ボーイの4年生は・・♪   《初出2007.12.26.》

2008-06-03 11:29:47 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生で、我家は家内と2人だけの家庭であるので、
私の定年退職後より、お互いの担当を取り決めているのである。

家内は家の中の掃除、洗濯、そして料理と家事全般の重要な業務としたので、
私は日中の通常の買物、ときたま庭の手入れをする程度であり、
多少の引け目から茶坊主を日々貫徹をしている。

歳末が近付いたこの時節になると、
家内は大掃除、年末年始の料理、
そして家内の母が7泊八日で滞在して貰うのでそれなりの準備と、
家内は孤軍奮闘して折、ときたま私は補助員程度であり、
私は何かしら落ち着かないのである。

しかし、世の中は巧く出来てい折、年末年始等の買物が増加するのである。

ここ数日前から、普段は二箇所のスーパーで買物をすることが多いが、
余り利用しない駅前のスーパーのチラシを朝方、家内が見たりしていると、
『行ってもいいよ・・』
と私は明るく家内に云ったりしている。


私が買物で最初に覚えたのは、
コーヒー、洗剤などで『お一人様X個限り』の特売であった。

次に野菜、果物、魚、肉の鮮度が良い物であったが、
家内からは、程々の値段で見極めるのが重要なの、と云われたりしていた。
こうした折は、
『だって・・僕は買物一年生・・
XXちゃんは、30数年のプロだもの・・』
と私は家内に言い訳をしたりしていた。

最近は買物4年生となったので、
程々の価格で鮮度の選択が多少できるようになったが、
洗濯関連の洗剤、台所の洗剤、料理の食料油は何回買っても、
商品名、目的の役割、価格が覚えられないのである。

このことは私が、洗濯、料理をしないことが原因であり、
家内からスーパーのチラシに赤丸印を目当てで単に購入しているからである。

私はやむえず、力仕事は男の子の役割、と思いながら、
どのような効果が判らないが『ニュービーズ』、『ハミング』、『ワイドハイター』等の最低購入数を聴き、
我家の在庫切れは困るので、
何時も多めに購入し、両手に重い荷物となって提(さ)げてくるのである。

いずれ洗濯程度は、覚えていた方が私の為と思っているのであるが、
家内の元気な姿を見ていると、そのうちに、と思いながら今日に至っている。

尚、買物に関しては、四年生の身なので、
里芋(さといも)、やつがしら、くわい等の御節料理の素材は、
やはり我家の真打の家内しか見極めできないのであり、
私は荷物持ちに徹しているのである。




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齢を重ねた茶坊主の朝は・・♪   《初出2007.12.26.》

2008-06-03 11:27:56 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身で、家内と2人住まいであるが
日常は買物ぐらいしか担当しておらず、
ときおり庭の手入れをしている程度であるので、
日頃は家内の茶坊主の役割に徹しているのである。

今朝も何時ものように、6時前に起きだして、
洗面した後、神棚がわりに置いてある相田みつをの『日めくり ひとりしずか』の格言に、
両手を合わせ、心の中で呟いたりしている。

そして、玄関庭に下り立ち、この時節、薄暗い早朝のひととき、
樹木と空を眺め、煙草を喫ったりしている。

その後は煎茶を淹れて、新聞を読みながら、煎茶を頂くのである。

定時の6時半になると、家内の指定されたマグ・カップの2つに、
熱いコーヒー、冷たい牛乳をお盆に乗せて、
2階の寝室に行き、家内の枕元に置く。

『おはよ~う・・XXちゃん・・今日も・・良いお天気よ・・』
と私は目覚めた家内に朝の挨拶を行い、
本来であれば、お目覚めいかがでしょうか・・、は我家では省略しているのである。

日中は家内が洗濯の合間に掃除、そして料理の大役を責務としているので、
朝食、昼食どきは煎茶、コーヒーを淹れたりするのが、
私のささやかな役割となっている。

午前の10時、昼下りの3時過ぎのひとときは、
コーヒーをさりげなく家内の前に置くのは、
私の当然の責務であり、私の定年退職後はこうした行事が続いている。



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『ふみをかざるひとひらの美』・・♪  《初出2007.12.25.》

2008-06-03 11:25:42 | 読書、小説・随筆
日中の大半、家内と銀行、郵便局を廻った後、
買物にスーパーの二軒を廻って、先程で帰宅した。

スーパーの野菜、穀物などは御節料理の素材が並んで、歳末の始まりと感じたが、
私にとっての心の最大の収穫は、
郵便局で定期の満期の手続きをとっている間、
棚に並べられた一枚のバンフレットが鮮烈であった。

日本郵政グループの発足記念店展のお知らせのチラシであった・・。


第一部 郵便錦絵展 『明治のあたらしい風』

第二部 扇子原画展 『麗(うるわ)しく華ひらく』

第三部 切手原画展 『ふみをかざるひとひらの美』


と展示課題が掲載され、短い解説が明示されていた。

数分、手続きに待たされている間、私は見ていたのであるが、
特に第二部と第三部のタイトルに魅了されたのである。

『ふみをかざるひとひらの美』などは、
私がこのサイトに綴る折、季節のうつろいを数多く取り上げ、綴っているのであるが、
このタイトルの趣旨の、ふみをかざるひとひらの美、のように表現できたら、
と思いながら、心を深め、私なりに念願している。

具体的に表現すれば、封筒の中に秘められた便箋の文、そして切手の幾重かの絵柄、
季節の移ろいの情景美と私の綴る心の思い、
このような類似性になれれば、と感じたのである。



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今年も、あと一週間ばかりとなり・・♪  《初出2007.12.25.》

2008-06-03 11:23:22 | 定年後の思い
東京の郊外は、初冬の陽射しに恵まれて朝を迎えているが、
暦(こよみ)の上では、あと1週間を残すばかりとなった。

私は年金生活の4年生の身であるが、
本を読んだり、買物と散策等で1日を過ごし、
ときおり庭の手入れ、家内、或いは家内の母と3人で国内旅行をしてきたが、
過ぎ去ってしまえば、早いと実感している。

そして私は文章を綴るのが読書についで好きであるので、
日々の心の思いは、このサイトで綴ったりしている。

現役時代のサラリーマンだった頃は、
仕事納めはあと何日、それまではこの業務は完了させねば、と奮闘していたりしていた。
そして歳末の数日は、庭を掃き清め、
家内の年末年始の買物の補助員としていた。

そして私の母が10年前に亡くなるまで、
20年間は家内が作ってくれた御節料理を母の宅に届けるメール・ボーイをしていた。
大晦日の昼下り、母の宅で、御節料理を手渡した後、お互いにおしゃべりの身なので、
数時間過ごし、帰宅すれば家内の両親が来宅していて、
御歳取りと称して大晦日を過ごし、翌朝の元旦の昼下り、家内の両親は帰宅した。


このように過ごしてきたが、母が亡くなり、そして家内の父も死去となった三年前から、
我家は様変わりとなっている。

この間、私の母が亡くなり、家内の父が亡くなる6年間前後は、
私と家内は、年末年始に日本の各地に滞在した旅行をし、過ごしてきた。


家内の母は独り住まいであるので、
年末の数日前に来宅して貰い、新年の4日過ぎまで、
我家で3人で年末年始を共に過ごす、という形に変貌したのである。

最も家内の母とは、温泉滞在の5泊6日前後を年に数回は3人で過ごせしているので、
私は家内の母と気心が知れ、安堵しながら話せる相手となっている。

あと今年も1週間となったが、家内が最後の大掃除、年末年始の料理、
そして家内の母を7泊八日で迎えるので、それなりの準備で忙しいのである。

私は家内の孤軍奮闘ぶりを見ると、
茶坊主に徹し、ときおり『何か・・買ってくる物・・ないの』
と家内に声をかけたりしている。

何となく落ち着かないので、買物を頼まれた時は、
いそいそと出かけ散策をした後、買物を済ませ帰宅することが、
この1週間の実態であったし、
残こされた一週間も同じような状況になるかしら、
と微苦笑している。

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クリスマス・ソングで皆を最も高揚させる歌は 《初出2007.12.25.》

2008-06-03 11:21:10 | 音 楽
午前のひととき、私は二軒ばかりのスーパーに買物に行った。

数多くの人々が三連休の最終日、その上、クリスマス・イブなので、
何時もの平日と違い、込み合っていた・・。
ご家族の方たち、現役の40代のご夫婦等が見受けられ、
私なりに微笑ましく、感じられた・・。

店内からは、

♪真っ赤なお鼻の トナカイさんは
 いつもみんなの 笑いもの

【 『赤鼻のトナカイ』 作詞・新田宣夫 作詞・MARKS JOHND 】

メロディが流れた・・。

私は何かしら追われるように、買物の選定をしたのであるが、
クリスマス・ソングの中で、誰しもが知っていていて、親しまれ、
心を高揚させる曲は、『赤鼻のトナカイ』は、
ずば抜けて最高の選曲と思ったりした。

買物の客が、何かしら追われるようにクリスマス関係商品を数多くお買い上げ頂ければ、
と店長の発想であったならば、優秀な人と私は誉(ほ)め讃(たた)える。

選曲を『ホワイト・クリスマス』などにした場合、
買い物客は、何かしらしっとりと聴きこんでしまい、お買い上げの向上に図れないと思う。

たかが、クリスマス・ソング、されど選定された曲は何かしらの向上に役立つ、
と私は微苦笑したのである。

この時節、元気のない人は、『赤鼻のトナカイ』の一曲を聴けば、
心身元気を取り戻す特効薬かしら、と微笑んでいる。

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『サイレント・イヴ』の想いで・・♪   《初出2007.12.24.》

2008-06-03 11:19:05 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は、定年退職後の4年生の身であるが、
この時節、ときおり辛島美登里の『サイレント・イヴ』がテレビ、ラジオで聴いたりすると、
苦く懐かしい想いでが甦(よみが)ってくる・・。

私の現役時代、あるレコード会社の情報管理畑に勤務していたが、
リストラの影響で不馴れな経理畑に人事異動させられ、
その上、レコード会社の統廃合が行われ、
私は当然睡眠時間を削り、奮闘していた時代であった。

そして、統廃合で社員の交流をお互いに深め、
目先の不馴れな業務に励んでいたので、
心身疲れきっていたのである・・。

こうした折、12月の初め、統廃合で知り合った後輩の人から、
私の机上に一枚のCDアルバムを置いていった。

『昨年に発売したのですが、よかったら聴いて下さい』
とメモが綴られていた。

『Keep Christmas With You』というアルバムのタイトルで、
CDのジャケットが洒落ていた。
初回限定 特製スノープレート付きと明示され、ジャケットを少し振ると、
森の中に拓かれ大きな樅(モミ)の樹の周辺に雪が降るのであった。

そして辛島美登里の『サイレント・イヴ』、稲垣潤一の『メリー・クリスマスが言えない』、
永井真理子の『ZUTTO~Xmaz Version~』等が収録されていた。

その後、まもなくお歳暮の挨拶を家内と数軒廻っている時、
疲れたので喫茶店で休息をしていた時、


♪真白な粉雪 人は立ち止まり
 心が求める場所を 思い出すの

【 『サイレント・イヴ』 作詞・作曲 辛島美登里 】


店内から流れてきた。

私は、もう少ししたらクリスマスかょ、と心の中で呟(つぶや)いて、
歳末の仕事納めの日まで、たわわな業務を思案すれば、
尚更ぐったりと心身の疲れが増してきた・・。


私にとっては、今でもこの曲を聴くたびに、
現役時代で一番労苦の多い時だった、と想いだしたりしている。



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この時節、最も微笑む曲は、『クリスマス・イブ』 《初出2007.12.23.》

2008-06-03 11:16:58 | 音 楽
東京の郊外は、昨夕からの雨が先程から上がり、静寂なひとときとなっている。

私は庭に下り立ち、常樹木の枝葉は濡れ、
そして葉を落とした落葉樹の枝の雨粒を見つめたりしていた・・。


♪雨は夜更けに過ぎに
 雪へと変わるだろう

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲 山下達郎 】


この歌がどうしてか、脳裏に浮んだのである。

私は年金退職の4年生の身であるが、
私のサラリーマン現役時代の折、確か1983年のこの時節に初めて聴いて、
巧過(うます)ぎる歌だなぁ、と直感した。

この後に、JR東海のCMに盛んにテレビで放映され、
離れ離れの若い男女で、やっと逢える、
といった情景だったと思い浮かべている。

後年に判ったことであるが、
JR東海のX’mas7 ExpressのCMと知った。

山下達郎のこの曲の唄声を背景に、
その後毎年のように幾つかの若い男女のせつなく、もどかしい情景が映しだされ、
私は微笑みながら、秘かに若い男女に幸せあれ、
と心の中で送っていた・・。


♪きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲 山下達郎 】


私はシンガー・ソング・ライターの山下達郎に関して、
無知な方であるが、この『クリスマス・イブ』を聴いた限り、天才と讃(たた)えている。

そして、ネットのYou Tube上で、
【Xmas Express 歴代CM1988年~1992年】を視聴し、
若き男女がやっと逢える情景を微笑ましく見ていた・・。


♪心深く 秘めた想い
 叶えられそうもない


私は、若き男女に冬の天の川のように心寄せながら、
ときめき、もどかしさ、せつなさの恋情を齢を重ねた私さえ、
感じられ、感銘させてくれるのである。




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東京の郊外は、小雨の朝を迎えて・・♪  《初出2007.12.23.》

2008-06-03 11:14:03 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨夕から小雨となり、
ときおり微風の吹き、寒い早朝を迎えている。

先程、玄関庭に下り立ち、軒下で煙草を喫ったりしていた。
モミジの朱紅色の落ち葉があちらこちらに散乱し、
しっとりと濡れた黒土に彩(いろど)っていた。

私の住む家は、住宅街の外れにあるが、
平日でも静寂となることが多いが、
多くの方たちが三連休の半(なか)ばの上、
昨夕からの雨となっているので、より静寂で閑散としている。

午後から急速に回復し、快晴の13度前後の陽気になる、
と報じている。
果たして、うつろうひととき、どのような情景になるのかしら、
と小雨の降る中の樹木、初冬の庭を眺めたりしている。

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なぜ冬至の時、カボチャを食べるの・・♪  《初出2007.12.22.》

2008-06-03 11:07:13 | 幼年・少年時代の想いで
冬至の日には、ユズ湯に入いれば、
無病息災で冬が無事に過ごせると古来から云われている。

私も幼児の頃から、ユズの浮んだ湯に入いったりしていた。

そして、夕食の時はカボチャを煮込んだのを食べたりしていた。

私は晩酌している父に、
『近所の友達も・・今晩はカボチャといっていたよ・・
どうして・・カボチャを食べるの・・
去年の今頃でも・・3日に1回ぐらいカボチャがよく食べたのに・・』
と私は云いながら、父を困らせた。

私が小学1年生の頃で、
祖父と父が中心となって農業をしていた。

まもなく父が死去し、祖父も後を追うように亡くなったが、
我家は冬の時節、カボチャの料理が多く、私は食べすぎたせいか、
未(いま)だに私は苦手な食べ物のひとつとなっている。

先程、『冬至』に関して調べたりしていた時、
藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)を読んで、
私なりに苦笑しながら、理解できた。

無断であるが、引用させて頂きます。


・・栄養価の高い緑黄色野菜の代表格。
炭水化物、蔗糖(しょとう)、ブドウ糖のほか、カロチンにも富(と)んでいる。
・・この保存のきく野菜を、栄養が片寄りがちな冬に食べて、
元気をだそうという意味・・

カボチャの優れている点は、
果肉だけでなく、「南瓜仁(なんがにん)」と呼ばれる種までが栄養豊富なことである。
アミノ酸のバランスがよく、リノール酸とオイレン酸を主とする脂肪質も豊富・・
カボチャの種を炒(い)って食べれば、
高血圧症や前立腺肥大症の予防に効果がある・・

このように明記されて折、昭和の28年の頃を思い出したりしている・・。
あの頃は、敗戦後10年を満たない時期であったので、
どの家も食べ物は豊富でなく、
冬の時節にカボチャで空腹を満たし、栄養を補強し、
そして甘味のある香ばしいカボチャを食べられたのだろう。

10年前に亡くなった母は、生前の時、
ショート・ケーキよりカボチャの方が美味しいわ、
と私は度々聴かされたりしていた。

私はカボチャの煮物を見るたびに、亡くなった母を想いだすのである。

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