私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
いつものように読売新聞の朝刊を読んだ後、
ネットでニュースを見ようと、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
この中のひとつに、大いに考えさせられたのである。
《 ネットの流言飛語、管理者の自主削除を要請 》
と題された記事である。
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・
ネットの流言飛語、管理者の自主削除を要請
総務省は6日、インターネットサービス事業者ら通信各社に対し、
東日本大震災に関するネット上の流言飛語について、表現の自由に配慮しつつ、適切に対応するよう要請した。
ネットのサイト管理者らに、
法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除などを求める。
震災後、地震や原発事故についての不確かな情報がネット上で流れ、
国民の不安をいたずらにあおり、被災地などでの混乱を助長しているとして、関係省庁で対応を協議していた。
(2011年4月6日22時36分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は今回の東日本大震災に関する範囲だけでなく、あらゆる分野に於いて拡大解釈を許されるならば、
私はネット世界の中の一部であるブログの世界しか分からないが、
サイト管理者に自主的な削除で、自主規制するのは反対である。
私はブログの投稿者自身が、程ほどの理性と感情をまじえながら、
自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、と思っている。
私は2004(平成16)年の10月下旬に、定年退職を迎えた頃、
『ホームページ』を立ち上げて、自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いを随筆風に綴り、
公開しょうと思案していたのである。
しかしながら、ホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然、11月の上旬に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知ったのである。
『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
私はブログの多くは匿名制度であるが、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のこと、日々思い思索していること、果てには政治の分野まで自在に発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意したのである。
これ以降、ブログ、ブログに準じたサイトに、4つばかり加入し迷走しながらも、
このサイトに日々投稿して実質5年ぐらいを迎えている。
もとより、大手のメディアのテレビで報じられるニュースは編成権、
新聞、総合月刊雑誌、週刊誌などの活字分野に於いても、専門知識を有した人たち、
これに準じた記者、編集者などが綴られた上で、
厳然たる編集権の下で、公表されている。
ブログの世界は、大手メディアの良悪の自己規制で公表されるのと違い、
個人のあらゆる分野のあふれだす思いを自由自在に発露された内容と思え、
このようにブログの投稿者自身は、たとえ匿名制度が多い中でも、
程ほどの理性と感情を交えながら、自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、
と思っているのである。
このように私は確信めいた心情を重ねたりしてきた。
そして、ここ10数年で社会の大きな時代の変貌ともに、
ブログの世界に於いても、日本だけでも、多くの方たちが活用されて、波及してきた。
全般のネットの世界に関しては、作家・エッセイストの中村うさぎ氏が、適言されて、
まぎれなく正鵠な言葉である、と私は同意させられたのである。
私の購読しているひとつの季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』に於いて、
今年の2011(平成23)年の季刊春号の特集のひとつとして、
『この10年で変わった世間の常識は何ですか?』
とあった。
このアンケートに著名人の34名の中で、中村うさぎ氏が回答を寄せられたのである。
無断であるが、転記させて頂く。
《・・
この10年でもっとも変わったのは、
「メディアとコミュニケーションの在り方」だと思う。
これまでのメディアを支配してきたTVや印刷媒体は、ネットに取って代わられ、
特に「ツイッター」「フェイスブック」などのソーシャルメディアによって、
コミュニケーションは「発信者=>受け手」という一方通行から
「発信者<=>受け手」という双方に変った。
また「YouTube」「ニコニコ動画」「USTREAM」の台頭により、
誰しもが発信者になれる時代になった。
メディアは「一部の特権者」から「民衆」の手に渡ったのである。
これは、情報の在り方はもちろん、
我々の意識すら塗り替える大きな変革として、
歴史に残るのではないかと思う。
・・
》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
この『文藝春秋 SPECIAL』の季刊春号が発売されたのは、
確か1月下旬であり、その後のアフリカ北部などの主要国の変貌、
そして今回の東日本大震災に活用されたことは、周知の通りである。
私はネットの中の一部のブログの世界でも、適用されると思っているひとりである。
改めて私が明言したいのは、
ブログの投稿者自身は、たとえ匿名制度が多い中でも、
程ほどの理性と感情をまじえながら、個人のあらゆる分野のあふれだす思いを、
自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、
と思っているのである。
余談であるが、政治にも疎(うと)い私が、鳩山政権の時に、
普天間基地の移転の難題に関し、鳩山首相が迷走したニュース記事を読んで、
私としては、園児のような言動に、あきれ果てて、
思わず国民のひとりとして、いたたまれずに投稿したりした。
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いつものように読売新聞の朝刊を読んだ後、
ネットでニュースを見ようと、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
この中のひとつに、大いに考えさせられたのである。
《 ネットの流言飛語、管理者の自主削除を要請 》
と題された記事である。
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・
ネットの流言飛語、管理者の自主削除を要請
総務省は6日、インターネットサービス事業者ら通信各社に対し、
東日本大震災に関するネット上の流言飛語について、表現の自由に配慮しつつ、適切に対応するよう要請した。
ネットのサイト管理者らに、
法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除などを求める。
震災後、地震や原発事故についての不確かな情報がネット上で流れ、
国民の不安をいたずらにあおり、被災地などでの混乱を助長しているとして、関係省庁で対応を協議していた。
(2011年4月6日22時36分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は今回の東日本大震災に関する範囲だけでなく、あらゆる分野に於いて拡大解釈を許されるならば、
私はネット世界の中の一部であるブログの世界しか分からないが、
サイト管理者に自主的な削除で、自主規制するのは反対である。
私はブログの投稿者自身が、程ほどの理性と感情をまじえながら、
自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、と思っている。
私は2004(平成16)年の10月下旬に、定年退職を迎えた頃、
『ホームページ』を立ち上げて、自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いを随筆風に綴り、
公開しょうと思案していたのである。
しかしながら、ホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然、11月の上旬に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知ったのである。
『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
私はブログの多くは匿名制度であるが、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のこと、日々思い思索していること、果てには政治の分野まで自在に発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意したのである。
これ以降、ブログ、ブログに準じたサイトに、4つばかり加入し迷走しながらも、
このサイトに日々投稿して実質5年ぐらいを迎えている。
もとより、大手のメディアのテレビで報じられるニュースは編成権、
新聞、総合月刊雑誌、週刊誌などの活字分野に於いても、専門知識を有した人たち、
これに準じた記者、編集者などが綴られた上で、
厳然たる編集権の下で、公表されている。
ブログの世界は、大手メディアの良悪の自己規制で公表されるのと違い、
個人のあらゆる分野のあふれだす思いを自由自在に発露された内容と思え、
このようにブログの投稿者自身は、たとえ匿名制度が多い中でも、
程ほどの理性と感情を交えながら、自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、
と思っているのである。
このように私は確信めいた心情を重ねたりしてきた。
そして、ここ10数年で社会の大きな時代の変貌ともに、
ブログの世界に於いても、日本だけでも、多くの方たちが活用されて、波及してきた。
全般のネットの世界に関しては、作家・エッセイストの中村うさぎ氏が、適言されて、
まぎれなく正鵠な言葉である、と私は同意させられたのである。
私の購読しているひとつの季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』に於いて、
今年の2011(平成23)年の季刊春号の特集のひとつとして、
『この10年で変わった世間の常識は何ですか?』
とあった。
このアンケートに著名人の34名の中で、中村うさぎ氏が回答を寄せられたのである。
無断であるが、転記させて頂く。
《・・
この10年でもっとも変わったのは、
「メディアとコミュニケーションの在り方」だと思う。
これまでのメディアを支配してきたTVや印刷媒体は、ネットに取って代わられ、
特に「ツイッター」「フェイスブック」などのソーシャルメディアによって、
コミュニケーションは「発信者=>受け手」という一方通行から
「発信者<=>受け手」という双方に変った。
また「YouTube」「ニコニコ動画」「USTREAM」の台頭により、
誰しもが発信者になれる時代になった。
メディアは「一部の特権者」から「民衆」の手に渡ったのである。
これは、情報の在り方はもちろん、
我々の意識すら塗り替える大きな変革として、
歴史に残るのではないかと思う。
・・
》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
この『文藝春秋 SPECIAL』の季刊春号が発売されたのは、
確か1月下旬であり、その後のアフリカ北部などの主要国の変貌、
そして今回の東日本大震災に活用されたことは、周知の通りである。
私はネットの中の一部のブログの世界でも、適用されると思っているひとりである。
改めて私が明言したいのは、
ブログの投稿者自身は、たとえ匿名制度が多い中でも、
程ほどの理性と感情をまじえながら、個人のあらゆる分野のあふれだす思いを、
自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、
と思っているのである。
余談であるが、政治にも疎(うと)い私が、鳩山政権の時に、
普天間基地の移転の難題に関し、鳩山首相が迷走したニュース記事を読んで、
私としては、園児のような言動に、あきれ果てて、
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