私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
このサイトに於いて、一昨日の14日に於いて、
【 遥か遠い昔、百年前のこの日、『タイタニック号が氷山に接触し沈没』と私は学び・・。】
と題して、投稿した。
この中に於いて、
1997(平成9)年に上映された映画、ジェームス・キャメロン・監督の『タイタニック』に関して、
【・・あのようなお子さまランチのような内容に、私は高校生の女子生ぐらいまでが感動するは瞬時に解かるが、
女子大生以上の大人の女性が魅了されるのか、解からないひとりであった。】
と私は綴ったりした。
そして私は映画の作品より、『タイタニック』の主題歌『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』を
唄われたセリーヌ・ディオンに圧倒的に魅了されている私は、
セリーヌ・ディオンに関して、数多く綴り、大いに肝要のテーマから脱線してしまったのである。
この後、この映画に於いて、【あのようなお子さまランチのような内容・・
女子大生以上の大人の女性が魅了されるのか、解からないひとりであった。】
と書き込んでいたが、
大人の女性が観賞し魅了される洋画の『恋愛映画』は、どのような作品ですか、
と抗議されるお方もいる、と思い、
私なりに遠い昔に思いを馳せながら、大人の『恋愛映画』を思い浮かべたりした。
私は1964(昭和39)年の東京オリンピックが開催された頃、
大学を中退し、アルバイト・契約社員などをしながら、
映画・文学青年の真似事をしたりした時期があった。
映画に関しては、シナリオ・ライターをめざしていたが、
新劇の長老から、映画で生活していくのは、益々大変な世界になる、
と助言を頂き、純文学の小説に転進した。
そして確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ安定したサラリーマンの身に転向し、
35年ばかり身過ぎ世過ぎのサラリーマンをし、定年退職を迎えた。
このように若き一時期に映画館に通ったりし、数多くの洋画・邦画の作品を観賞した。
そして定年退職を迎えた頃には、洋楽映画に関してだけでも、
少なくとも5000作品前後を鑑賞したかなぁ、と思ったりしていた。
こうした中でも、たとえば恋愛物のジャンルもあるが、
どなたでも人生のひととき、恋心を抱き、
物狂いのように冷静に先が見えなくなる状況を過ごされたと思うので、
こうした人生のある期間を切取った恋愛映画は私は好きである。
そして私は映画の作品からは、人生の教科書のように学んできたので、
大人の恋愛映画はある程度観たりしてきた。
こうした中で私なりに独断と偏見で、あえて3作品を選定すれば、
二十歳の頃は、デビット・リーンの『逢びき』(1948年)、
その後はジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1994年)、
アンソニー・ミンゲラの『イングリュシュ・ペイシェント』(1996年)が代表として瞬時に甦(よみが)る。
少し恥ずかしいことを告白すれば、
私が高校生の時は、ジョージ・スティーヴンスの『陽のあたる場所』(1952年)、
ヴィットリオ・デ・シーカの『終着駅』(1953年)、
エリア・カザンの『草原の輝き』(1961年)などを名画館で、
ため息したり、動悸しながら観たことをある。
このようなささやかな私の体験から、
やはり『タイタニック』(1997年)に関して、10代が魅了されるだけの、
お子さまランチなのである。
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【 遥か遠い昔、百年前のこの日、『タイタニック号が氷山に接触し沈没』と私は学び・・。】
と題して、投稿した。
この中に於いて、
1997(平成9)年に上映された映画、ジェームス・キャメロン・監督の『タイタニック』に関して、
【・・あのようなお子さまランチのような内容に、私は高校生の女子生ぐらいまでが感動するは瞬時に解かるが、
女子大生以上の大人の女性が魅了されるのか、解からないひとりであった。】
と私は綴ったりした。
そして私は映画の作品より、『タイタニック』の主題歌『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』を
唄われたセリーヌ・ディオンに圧倒的に魅了されている私は、
セリーヌ・ディオンに関して、数多く綴り、大いに肝要のテーマから脱線してしまったのである。
この後、この映画に於いて、【あのようなお子さまランチのような内容・・
女子大生以上の大人の女性が魅了されるのか、解からないひとりであった。】
と書き込んでいたが、
大人の女性が観賞し魅了される洋画の『恋愛映画』は、どのような作品ですか、
と抗議されるお方もいる、と思い、
私なりに遠い昔に思いを馳せながら、大人の『恋愛映画』を思い浮かべたりした。
私は1964(昭和39)年の東京オリンピックが開催された頃、
大学を中退し、アルバイト・契約社員などをしながら、
映画・文学青年の真似事をしたりした時期があった。
映画に関しては、シナリオ・ライターをめざしていたが、
新劇の長老から、映画で生活していくのは、益々大変な世界になる、
と助言を頂き、純文学の小説に転進した。
そして確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ安定したサラリーマンの身に転向し、
35年ばかり身過ぎ世過ぎのサラリーマンをし、定年退職を迎えた。
このように若き一時期に映画館に通ったりし、数多くの洋画・邦画の作品を観賞した。
そして定年退職を迎えた頃には、洋楽映画に関してだけでも、
少なくとも5000作品前後を鑑賞したかなぁ、と思ったりしていた。
こうした中でも、たとえば恋愛物のジャンルもあるが、
どなたでも人生のひととき、恋心を抱き、
物狂いのように冷静に先が見えなくなる状況を過ごされたと思うので、
こうした人生のある期間を切取った恋愛映画は私は好きである。
そして私は映画の作品からは、人生の教科書のように学んできたので、
大人の恋愛映画はある程度観たりしてきた。
こうした中で私なりに独断と偏見で、あえて3作品を選定すれば、
二十歳の頃は、デビット・リーンの『逢びき』(1948年)、
その後はジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1994年)、
アンソニー・ミンゲラの『イングリュシュ・ペイシェント』(1996年)が代表として瞬時に甦(よみが)る。
少し恥ずかしいことを告白すれば、
私が高校生の時は、ジョージ・スティーヴンスの『陽のあたる場所』(1952年)、
ヴィットリオ・デ・シーカの『終着駅』(1953年)、
エリア・カザンの『草原の輝き』(1961年)などを名画館で、
ため息したり、動悸しながら観たことをある。
このようなささやかな私の体験から、
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