夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『津波で漂流するがれき、1年後にハワイ到達・・』と学び、私はたまらない心情となり、そして・・。

2011-04-14 15:33:18 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
この中のひとつに、驚きながら読んだのである。

《 津波で漂流するがれき、1年後にハワイ到達 》

と題された記事である。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
       津波で漂流するがれき、1年後にハワイ到達

東日本大震災の巨大津波で、海に押し流された家屋やタイヤなどのがれきが、
1年後にハワイ諸島に漂着することが、
米ハワイ大学を拠点とする日米共同研究機関、国際太平洋研究センターの予測でわかった。

海流や過去に設置した観測用ブイの動きなどをもとにコンピューターで予測した。

その結果、がれきは太平洋北西部に広がった後、
東へ進み、一部がハワイ諸島の海岸に打ち上げられることが判明。

2014年3月には、カナダ・バンクーバー付近から米西海岸に漂着する。
大半はカリフォルニア沖の海流に乗って向きを変え、2016年春ごろ、再びハワイ周辺に達するという。

同センターは「ハワイには来年より5年後の方が、多くのがれきが流れ着くだろう」と分析している。

(2011年4月14日11時09分 読売新聞)
         
     ・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110414-OYT1T00442.htm?from=main3
☆【YOMIURI ONLINE】<==《 津波で漂流するがれき、1年後にハワイ到達 》☆


私は海のことも無知で、もとより海流のことも、恥ずかしながら知らない身である。

今回、東日本大震災の巨大津波で、この地にお住まいの人たちの家屋、日常に愛用された品、
そして自動車、漁船などが、海に押し流され、
残骸となって、太平洋上に漂流し、やがて1年を過ぎた頃に、一部がハワイ諸島に漂着する。

そして、一部は2014年3月に、カナダ・バンクーバー付近から米西海岸に漂着する。
或いは、大半はカリフォルニア沖の海流に乗って向きを変え、2016年春ごろ、再びハワイ周辺に達するという。

このようなことを私は初めて学んだが、何かしらやりきれない心情となった・・。

今回の巨大津波で、この地にお住まいの人たちの家屋、日常に愛用された品、
それぞれのひとつ一つの品には、もとより愛着と愛惜のある思いでの品々・・
あたかもお住まいの人たちの魂(たましい)の一部が漂流し、
さらけ出されたようで、いたたまれなく、たまらない心情となったりした。

そして幾年も漂流し、一部は海岸に打ち上げられたり、
或いは海上をさまようように2016年の春頃に、ハワイ周辺に達する・・。

こうした品に、私は叶(かな)うことができれば、
3月11日の東日本大震災の巨大津波の発生後、
せめて喪中の終る四十九日を過ぎた頃までに、海上から深い海底に沈み、安らかにお休み下さい、
とご冥福を重ねながら、切望をしたりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遥か遠い昔、百年前のこの日、『タイタニック号が氷山に接触し沈没』と私は学び・・。

2011-04-14 07:40:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
今朝、いつものように読売新聞を読んだ後、
ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
【新おとな総研】というコーナーがあるが、この中に【あの日あの時】と題された連載を読んだりした。

ときおり私は、この【あの日あの時】を読みながら、齢を重ねたせいか、
この記事を読みながら、過ぎ去り日々に思いを重ねて愛読している。

先ほど、本日の4月14日を見ていたら、

《 【 タイタニック号が氷山に接触し沈没。‐1912年(明治45年)‐ 】 》

と題された記事があり、百年前だったのか、と思いながら私は思わず読み込んでしまったのである・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
         タイタニック号が氷山に接触し沈没。‐1912年(明治45年)‐

英国の豪華客船タイタニック号は4月10日に英・サウサンプトン港から出航、
14日深夜、氷山に接触し、翌15日に沈没。
乗員乗客約1500人が犠牲となる、初航海の最中に起きた悲劇だった。

データベースを検索すると、
読売新聞(当時は「日就社」)にこのニュースが掲載されたのは18日になってからのようだ。
当時の通信技術を考えれば仕方がない。
しかし、紙面には
「大西洋上の惨禍 タイタニック沈没 乗客1500人遭難」
「救命艇を婦人に譲る 乗客中の男子が勇敢な行為」
「日本人も遭難」
「生存者は800余人 多数は婦女子 汽船『カーバシア』号に収容」など、
以降さまざまな形で映画化された惨劇をほうふつとさせるような見出しがズラリと並ぶ。
多くの記事には「ロイター電」というクレジットがついている。

小説や映画に描かれる遭難の様子とは違い、
タイタニックが実際、何が原因でどう沈没したのかという研究は、
1985年にアメリカ海軍の調査団が海底に沈むタイタニックを発見してから飛躍的に進んだ。

2004年には船体の損傷状態を調査するプロジェクトが実施され、
沈没した同船の国際的な保存条約もまとまった。

今後、さらに調査が進めば、詳細な新事実が次々と明らかになる可能性もあり、
これからもタイタニックにまつわる話題が絶えることはないだろう。(飯)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


私は現代史などの書物で概要は知っていたが、恥ずかしながら克明の知識のひとつとして、
1997(平成9)年に映画館で封切された映画『タイタニック』に思いを重ねてしまう。

ジェームス・キャメロンが製作、監督、脚本まで孤軍奮闘された野心作で、
巨費を投じて、興行上は歴代の記録を更新した大作である。

私はこの頃は、音楽業界のあるレコード会社で営業本部の片隅に勤め、
あのようなお子さまランチのような内容に、私は高校生の女子生ぐらいまでが感動するは瞬時に解かるが、
女子大生以上の大人の女性が魅了されるのか、解からないひとりであった。

私は映画の作品より、主題歌を唄われたセリーヌ・ディオンに圧倒的に魅了されたのである。


セリーヌ・ディオンに関しては、私の勤めていた会社とは他社のレコード会社であったが、
洋画に苦手な私でも、魅了されたひとりであった。

このことは、このサイトにも数多く綴っているので、
この中のひとつを再び掲載する。

【 私は昼下がりのひとときは、セリーヌ・ディオンを視聴し・・。】
と題して、2009年10月24日に投稿している。

【・・
先程、【You Tube】でセリーヌ・ディオンの20数曲を視聴したのであるが、
やはりセリーヌ・ディオンはスタジオ録音、そしてプロモーション・ビデオよりは、
圧倒的に魅了されるのはライブ版かしら、と確信を深めたりしたのである・・。

私はセリーヌ・ディオンに魅せられて、このサイトに於いても幾度か投稿しているが、
この中のひとつの【年金小父さんでも、ときには、セリーヌ・ディオン・・♪】、
今年の4月下旬に投稿した大半を掲載する。

【・・
(略)
私は洋楽は苦手な分野であるが、
ときおり1950年代~2000年の頃までを聴いたりしているが、
街中の洋楽ファンより無知な方である。

昨日の深夜11時過ぎに、たまたまビデオ棚より、セリーヌ・ディオンのライブ版を視聴したりした・・。


1997年に公開された映画の『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』に於き、
音楽ファン以外にも世界的に魅了させ、認知させた歌姫である。


http://www.youtube.com/watch?v=saalGKY7ifU&feature=related
『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』プロモーション・ビデオ


私が視聴したのは、このテーマ・ソングの以前の『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)と、
以降の休業直前、大スターさえもあこがれのニューヨークにあるラジオシティ・ミュージック・ホールに於ける
『HOLY NIGHTU LIVE』である。

短絡的に云えば、世界の頂点のまじか、そして頂点の直後のビデオである。

洋楽に関しては、知らないことが多過ぎるが、
特にアメリカ音楽はプロデューサーの力量いかんで、と周知されている。

今や伝説のひとつとして、セリーヌ・ディオンが12歳の時、
音楽マネジャーをしていたレオ・アンジェリルが彼女の才能と歌声に魅了されて、
自宅を担保としてデビュー・アルバムの資金を調達したことで知られている。

そしてフランス語のアルバムが成功し、ケベック地方のスターとなり、
数多くツアーの勧誘があったが、
この才能をつぶされてしまうのはほしい、
とレオ・アンジェリルは断り、破産の宣告を受けたのである。

これ以降は、セリーヌ・ディオンに英語を習得させ、
著名な音楽演奏、関係者との機会を与えて、ショウ・ビジネスの頂点の一角に導いた、
と私は思ったりしている。

そして何よりセリーヌ・ディオン自身が不断の努力で、ハイトーン・クリアー・ヴォイスの歌声、
そして肝要な歌詞の表現力に磨きをかけたことは云うまでもないことである。

私は未熟でつたない洋楽歴に於いて、
このお2人の二人三脚の成功ぐらい他の例は知らないのである。

全米の音楽市場に於いて、多くの有数な大スターさえも、
一時的に全米の頂点を立てて、
やがて、ある期間が過ぎると、個性がまさり色あせてしまうからである。

私はセリーヌ・ディオンの唄声に酔いしれながら、
『パワー・オブ・ラブ』、『ツゥー・ラブ・ユー・モア』等を聴くたびに、
どなたにも魅了させる普遍性である、と感じたりしている。

http://www.youtube.com/watch?v=YaItPjWo7Ks
『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)『パワー・オブ・ラブ』

http://www.youtube.com/watch?v=Zq17mbj8RHI
『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)『ツゥー・ラブ・ユー・モア』

個性を強く全面に押し出すと、頂点も早いが、飽きられる欠点があるので、
たぐいに稀(まれ)なお2人は、この点は充分ご承知で、
ゆっくりと世界の頂点を目指されたのだろう、
と私は2本のビデオを視聴して深夜のひとときを過ごしたのである。


今朝は少し寝不足でぼんやりとし、
このビデオのライブ版の実感を伝えたくて、無料音楽の【You Tube】サイトで検索していたが、
2時間半ばかりセリーヌ・ディオンの唄声に聴き惚れて、心酔したりしていた。
結果としては、やむえず上記に添付したシーンしかないかしら、
と少し無念さもあるので、微苦笑しているのが本音である・・。
・・】

このように投稿していたのであるが、
先程、『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』の世界的なヒットで、
世界の音楽の頂点に達した後、パヴァロッティが主催となったチャリティ・コンサートで、
1998年のイタリア公演に招待された時のビデオがある。

最後に、私も熱愛者のひとりであるので、所有しているが、
【You Tube】にも幸いにあるので、掲載させて頂く。


http://www.youtube.com/watch?v=DHyJTpDFgc8&feature=related
1998年のイタリア公演 『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』

・・】

このように投稿している。

肝要な『タイタニック号が氷山に接触し沈没』の出来事から、大幅に脱線してしまったが、
私はこの『タイタニック号が氷山に接触し沈没』を思い馳せると、
つたない私はセリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』に思いを馳せてしまう
程度の低い男である。

尚、予断であるが、この映画の『タイタニック』のビデオテープが日本で販売された時、
私の勤めていた会社とは関係ないが、
空前の販売記録をされた、と私は風の噂で聞いたりしていた。

下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする