私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
3月11日の巨大震災の発生後、大津波が発生して、福島第一原子力発電所に津波が原発に襲いかかり、
このとき以来、幾たびに大惨事を重ね今日至っているが、
恥ずかしいことを告白すれば、この大惨事の前、原子力発電所のことは、まったくの無知であった。
大惨事の発生以降は、新聞、雑誌など読んだり、
或いはテレビのニュースで視聴したりして、わずかながら少しは解かり、
つたないなりにこのサイトに幾たびか投稿をしたりしてきた・・。
そして最終的な結論として、日本の原子力に関する行政のしくみが欧米と比較しても、
不思議で危険性を感じて、
【 日本の『原子力行政の組織』、無知な私さえも不可解と感じ、国民より信頼される原発体制の構築を・・。】
と3月30日に投稿した。
私は大惨事の前、電力会社は地域独占民間企業であるので、
単純に東北地方は東北電力、関東地方は東京電力、中部地方は中部電力・・
供給管轄範囲なので、それぞれの発電所は原則として、
この地方内に存在する、と思っていたのである。
ただし、例外として、黒部ダムは映画などで観賞していたので、
関西電力の管轄下である、と知っていた程度であった。
そして、今回の大惨事の直後、
福島第一原子力発電所が東京電力の管轄下にあると知り、動顚したひとりである。
そして東京電力は、供給管内と関係のない福島県に、なぜ原発で出来たの、
恥ずかしながら知り、それから数多くの記事を読んだりして、教示をされた。
私が学んだ中で、最も解かりやすかった記事は、『週刊ポスト』からネット配信された記事で、
読み終わった後、うなだれて無力感で失意した。
この記事を無断であるが、転載させて頂く。
《・・
福島第一原発 原子炉6基並ぶ世界に例ない“原発銀座”の理由
2011.03.30 16:00
東電の供給管内ではない福島(東北電力管内)に、なぜ東電の原発があるのか。
2007年の中越沖地震で緊急停止した柏崎刈羽原発も、
設置は東電だが、所在地は東北電力管内の新潟。
両原発ともに、福島や新潟には、電気をほとんど供給していない。
日本の原子力発電の歴史は1955年の原子力基本法制定に始まり、
1966年に日本原子力発電(※1)の東海発電所(茨城県)が運転を開始した(1998年に稼働終了)。
そして、1970年代に起きたオイルショックが、原発建設を加速させる。
国が発電の原子力シフトを打ち出したことにより、
福島第一原発のほか、関西電力の美浜原発や高浜原発(いずれも福井県)、
中国電力の島根原発などが相次いで運転を開始した。
1974年には電源三法(※2)が制定され、受け入れる自治体に補助金を交付する仕組みが作られた。
「有り体にいえば、原発建設に反対する住民を懐柔するための法律です。
自治体首長たちは、補助金目当てに発電所誘致に名乗りを上げ、
住民の間にも、誘致が決まれば地元が潤う、と賛成する者が増えた。
その結果、東電の原発が管内とは、別のエリアに建設されるようになった」(経産省OB)
受け入れ自治体にとって電源三法の旨味は、5~6年を要する工事期間にある。
経産省が示すモデルケースによれば、
建設中は年間80億円近い補助金が交付されるが、
稼働後は4分の1に下がる(出力315万キロワット規模の発電所の場合)。
固定資産税収入も減価償却で年々減少する。
「誘致した自治体は歳入減を避けたい。
“1機誘致したら2機も3機も変わらない”と、新規建設を受け入れていく」(同前)
そして、福島第一には、あのような原子炉が6基も並び、世界に例のない原発銀座ができあがった。
(※1)日本電子力発電/1957年、原子力発電の事業化のために設立された原子力発電専業の会社。
現在、東海第二発電所や敦賀発電所の運転操作を行なう。筆頭株主は東京電力。
(※2)電源三法/1974年に定められた「電源開発促進税法」
「特別会計に関する法律(旧・電源開発促進対策特別会計法)」「発電用施設周辺地域整備法」のこと。
施設周辺の公共施設の整備を促し、地域住民の福祉向上を図ることで、
電源立地のメリットを地元に還元することが目的。
※『週刊ポスト』2011年4月8日号・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
この記事を読んだ後、うなだれて無力感で失意した。
そして、敬愛する小説家・水上勉(みずかみ・つとむ)氏の遺(のこ)された小説のひとつ
『故郷』(集英社、1997年・発刊)の一節に思いを馳せたのは、
3月31日であった。
この時の私の心情は、後日に投稿する予定である。
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3月11日の巨大震災の発生後、大津波が発生して、福島第一原子力発電所に津波が原発に襲いかかり、
このとき以来、幾たびに大惨事を重ね今日至っているが、
恥ずかしいことを告白すれば、この大惨事の前、原子力発電所のことは、まったくの無知であった。
大惨事の発生以降は、新聞、雑誌など読んだり、
或いはテレビのニュースで視聴したりして、わずかながら少しは解かり、
つたないなりにこのサイトに幾たびか投稿をしたりしてきた・・。
そして最終的な結論として、日本の原子力に関する行政のしくみが欧米と比較しても、
不思議で危険性を感じて、
【 日本の『原子力行政の組織』、無知な私さえも不可解と感じ、国民より信頼される原発体制の構築を・・。】
と3月30日に投稿した。
私は大惨事の前、電力会社は地域独占民間企業であるので、
単純に東北地方は東北電力、関東地方は東京電力、中部地方は中部電力・・
供給管轄範囲なので、それぞれの発電所は原則として、
この地方内に存在する、と思っていたのである。
ただし、例外として、黒部ダムは映画などで観賞していたので、
関西電力の管轄下である、と知っていた程度であった。
そして、今回の大惨事の直後、
福島第一原子力発電所が東京電力の管轄下にあると知り、動顚したひとりである。
そして東京電力は、供給管内と関係のない福島県に、なぜ原発で出来たの、
恥ずかしながら知り、それから数多くの記事を読んだりして、教示をされた。
私が学んだ中で、最も解かりやすかった記事は、『週刊ポスト』からネット配信された記事で、
読み終わった後、うなだれて無力感で失意した。
この記事を無断であるが、転載させて頂く。
《・・
福島第一原発 原子炉6基並ぶ世界に例ない“原発銀座”の理由
2011.03.30 16:00
東電の供給管内ではない福島(東北電力管内)に、なぜ東電の原発があるのか。
2007年の中越沖地震で緊急停止した柏崎刈羽原発も、
設置は東電だが、所在地は東北電力管内の新潟。
両原発ともに、福島や新潟には、電気をほとんど供給していない。
日本の原子力発電の歴史は1955年の原子力基本法制定に始まり、
1966年に日本原子力発電(※1)の東海発電所(茨城県)が運転を開始した(1998年に稼働終了)。
そして、1970年代に起きたオイルショックが、原発建設を加速させる。
国が発電の原子力シフトを打ち出したことにより、
福島第一原発のほか、関西電力の美浜原発や高浜原発(いずれも福井県)、
中国電力の島根原発などが相次いで運転を開始した。
1974年には電源三法(※2)が制定され、受け入れる自治体に補助金を交付する仕組みが作られた。
「有り体にいえば、原発建設に反対する住民を懐柔するための法律です。
自治体首長たちは、補助金目当てに発電所誘致に名乗りを上げ、
住民の間にも、誘致が決まれば地元が潤う、と賛成する者が増えた。
その結果、東電の原発が管内とは、別のエリアに建設されるようになった」(経産省OB)
受け入れ自治体にとって電源三法の旨味は、5~6年を要する工事期間にある。
経産省が示すモデルケースによれば、
建設中は年間80億円近い補助金が交付されるが、
稼働後は4分の1に下がる(出力315万キロワット規模の発電所の場合)。
固定資産税収入も減価償却で年々減少する。
「誘致した自治体は歳入減を避けたい。
“1機誘致したら2機も3機も変わらない”と、新規建設を受け入れていく」(同前)
そして、福島第一には、あのような原子炉が6基も並び、世界に例のない原発銀座ができあがった。
(※1)日本電子力発電/1957年、原子力発電の事業化のために設立された原子力発電専業の会社。
現在、東海第二発電所や敦賀発電所の運転操作を行なう。筆頭株主は東京電力。
(※2)電源三法/1974年に定められた「電源開発促進税法」
「特別会計に関する法律(旧・電源開発促進対策特別会計法)」「発電用施設周辺地域整備法」のこと。
施設周辺の公共施設の整備を促し、地域住民の福祉向上を図ることで、
電源立地のメリットを地元に還元することが目的。
※『週刊ポスト』2011年4月8日号・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
この記事を読んだ後、うなだれて無力感で失意した。
そして、敬愛する小説家・水上勉(みずかみ・つとむ)氏の遺(のこ)された小説のひとつ
『故郷』(集英社、1997年・発刊)の一節に思いを馳せたのは、
3月31日であった。
この時の私の心情は、後日に投稿する予定である。
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