夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京電力は、供給管内と関係のない福島県に、なぜ原発で出来たの、と私は改めて・・。

2011-04-17 17:19:06 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
3月11日の巨大震災の発生後、大津波が発生して、福島第一原子力発電所に津波が原発に襲いかかり、
このとき以来、幾たびに大惨事を重ね今日至っているが、
恥ずかしいことを告白すれば、この大惨事の前、原子力発電所のことは、まったくの無知であった。

大惨事の発生以降は、新聞、雑誌など読んだり、
或いはテレビのニュースで視聴したりして、わずかながら少しは解かり、
つたないなりにこのサイトに幾たびか投稿をしたりしてきた・・。

そして最終的な結論として、日本の原子力に関する行政のしくみが欧米と比較しても、
不思議で危険性を感じて、
【 日本の『原子力行政の組織』、無知な私さえも不可解と感じ、国民より信頼される原発体制の構築を・・。】
と3月30日に投稿した。


私は大惨事の前、電力会社は地域独占民間企業であるので、
単純に東北地方は東北電力、関東地方は東京電力、中部地方は中部電力・・
供給管轄範囲なので、それぞれの発電所は原則として、
この地方内に存在する、と思っていたのである。

ただし、例外として、黒部ダムは映画などで観賞していたので、
関西電力の管轄下である、と知っていた程度であった。

そして、今回の大惨事の直後、
福島第一原子力発電所が東京電力の管轄下にあると知り、動顚したひとりである。

そして東京電力は、供給管内と関係のない福島県に、なぜ原発で出来たの、
恥ずかしながら知り、それから数多くの記事を読んだりして、教示をされた。

私が学んだ中で、最も解かりやすかった記事は、『週刊ポスト』からネット配信された記事で、
読み終わった後、うなだれて無力感で失意した。

この記事を無断であるが、転載させて頂く。

《・・
        福島第一原発 原子炉6基並ぶ世界に例ない“原発銀座”の理由
                                 2011.03.30 16:00

東電の供給管内ではない福島(東北電力管内)に、なぜ東電の原発があるのか。

2007年の中越沖地震で緊急停止した柏崎刈羽原発も、
設置は東電だが、所在地は東北電力管内の新潟。

両原発ともに、福島や新潟には、電気をほとんど供給していない。


日本の原子力発電の歴史は1955年の原子力基本法制定に始まり、
1966年に日本原子力発電(※1)の東海発電所(茨城県)が運転を開始した(1998年に稼働終了)。

そして、1970年代に起きたオイルショックが、原発建設を加速させる。
国が発電の原子力シフトを打ち出したことにより、
福島第一原発のほか、関西電力の美浜原発や高浜原発(いずれも福井県)、
中国電力の島根原発などが相次いで運転を開始した。

1974年には電源三法(※2)が制定され、受け入れる自治体に補助金を交付する仕組みが作られた。

「有り体にいえば、原発建設に反対する住民を懐柔するための法律です。
自治体首長たちは、補助金目当てに発電所誘致に名乗りを上げ、
住民の間にも、誘致が決まれば地元が潤う、と賛成する者が増えた。
その結果、東電の原発が管内とは、別のエリアに建設されるようになった」(経産省OB)

受け入れ自治体にとって電源三法の旨味は、5~6年を要する工事期間にある。
経産省が示すモデルケースによれば、
建設中は年間80億円近い補助金が交付されるが、
稼働後は4分の1に下がる(出力315万キロワット規模の発電所の場合)。
固定資産税収入も減価償却で年々減少する。

「誘致した自治体は歳入減を避けたい。
“1機誘致したら2機も3機も変わらない”と、新規建設を受け入れていく」(同前)

そして、福島第一には、あのような原子炉が6基も並び、世界に例のない原発銀座ができあがった。

(※1)日本電子力発電/1957年、原子力発電の事業化のために設立された原子力発電専業の会社。
現在、東海第二発電所や敦賀発電所の運転操作を行なう。筆頭株主は東京電力。

(※2)電源三法/1974年に定められた「電源開発促進税法」
「特別会計に関する法律(旧・電源開発促進対策特別会計法)」「発電用施設周辺地域整備法」のこと。
施設周辺の公共施設の整備を促し、地域住民の福祉向上を図ることで、
電源立地のメリットを地元に還元することが目的。

※『週刊ポスト』2011年4月8日号・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


この記事を読んだ後、うなだれて無力感で失意した。

そして、敬愛する小説家・水上勉(みずかみ・つとむ)氏の遺(のこ)された小説のひとつ
『故郷』(集英社、1997年・発刊)の一節に思いを馳せたのは、
3月31日であった。
この時の私の心情は、後日に投稿する予定である。


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ある被災地の高校生の状況を学び、無力な私は涙を浮かべ、そして励ましの歌の2曲を選び・・。

2011-04-17 14:06:57 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
今朝、いつものように読売新聞を読み、愛読している『編集手帳』を読み終わった後、
涙を浮かべてしまった・・。

この記事と同一なのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載されているので、
無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
           4月17日付 編集手帳

避難所になった岩手県大槌町の高校を取材した本紙記者が、
最初に見たのは校内でボランティア活動に精を出す約30人の生徒たちの笑顔だった。

炊き出し、トイレ用の水くみ、駐車場の交通整理。

このうち10人は家族の行方がわからない。
自身が大津波にのまれ、廃材につかまり生き延びた生徒もいた。

「昼間は気丈に振る舞っていますが」。
副校長は硬い表情で言ったそうである。
「夜、1人になると、真っ暗な校内で突然泣き出すんです」

闇。嗚咽(おえつ)。その光景を思い浮かべるたびに胸が痛む。
せめて福島県郡山市出身の俳優西田敏行さんが、
本紙に寄せた被災地への「声援」の言葉を届けたい。
「どうか1人の時間を作って、思い切り泣いてください」

「涙が乾いた後に新たな道が見えてくると私は信じています。
皆さんが腹の底からの笑顔を取り戻せるように私も応援を続けていきます」。

今必要なのは、子どもたちの心のケアであろう。
被災地の小中高校に、千人以上の学校カウンセラーを配置する準備が進められている。
寄り添って、話を聞いてやってほしい。
涙が悲しみを少しでも洗い流せばいい。

(2011年4月17日01時20分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


このような内容であるが、もとより予告もなく突然に巨大地震、そして前代未聞の大津波・・
何とか生き残れた高校生の一部の人たち・・。
そして、この中の一部の方には、家族の行方がわからない方もいる・・。

こうした悲惨の状況の中で、日中は校内で炊き出し、トイレ用の水くみ、駐車場の交通整理などの
ボランティア活動に精を出すが、
夜のとばりになると・・。

誰だって・・たまらない不安に心いっぱいになるし・・
まして多感な高校生の時代でもあるし・・
と私は思い馳せながら、涙を浮かべていた。


齢ばかり重ね無力な私は、平常時の社会でも、不幸なことがたびたび人生の途上にある、
と拙(つたな)い私でも、小学2年の時に父に病死されたり、その後にも幾たびか体験してきたが、
未知の遠い地に住む高校生たちには励ましにならない、とも思ったりした。

やむえず、せめて私の知っている歌の2曲ばかり選定してみたりした。
【You Tube】にも幸いにあるので、掲載させて頂く。

http://www.youtube.com/watch?v=xBH0ebSdADQ&feature=related
☆岡本真夜さんの『TOMORROW』【PV】 ☆

http://www.youtube.com/watch?v=E-surjQ5Qh4&feature=related
☆ZARDの坂井泉水さんの『負けないで』 ライブ HD ☆

この2曲は、私が50代のサラリーマン時代の時、何かと慰めら、励ましを受けた曲でもあり、
高校生の君だって・・わかって頂けると信じて、選定した。


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