夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

曽野綾子さん、今回の大震災に寄せられた発言に、つたない私はうなだれて・・。

2011-04-10 17:09:13 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昨日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたのであるが、
今回の東日本大震災に基づいた【克服へ ~ 識者インタビュー ~】と題した連載記事があり、
この日には、読売新聞・生活情報部の榊原智子・記者が、
曽野綾子(その・あやこ)氏にインタビューされ、
そのインタビューの曽野綾子氏が発言された記事が掲載されていた。

私は、曽野綾子氏はある程度の発言は予期していたが、
想像した以上であったので、まるで私のつたない知識をさらけ出されたようで、
動顚させられたのである。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていたので、
もとより曽野綾子さんの小説の初期作品は読んでいる。

その後の私は、映画・文学青年の真似事をつたなくも挫折し、
民間会社のサラリーマンを35年ばかりし、定年退職となり、
この間、曽野綾子さんのエッセイの本を3冊ぐらいしか読んでいなく、
たまたま曽野綾子さんのご著作の『自分の始末』(扶桑社新書)を読書中で、
多々教示を受けている最中であった。


私は若き頃に、知性を秘めた怖い先輩の言動を学べ、そして自身のつたなさ、謙虚を知り、自身の糧となせ、
と何かの本で読んだりしていたのであるが、
今回の曽野綾子さんの発言を精読すると、
あなた人生を60何年も過ごしているのに、何も学んでいない・・、
と曽野綾子さんから叱咤を受けたように心境となったのである。

読売新聞社、そして曽野綾子さんには無断で恐縮であるが、今回の記事を大半転記させて頂く。


《・・
私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。
今回の東日本大震災によって、
甘やかされていた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。

私は長く海外援助活動にかかわり、
アフリカなどへ度々出かけるので、日本は夢のような国だと思っていた。
電気や水道が絶え間なく供給され、交通や通信がいつでも使える。
多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。
しかい、今回、国のあり方の基本が崩れた。

「欲しい」と思えば何でも手に入れる社会は、異常社会だ。
私は、電気も水も止まるものだと思っているから、
普段から自宅の瓶に水を取り置き、練炭、炭、火鉢も床下に保管している。
カセットコンロも常備している。
頻繁に停電するアフリカでは、いつも手元のバッグに懐中電灯と水、ビスケットを用意している。

政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言うが、そんなものはありえない。
老年世代までが、政治家のそんな言葉を信じていた。
政治家も有権者も、自分の頭で考えることをしなくなっている。

震災後、政府の不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。
しかし、犯人捜しをしても仕方がないことだ。
現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと日本は復興に向って歩き出せない。

そうした時代に生きる私たちは、国家やシステムを疑い、
それらにあまり依存しないことだ。
日本には優秀な技術者や官僚がいるから、
被災したライフラインも間もなく復旧されるだろう。
私もシステムにお世話になっているが、
最後は自分で自分を助けることができなければ、
人間として義務が欠けると考えている。

国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。
めいめいが自分で考え、行動する癖を身に着けることだ。
それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。
被災地の支援も国家に頼るのでなく、
「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。
出さない人がいてもいい。
だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。

東北の人たちが礼儀正しく、苦しさのなかでも微笑をたたえていられるのは、
雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、
日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう。
以前は集団の出稼ぎもあった。
苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい。

人間は本来、苦しみに耐えるようできている。
ところが、今の子どもたちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。
子どもにも耐える体験をさせることが大切だ。

18歳になった若者に一年間、
サバイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた。
携帯電話から離れ、大部屋で暮らし、他人と自分を助けるのに役立つ力を持てるように、
心身を鍛えることは必要だと思う。

アウグスティヌスは「すべて存在するものは善いものである」と言う。
この世にあるもの、起こることには意味があるということだ。
今回の事態から何を学ぶか。
一人一人が考えることだ。
・・》
注)掲載されている記事にあえて改行を多くした。


私は中段の《・・だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。・・》で、
転記を止めようとしたが、真意が伝わらないの困るので、全文を転記させて頂いた。


この記事を昨日の朝に読んだ後、こうしたメッセージを発言されたか、
と確固たる信念のある曽野綾子さんだ、と私はうなだれたりした。

そして、あたかも曽野綾子さんから、
あなた人生を60何年も過ごしているのに、何も学んでいない・・、
と曽野綾子さんから叱咤を受けたように心境となったのである。


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都政に疎(うと)い私でも、都民の有権者のひとりとして、『都知事選』に清き一票を・・。

2011-04-10 08:18:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
調布市の市民であり、東京都の都民のひとりである。
そして、恥ずかしながら選挙権のある有権者のひとりでもある。

たまたま本日、東京都の知事を選定する選挙が実施されるので、
私は指定された投票所で、清き一票を投票する・・。

私は政治にも疎(うと)く、東京都の行政も無知に近いひとりなので、
立候補者の公約などを深く精読し、この人だったならば、
今後の東京都の4年間の行政の首長として、託(たく)すことができるかしら、
と思いながら立候補者の氏名を記載するのである。


私は二十歳以来から、有権者の身でありながら投票されない人は、
日常生活で不満があっても発言権がない、と固く信じているひとりである。

今回の都知事選は、少なからず有権者の選択した立候補は、
今後の東京都の4年間の行政を託(たく)す重要な要となるので、軽視はできない。

前提条件として、もとより日本は民主主義の国であるから、
多少の不満があっても立候補された中で選択をせざるを得ない。

しかし有権者の判断の結果、今後の都政、そして日本の国政にも首都・東京は影響が多大なので、
有権者の責任も重いが、
何より有権者から託(たく)された都知事となる方の言動は重責である。


このように齢ばかり重ね、体力も衰えた私があえて綴ったのは、
ひとえに有権者の方に、出来るだけ多くの方に投票して頂きたい思いからである。


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