私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昨日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたのであるが、
今回の東日本大震災に基づいた【克服へ ~ 識者インタビュー ~】と題した連載記事があり、
この日には、読売新聞・生活情報部の榊原智子・記者が、
曽野綾子(その・あやこ)氏にインタビューされ、
そのインタビューの曽野綾子氏が発言された記事が掲載されていた。
私は、曽野綾子氏はある程度の発言は予期していたが、
想像した以上であったので、まるで私のつたない知識をさらけ出されたようで、
動顚させられたのである。
私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていたので、
もとより曽野綾子さんの小説の初期作品は読んでいる。
その後の私は、映画・文学青年の真似事をつたなくも挫折し、
民間会社のサラリーマンを35年ばかりし、定年退職となり、
この間、曽野綾子さんのエッセイの本を3冊ぐらいしか読んでいなく、
たまたま曽野綾子さんのご著作の『自分の始末』(扶桑社新書)を読書中で、
多々教示を受けている最中であった。
私は若き頃に、知性を秘めた怖い先輩の言動を学べ、そして自身のつたなさ、謙虚を知り、自身の糧となせ、
と何かの本で読んだりしていたのであるが、
今回の曽野綾子さんの発言を精読すると、
あなた人生を60何年も過ごしているのに、何も学んでいない・・、
と曽野綾子さんから叱咤を受けたように心境となったのである。
読売新聞社、そして曽野綾子さんには無断で恐縮であるが、今回の記事を大半転記させて頂く。
《・・
私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。
今回の東日本大震災によって、
甘やかされていた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。
私は長く海外援助活動にかかわり、
アフリカなどへ度々出かけるので、日本は夢のような国だと思っていた。
電気や水道が絶え間なく供給され、交通や通信がいつでも使える。
多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。
しかい、今回、国のあり方の基本が崩れた。
「欲しい」と思えば何でも手に入れる社会は、異常社会だ。
私は、電気も水も止まるものだと思っているから、
普段から自宅の瓶に水を取り置き、練炭、炭、火鉢も床下に保管している。
カセットコンロも常備している。
頻繁に停電するアフリカでは、いつも手元のバッグに懐中電灯と水、ビスケットを用意している。
政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言うが、そんなものはありえない。
老年世代までが、政治家のそんな言葉を信じていた。
政治家も有権者も、自分の頭で考えることをしなくなっている。
震災後、政府の不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。
しかし、犯人捜しをしても仕方がないことだ。
現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと日本は復興に向って歩き出せない。
そうした時代に生きる私たちは、国家やシステムを疑い、
それらにあまり依存しないことだ。
日本には優秀な技術者や官僚がいるから、
被災したライフラインも間もなく復旧されるだろう。
私もシステムにお世話になっているが、
最後は自分で自分を助けることができなければ、
人間として義務が欠けると考えている。
国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。
めいめいが自分で考え、行動する癖を身に着けることだ。
それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。
被災地の支援も国家に頼るのでなく、
「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。
出さない人がいてもいい。
だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。
東北の人たちが礼儀正しく、苦しさのなかでも微笑をたたえていられるのは、
雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、
日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう。
以前は集団の出稼ぎもあった。
苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい。
人間は本来、苦しみに耐えるようできている。
ところが、今の子どもたちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。
子どもにも耐える体験をさせることが大切だ。
18歳になった若者に一年間、
サバイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた。
携帯電話から離れ、大部屋で暮らし、他人と自分を助けるのに役立つ力を持てるように、
心身を鍛えることは必要だと思う。
アウグスティヌスは「すべて存在するものは善いものである」と言う。
この世にあるもの、起こることには意味があるということだ。
今回の事態から何を学ぶか。
一人一人が考えることだ。
・・》
注)掲載されている記事にあえて改行を多くした。
私は中段の《・・だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。・・》で、
転記を止めようとしたが、真意が伝わらないの困るので、全文を転記させて頂いた。
この記事を昨日の朝に読んだ後、こうしたメッセージを発言されたか、
と確固たる信念のある曽野綾子さんだ、と私はうなだれたりした。
そして、あたかも曽野綾子さんから、
あなた人生を60何年も過ごしているのに、何も学んでいない・・、
と曽野綾子さんから叱咤を受けたように心境となったのである。
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昨日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたのであるが、
今回の東日本大震災に基づいた【克服へ ~ 識者インタビュー ~】と題した連載記事があり、
この日には、読売新聞・生活情報部の榊原智子・記者が、
曽野綾子(その・あやこ)氏にインタビューされ、
そのインタビューの曽野綾子氏が発言された記事が掲載されていた。
私は、曽野綾子氏はある程度の発言は予期していたが、
想像した以上であったので、まるで私のつたない知識をさらけ出されたようで、
動顚させられたのである。
私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていたので、
もとより曽野綾子さんの小説の初期作品は読んでいる。
その後の私は、映画・文学青年の真似事をつたなくも挫折し、
民間会社のサラリーマンを35年ばかりし、定年退職となり、
この間、曽野綾子さんのエッセイの本を3冊ぐらいしか読んでいなく、
たまたま曽野綾子さんのご著作の『自分の始末』(扶桑社新書)を読書中で、
多々教示を受けている最中であった。
私は若き頃に、知性を秘めた怖い先輩の言動を学べ、そして自身のつたなさ、謙虚を知り、自身の糧となせ、
と何かの本で読んだりしていたのであるが、
今回の曽野綾子さんの発言を精読すると、
あなた人生を60何年も過ごしているのに、何も学んでいない・・、
と曽野綾子さんから叱咤を受けたように心境となったのである。
読売新聞社、そして曽野綾子さんには無断で恐縮であるが、今回の記事を大半転記させて頂く。
《・・
私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。
今回の東日本大震災によって、
甘やかされていた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。
私は長く海外援助活動にかかわり、
アフリカなどへ度々出かけるので、日本は夢のような国だと思っていた。
電気や水道が絶え間なく供給され、交通や通信がいつでも使える。
多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。
しかい、今回、国のあり方の基本が崩れた。
「欲しい」と思えば何でも手に入れる社会は、異常社会だ。
私は、電気も水も止まるものだと思っているから、
普段から自宅の瓶に水を取り置き、練炭、炭、火鉢も床下に保管している。
カセットコンロも常備している。
頻繁に停電するアフリカでは、いつも手元のバッグに懐中電灯と水、ビスケットを用意している。
政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言うが、そんなものはありえない。
老年世代までが、政治家のそんな言葉を信じていた。
政治家も有権者も、自分の頭で考えることをしなくなっている。
震災後、政府の不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。
しかし、犯人捜しをしても仕方がないことだ。
現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと日本は復興に向って歩き出せない。
そうした時代に生きる私たちは、国家やシステムを疑い、
それらにあまり依存しないことだ。
日本には優秀な技術者や官僚がいるから、
被災したライフラインも間もなく復旧されるだろう。
私もシステムにお世話になっているが、
最後は自分で自分を助けることができなければ、
人間として義務が欠けると考えている。
国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。
めいめいが自分で考え、行動する癖を身に着けることだ。
それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。
被災地の支援も国家に頼るのでなく、
「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。
出さない人がいてもいい。
だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。
東北の人たちが礼儀正しく、苦しさのなかでも微笑をたたえていられるのは、
雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、
日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう。
以前は集団の出稼ぎもあった。
苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい。
人間は本来、苦しみに耐えるようできている。
ところが、今の子どもたちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。
子どもにも耐える体験をさせることが大切だ。
18歳になった若者に一年間、
サバイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた。
携帯電話から離れ、大部屋で暮らし、他人と自分を助けるのに役立つ力を持てるように、
心身を鍛えることは必要だと思う。
アウグスティヌスは「すべて存在するものは善いものである」と言う。
この世にあるもの、起こることには意味があるということだ。
今回の事態から何を学ぶか。
一人一人が考えることだ。
・・》
注)掲載されている記事にあえて改行を多くした。
私は中段の《・・だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。・・》で、
転記を止めようとしたが、真意が伝わらないの困るので、全文を転記させて頂いた。
この記事を昨日の朝に読んだ後、こうしたメッセージを発言されたか、
と確固たる信念のある曽野綾子さんだ、と私はうなだれたりした。
そして、あたかも曽野綾子さんから、
あなた人生を60何年も過ごしているのに、何も学んでいない・・、
と曽野綾子さんから叱咤を受けたように心境となったのである。
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