夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

森山直太郎の『さくら(独唱)』の歌、定年退職後の私が、ときおり心の中で唄うのは・・。

2011-04-09 14:28:16 | 音 楽
私は今朝、このサイトに於いて、
【 桜花の時節、染井吉野、山桜、そして八重桜を女性に譬(たと)えれば、と私は思いを浮かべ・・。】
と題して、戯(たわむ)れのような文体で投稿した。

この中で、
《・・
染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしである。

こうした桜花を眺めながら、定年退職後の3月下旬から4月中旬を過ごす中で、
森山直太郎さんの『さくら(独唱)』の歌を心の中で唄いながら、歩くことが多い
・・》
と私は綴ったのであるが、
私が2004(平成16)年の秋に定年退職となり、
その後、ときおり私は森山直太郎さんの『さくら(独唱)』の歌を、心の中で唄ったしている・・。

こうした私の心情のことは、このサイトの中で、
【 私だけの森山直太郎の『さくら(独唱)』の深い想いで・・♪ 】
と題して、一昨年の2009年3月27日に投稿しているが、
今回一部を加筆して掲載をする。


【・・
(略)

今朝はいつものように日の出と共に起床し、
6時過ぎに玄関庭に下り立つ、樹木を眺めながら煙草を喫ったりしていた。

門扉の郵便受入箱の近くにある椿(ツバキ)が淡紅色の花がたわわな咲き、
恥らうように咲いている花を誉(ほ)めたりし、
平年より幾分寒く、花冷えとなって中、花持ちによいかしら、と微笑んだりした。

この後、花梨(カリン)の樹木を眺め、
芽吹きはじめ、萌黄色の彩(いろど)りの情景に心を寄せたりしていた。


このような情景を眺めていたら、


♪僕らはきっと待っている 君とまた会える日々を
 さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ

【 『さくら(独唱)』 作詞・森山直太郎、御徒町凧、作曲・森山直太郎、唄・森山直太郎 】


この歌が突然に蘇(よみがえ)り、私は心の中で唄いはじめた・・。


私の現役時代は、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤めていたが、
1998(平成10)年に業界のCDを中核とした売上げがピークとなり、その後は業界全体が縮小した。
この前後に、それぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。

私たちの同世代は、定年退職時が60歳であり、
暗黙として、お互いに定年退職まで、頑張ろうとする意志は大半であった。
そして、もとより若き入社時代から人生設計の主軸として過ごしてきた・・。

こうした中で、私の知人の多くは50代となり、
組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職などの烈風となった・・。
このような形で、同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
業界から去った人も数多くあった。

私自身も1999(平成11)年の初春、55歳の前に出向となり、
出向先で定年退職を迎えたのである。


私の出向先は、通勤としては、ほど遠いの物流情報会社に出向となり、
この中のひとつの物流センターに配属された。

私の住む自宅からバスに乗った後の最寄り駅は、小田急線の成城学園前であり、
30年近く勤めた本社に勤務していた時は、
自宅を8時過ぎに出て、都心に向かって一時間で通勤していた。

出向先は、自宅を6時過ぎのバスの始発に乗車し、
成城学園前からは下り方面の本厚木駅に行った後、
バスに乗り換えて物流倉庫の多い所まで、一時間半ばかりで通った。

職場状況はもとより通勤状況も大幅に変貌したので、初めの半年ぐらいは、
都落ちしたような失墜感で気落ちしたのは、本心であった。

この後、私は職場の業務にも馴染み、
この間に、私の勤めていた出向先の物流情報会社も大幅なリストラがあったり、
かって勤めていた出向元のあるレコード会社も幾たびかリストラが実施され、
こうした中で、私なりに奮闘し、定年退職を迎えた。


私が勤めた物流センターは、CD、DVD等の音楽商品を保管・管理する部署であったので、
私は主要曲の出荷量を予測したりし、
契約社員10名前後、そして女性パート100名前後の中で、
効率よく迅速に出荷できるような業務も責務のひとつであった。

2003(平成15)年3月の初め発売された森山直太郎の『さくら(独唱)』は、
発売日の初回枚数がわずかで、新人のデビュー曲でもあったが、私は余り注視することがなかった。

桜の花が本州を北上するように、
この曲のCDが次第に上昇し、私は明日は3千枚ぐらいかしら、と予測して、
若手の男性契約社員に、商品を揃えるように依頼した。

しかし大半が私の当日出荷枚数を超えて、
私はCD5000枚のパレットを保管倉庫から出荷しやすい場所に移動させたり、
そして私が予測した以上の曲の数々の商品に於いても、
現場を駆けずり廻っていた。


この頃の私は、通勤時にCDウォークマンで数々の曲を聴き、
音楽専門雑誌を読みながら、それぞれの曲の出荷を予測の基礎としていたが、
30年間レコード会社で情報・管理畑で体験した身でも、需要予測は難しいのである。

特に数多い音楽商品の場合は、
人々の好みを予測し、この中の一部の方が、一枚を購入して下さるので、
まぎれなく生きた心の商品でもある。

結果として、森山直太郎の『さくら(独唱)』は
東北の北部に桜の咲く時期まで、活発に動き、
5月の初めの大型連休の頃、ミリオン・セラーと称せられる百万枚となった。


私にとっては、たまたま定年退職の前の年に、
この曲が、私の予測を遥かに超え、思いで深い曲のひとつとなった。


♪どんなに苦しい時も 君は笑っているから
 挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ

【 『さくら(独唱)』 作詞・森山直太郎、御徒町凧、作曲・森山直太郎、唄・森山直太郎 】


私は花梨の萌黄色の新芽を眺めながら、
桜の咲く頃には、可憐なピンクの色した花びらが数多く彩(いろど)る光景に、
思いを重ねたりした。


♪今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
 輝ける君の未来を願い 本当の言葉

【 『さくら(独唱)』 作詞・森山直太郎、御徒町凧、作曲・森山直太郎、唄・森山直太郎 】


私は小声で唄いだしたのである。


余談であるが、この頃のCDシングルは、何曲も収録されているのが、流行だった。

このCDシングルも『さくら(独唱)』、『さくら(合唱)』、『さくら(伴奏)』、
そして別の曲の『手紙』が入っていた。

私は『さくら』を3回ばかり聴いた後、『さくら(合唱)』が最も好きな曲となった・・。
何よりも女子高等学校の音楽部の方達が合唱に加わり、
より一層、哀切、惜別が醸(かも)し出されいる、と公言したりした・・。
・・】

このように私なりに体験をしたので、本社に勤務を含めた35年間でも、
数多くのヒット曲にめぐり逢えたが、とりわけ森山直太郎の『さくら(独唱)』の歌は、
思いで深い曲のひとつとなっている・・。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜花の時節、染井吉野、山桜、そして八重桜を女性に譬(たと)えれば、と私は思いを浮かべ・・。

2011-04-09 07:15:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ一週間、川沿いの遊歩道を歩き、桜花のうつろいを眺めたりしている。

私は桜花より梅の花の方が幼年期より好きであるが、この時節は私の住む地域は桜の花が咲き、
やはりそわそわ落ち着かない。

そして、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしである。

こうした桜花を眺めながら、定年退職後の3月下旬から4月中旬を過ごす中で、
森山直太郎さんの『さくら(独唱)』の歌を心の中で唄いながら、歩くことが多いのである。

しかし、過ぎし3月11日の東日本大震災の後、
被災地で数多くの方が亡くなわれ、ときおり北の空に向い、黙祷をしたりしてきた。
そして避難所で困窮した状況で、多くの方たちが過ごされている方に思いを馳せたり、
我が家の地域でも、たびたびの余震があり、平常心こそが何よりも肝要である、と思いながらも、
何かしら虚(うつ)ろな思いで、桜花を眺めたりした。


世中にたえてさくらのなかりせば
            春の心はのどけからまし
 
                       作者・在原業平朝臣

久方のひかりのどけき春の日に
            しず心なく花のちるらむ

                       作者・きのとものり

山里の春の夕暮きてみれば
            入相の鐘に花ぞ散りける
     
                       作者・能因法師

やむえず私は、こうした古人が詠まれた三句を思い浮かべたりしてきた。


今朝、ぼんやりと4時半過ぎに目覚めた時、どうした心境か定かでないが、
女性の言葉、しぐさなど風情を思い浮かべ、
八重桜は10、20代の若き女性の溌剌(はつらつ)とした華やかさ、
染井吉野の桜は30代の女性の香りたつ美麗、
山桜は40代以上の女性は妖艶を秘めながら凛とした女性かしら、
と思い重ねたりしたのである。

あくまで私なりのつたない感性であり、
それなりに醸(かも)し出す言葉、しぐさなどの芳香、品性は断片は出来ないが、
このように思い浮かべてしまったのである。

そして私は二十歳以来、何故かしら最も好きな桜は、山桜である。


このように思い浮かべた後、傲慢で恥じらいもなく思ったりしているので、
本日の日中、買物や散策などで、ご近所の奥様、若き女性の多くの方に出逢ったりした時、
石を投げられてもやむ得ない、
と微苦笑したりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする