夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の郊外の我が家からでも、移りゆく荘厳なオーロラ、そして大地の情景が観られ・・!?

2011-04-27 23:51:29 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、パソコンを立ち上げるとトップページは【YAHOO! JAPAN】に設定しているので、
この中央の下段には、

《 世界中から探し出した話題の映像をたっぷりお届け 》

《 “微速度で撮影された美しいオーロラ”ほか、
      衝撃的な投稿作品から驚きのニュースまで、見逃せない映像がズラリ。》

と明示されていた。


そして右側に《 幻想的な風景 》と明記していたので、
思わずクリックした。

http://vimeo.com/21294655
☆ The Aurora by Terje Sorgjerd ☆

このように移りゆく荘厳なオーロラ、そして大地の情景が観られ、
私は見惚(みと)れたりしたのである。

Terje Sorgjerdさんは、このようなオーロラの3作品を提供して下さり、
私はその地に訪れることなく、東京の郊外の我が家からで観賞させて下さったのである。

感謝・・感激・・こうした時に発露する言葉でもある。


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キャンディーズの歌の数々は、齢を重ねた私でも、心身のビタミンと思いながら・・。

2011-04-27 20:25:47 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳であるが、
ときおり、ぼんやりと自身のこのサイトで綴ってきたことを読み返したりしている。

私は定年退職後まもなくして偶然にブログの世界を知り、
私は若き日々より中断したこともあったが日記を書いたりし、
これとは別の状況で色々と綴ったりしてきたが、
改めて何らかの形式で公表したく、これ幸いと幾つかのブログ、
ブログに準じたサイトに加入して綴ってきた。

定年退職後の身過ぎ世過ぎの日常で日々に感じたこと、
或いは思考したことを心の発露とし、明記してきたことはもとより、
幼児からサラリーマンの退職時までの色々な思いを
書き足らないことも多々あるが、余すことなく綴ってきている。

誰しも人それぞれに、苦楽の光と影を秘めて日常を過ごしているのが人生と思っているが、
私なりに時には、ためらいを感じながらも綴ったりしてきたこともある。


私は昭和19年に農家の三男坊として生を受けたこと、
祖父や父が長兄、次兄と男の子に恵まれたので、
秘かに今度は女の子を期待していたらしく、私は何となく感じて、いじけたこと。
そして、小学生に入学しても、兄ふたりは優等生で、
私は中学生までは劣等性だったこと。

小学二年の時に父に死去され、まもなく祖父も亡くなり、
農家の旧家でも大黒柱のふたりが亡くなることは、没落し、貧乏になること。

高校時代になって初めて勉学が楽しくなり、読書にも目覚めたこと。

そして大学を中退してまで映画・文学青年の真似事をしたり、
その後は幾度も小説新人の応募で最終候補作に漏れ、落胆したこと。

この後は、コンピュータの専門学校に学び、
これを梃子(てこ)とした上で、知人の強力な後押しのお陰で、
大手の民間会社に中途会社にできたこと。

そしてまもなく新設されたレコード会社に移籍させられて、
六本木にある本社でコンビュータの専任者となり、時代の最先端にいる、と勘違いしたこと。
この間、幾度も恋をしたが失恋の方が多く困惑したことや、
結婚後の数年後に若気の至りで一軒屋を建てて、気負って家の中に茶室を設け、
住宅ローンの重みに耐えたこと。

そして、定年の五年前に出向となり、都落ちの心情になったこと。


このように私は大手のサラリーマンの一部に見られるエリートでなく、
屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎えたのであるが、
私は確固たる実力もないくせに、根拠のない個性と感性で独創性に優れていると思い、
ときには独断と偏見の多い言動をしたりしてきた。
そして、ある時には、その分野に優れた人の前では、卑屈になったりした。
このように可愛げのないひとりである。


こうして定年後の日常生活を過ごし、
ときおり、国内旅行などで、その地の情景を眺めながら感じたこと、
私なりの独断と偏見で綴ったのを読んだりしていると、
私の心情、思想、信条、趣向が見え隠れするので、
まぎれなく本、音楽、映画など作品の選定と同じだ、と微苦笑したりしている。

どなたも同様と思われるが、過ぎ去り日々は苦楽と反省が伴うが、
ほろ苦く、そして甘く受けとめ、
ときには懐かしく自身に秘かに再会でき、
あの時はあのような心情でふるまっていた、と愛惜も重ねることもある。

これが自身の心のまぎれない心情を心の発露として書き続けた効用かしら、
感じたりしている。


このような心情の時、何気なしに、

♪こっちを向いて涙をふいて

【『哀愁のシンフォニー』 作詞・なかにし礼、作曲・三木たかし、唄・キャンディーズ 】

と心の中で唄い、キャンディーズかょ、と呟(つぶや)いたりした。


私の現役時代は、たまたまあるレコード会社に勤めていた習性か、
他社のCBSソニーの所属のキャンディーズの歌でも、何かと歌の一節を唄ったりしている。

そして『微笑がえし』のタイトルも素敵だったと思ったりしたが、
しかし、齢を重ねた今、余り過去にこだわるより、もっと前向きにと思いながら、
特に春先の時節には、心身爽快に、

♪雪が溶けて川になって 流れてゆきます
 つくしの子がはずかしげに 顔を出します
 もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか

【『春一番』 作詞、作曲・穂口雄右、唄・キャンディーズ 】

と心の中で唄ったりしたのである。

そして、ときにはキャンディーズの歌の数々で励まされることもある。

この後の私は、市販のビタミン剤などよりも、遥か百倍以上は確かに効く、
と思ったりすることもある。


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孫正義(そん・まさよし)氏の東日本大震災に対しての深い思いを発露され・・、私は初めて学び・・。

2011-04-27 16:27:43 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、ネットでニュースを見ようとして【YAHOO! JAPAN】を開き、
たまたま【雑誌】コーナーに於いて、ひとつの掲載されていた記事のタイトルに興味をいだき、
結果として深く精読させれたのである・・。

《 孫正義氏「自らの非力が震災犠牲者増やしたのでは」と自己嫌悪 》

と題された記事で、
小学館が発行する『週刊ポスト』、『女性セブン』、『SAPIO』などの4誌を統合したニュースサイト
【NEWS ポストセブン】から配信された記事のひとつであり、
無断ながら、転載させて頂く。

《・・
         孫正義氏「自らの非力が震災犠牲者増やしたのでは」と自己嫌悪

                                  NEWS ポストセブン 
                                  4月27日(水)7時5分配信

ソフトバンク社長・孫正義氏の「志」に迫った本誌連載『あんぽん孫正義伝』。
連載終了と同時に日本を国難が襲った。
孫氏は次々と被災者支援を打ち出す。
以下は、『あんぽん』筆者の佐野眞一氏(ノンフィクション作家)と孫氏による解説と一問一答である。

 * * *

孫は震災翌日の3月12日には、
国内向けSMSを無料化、iPhone用「災害伝言板アプリ」を提供している。

その翌日には、大量の充電器を現地に送る手配をし、
被災地のユーザーの支払い延長、破損・紛失対策、携帯貸出などの対策を矢継ぎ早に打ち出した。

また3月20日には「偽善者!」というツイートに
「私は偽善者と批難されても構わない」と答え、
「ドコモなどを使う震災孤児ユーザーにも携帯無償化したら見直す」というツイートに「やりましょう。
他社ユーザー震災孤児でも」と答えている。


――私が感心したのは震災後の孫さんの迅速な行動です。
  ツイッターを見ても、翌日からリアクションを起こしています。
  その衝動の理由は何だったのですか。

「津波から逃げたときにお母さんとはぐれてしまった小学5、6年生くらいの女の子が、
翌日、海に向かって『お母さん、お母さん』と叫んでいるシーンをテレビで見て、
涙が止まらなかった。

でも僕らには、ほんとに小さなことしかできない。
自分の非力さに腹が立って、悔しくて仕方がなかった。
それこそ、人生観が変わるぐらいのショックでした」


――1995年の阪神淡路大震災の時と比べてどうですか。

「当時はまだ携帯電話の会社をやっていませんでした。
インターネットをはじめてすぐでしたが、阪神の時はインターネットはつながってたんですよ。

関東にいて、距離が少し離れているという感じもあったし。
遠い場所の出来事という印象でした。
むしろ、ヤフーを抱える我々としてはインターネットでも強いでしょうみたいな。

でも、今回は、我々は責任ある立場でインフラを提供しているわけです。
電話がつながっていれば、何人かまだ救われた方がいるんじゃないか、
自分の力のなさのせいで、何人か犠牲者が増えてしまったんじゃないかという自責の念ですね。

それこそ腹をかっさばきたいくらいの責任感、自己嫌悪がある」

※『週刊ポスト』2011年5月6日・13日号

・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私はソフトバンクの孫正義社長は関しては、もとよりお逢いしたこともないが、
書物からは、少しばかり知っている程度である。

大下英治・著の『孫正義 起業のカリスマ』(講談社+α文庫、2005年11月・発刊)、
そして滝田誠一郎・著の『孫正義 インターネット財閥経営』(日経ビジネス人文庫、2011年1月・発刊)を読み、
ネットに関する本の中で、一部として取り上げられた孫正義氏の記事、
或いは総合月刊雑誌、新聞などから、この方の言動を少し学んでいる。

このお方の圧倒的に優れたことは、具体的に先進性のある言動を実行することである。
数多くの難題に、大手企業、或いは財閥グループの経営者の多くは、
ためらい、周辺の状況を見ながら、重い腰を上げて、決断されるこど多く見られる。

孫正義氏はもとより会社を創業され、果敢に先進性で時代の変貌に成功している状況下であるが、
この先の決断が一歩誤れば、巨額な借入の奈落に落ち込んでしまうので、
これまでの数多くの経営者の方たちは、無難な舵取りをされてきたことは歴史上からも圧倒的に多い。

こうした中で、周知の通り十二分に成功された方であるが、
あえて果敢に先進性のある時代を切り開らこうとする言動に、私は感動さえ覚える。


過日、東日本大震災に際して、過日に個人として100億円を寄付され、
たとえ創業の巨額な利益があったにせよ、こうした瞬時の感性の決断に、
無力な高齢者の私は、秘かに賞賛したひとりである。

その後、氏は明確に自然エネルギーへの転換を主張し、
個人として10億円拠出され「自然エネルギー財団」設立されたことは、
私は好感させられたりした。

この間、私の敬愛するノンフィクション作家・佐野眞一氏が、
『週刊ポスト』に於いて、孫正義氏の軌跡を描いた『あんぽん』を連載中と、
何かの記事で知り、完結した後の単行本を待ち焦がれていたひとりでもある。


この筆者の佐野眞一氏は、ダイエーの創業者の中内功(なかうち・いさお)氏を描いた、
『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」 』を『日経ビジネス』に連載中、
中内から事実無根として提訴されたが、後に訴えを取り下げらたりした。
注)功・・あて字(正確には、右辺は「刀」であるが、私も変換できなかった)

その後、『東電OL殺人事件』に於いては、
《被告人の無罪説を大胆に展開し彼の不法滞在の罪でさえ擁護する一方で、
被害者のエリート会社員に対しては、先祖代々の系譜から丸裸にし、
売春していた事を公に書くなどの内容が物議を醸した・・》
と称せられたりした。

私は氏が被告人の無罪説を確証するために、執拗までに懇切丁寧に取材をした思いは、
映画の脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
映画の『真昼の暗黒』(1956年=昭和31年)の脚本にあたり、
取材記録を読んだのを重ねあわしたりした・・。

もとよりこの映画は、八海事件で逮捕された青年を冤罪で無罪である、
と確信した製作者、監督、そして脚本家が、
裁判中にも関わらず無罪を確証するために橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
徹底的に検証をして、脚本にされて映画化された作品である。
その後、1968(昭和43年)に最高裁で、無罪の判決となつた。

その上、佐野眞一氏は被害者のエリート会社員に対して、心の奥に秘そむ深淵まで描きあげたことに、
私は深く心を揺り動かされたのである。

この2作を読み終わった私は、氏の発刊されている殆どを愛読して、
信愛できる作家のひとりとしている。


このように私は佐野眞一氏には確信しているので、
今回の孫正義氏へのインタビューにも、注視させられたのである。

佐野眞一氏の問い、
《 私が感心したのは震災後の孫さんの迅速な行動です。
  ツイッターを見ても、翌日からリアクションを起こしています。
  その衝動の理由は何だったのですか。 》

孫正義氏の発言、
《 「津波から逃げたときにお母さんとはぐれてしまった小学5、6年生くらいの女の子が、
  翌日、海に向かって『お母さん、お母さん』と叫んでいるシーンをテレビで見て、
  涙が止まらなかった。

  でも僕らには、ほんとに小さなことしかできない。
  自分の非力さに腹が立って、悔しくて仕方がなかった。
  それこそ、人生観が変わるぐらいのショックでした」 》

私は瞬時に、このような心の思いを発露された孫正義氏の感性に、魅了されたのである。


私は無力な身であっても、提灯持ちの言動は何よりも険悪しているが、
こうした感性の方には、功罪の多さ少なさは別にして、思わず私は脱帽した・・。

そして数多くの方たちが、孫正義氏に魅了させられる秘密のひとつ、
遅ればせながら私は解かったのである。


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