私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、ネットでニュースを見ようとして【YAHOO! JAPAN】を開き、
たまたま【雑誌】コーナーに於いて、ひとつの掲載されていた記事のタイトルに興味をいだき、
結果として深く精読させれたのである・・。
《 孫正義氏「自らの非力が震災犠牲者増やしたのでは」と自己嫌悪 》
と題された記事で、
小学館が発行する『週刊ポスト』、『女性セブン』、『SAPIO』などの4誌を統合したニュースサイト
【NEWS ポストセブン】から配信された記事のひとつであり、
無断ながら、転載させて頂く。
《・・
孫正義氏「自らの非力が震災犠牲者増やしたのでは」と自己嫌悪
NEWS ポストセブン
4月27日(水)7時5分配信
ソフトバンク社長・孫正義氏の「志」に迫った本誌連載『あんぽん孫正義伝』。
連載終了と同時に日本を国難が襲った。
孫氏は次々と被災者支援を打ち出す。
以下は、『あんぽん』筆者の佐野眞一氏(ノンフィクション作家)と孫氏による解説と一問一答である。
* * *
孫は震災翌日の3月12日には、
国内向けSMSを無料化、iPhone用「災害伝言板アプリ」を提供している。
その翌日には、大量の充電器を現地に送る手配をし、
被災地のユーザーの支払い延長、破損・紛失対策、携帯貸出などの対策を矢継ぎ早に打ち出した。
また3月20日には「偽善者!」というツイートに
「私は偽善者と批難されても構わない」と答え、
「ドコモなどを使う震災孤児ユーザーにも携帯無償化したら見直す」というツイートに「やりましょう。
他社ユーザー震災孤児でも」と答えている。
――私が感心したのは震災後の孫さんの迅速な行動です。
ツイッターを見ても、翌日からリアクションを起こしています。
その衝動の理由は何だったのですか。
「津波から逃げたときにお母さんとはぐれてしまった小学5、6年生くらいの女の子が、
翌日、海に向かって『お母さん、お母さん』と叫んでいるシーンをテレビで見て、
涙が止まらなかった。
でも僕らには、ほんとに小さなことしかできない。
自分の非力さに腹が立って、悔しくて仕方がなかった。
それこそ、人生観が変わるぐらいのショックでした」
――1995年の阪神淡路大震災の時と比べてどうですか。
「当時はまだ携帯電話の会社をやっていませんでした。
インターネットをはじめてすぐでしたが、阪神の時はインターネットはつながってたんですよ。
関東にいて、距離が少し離れているという感じもあったし。
遠い場所の出来事という印象でした。
むしろ、ヤフーを抱える我々としてはインターネットでも強いでしょうみたいな。
でも、今回は、我々は責任ある立場でインフラを提供しているわけです。
電話がつながっていれば、何人かまだ救われた方がいるんじゃないか、
自分の力のなさのせいで、何人か犠牲者が増えてしまったんじゃないかという自責の念ですね。
それこそ腹をかっさばきたいくらいの責任感、自己嫌悪がある」
※『週刊ポスト』2011年5月6日・13日号
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私はソフトバンクの孫正義社長は関しては、もとよりお逢いしたこともないが、
書物からは、少しばかり知っている程度である。
大下英治・著の『孫正義 起業のカリスマ』(講談社+α文庫、2005年11月・発刊)、
そして滝田誠一郎・著の『孫正義 インターネット財閥経営』(日経ビジネス人文庫、2011年1月・発刊)を読み、
ネットに関する本の中で、一部として取り上げられた孫正義氏の記事、
或いは総合月刊雑誌、新聞などから、この方の言動を少し学んでいる。
このお方の圧倒的に優れたことは、具体的に先進性のある言動を実行することである。
数多くの難題に、大手企業、或いは財閥グループの経営者の多くは、
ためらい、周辺の状況を見ながら、重い腰を上げて、決断されるこど多く見られる。
孫正義氏はもとより会社を創業され、果敢に先進性で時代の変貌に成功している状況下であるが、
この先の決断が一歩誤れば、巨額な借入の奈落に落ち込んでしまうので、
これまでの数多くの経営者の方たちは、無難な舵取りをされてきたことは歴史上からも圧倒的に多い。
こうした中で、周知の通り十二分に成功された方であるが、
あえて果敢に先進性のある時代を切り開らこうとする言動に、私は感動さえ覚える。
過日、東日本大震災に際して、過日に個人として100億円を寄付され、
たとえ創業の巨額な利益があったにせよ、こうした瞬時の感性の決断に、
無力な高齢者の私は、秘かに賞賛したひとりである。
その後、氏は明確に自然エネルギーへの転換を主張し、
個人として10億円拠出され「自然エネルギー財団」設立されたことは、
私は好感させられたりした。
この間、私の敬愛するノンフィクション作家・佐野眞一氏が、
『週刊ポスト』に於いて、孫正義氏の軌跡を描いた『あんぽん』を連載中と、
何かの記事で知り、完結した後の単行本を待ち焦がれていたひとりでもある。
この筆者の佐野眞一氏は、ダイエーの創業者の中内功(なかうち・いさお)氏を描いた、
『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」 』を『日経ビジネス』に連載中、
中内から事実無根として提訴されたが、後に訴えを取り下げらたりした。
注)功・・あて字(正確には、右辺は「刀」であるが、私も変換できなかった)
その後、『東電OL殺人事件』に於いては、
《被告人の無罪説を大胆に展開し彼の不法滞在の罪でさえ擁護する一方で、
被害者のエリート会社員に対しては、先祖代々の系譜から丸裸にし、
売春していた事を公に書くなどの内容が物議を醸した・・》
と称せられたりした。
私は氏が被告人の無罪説を確証するために、執拗までに懇切丁寧に取材をした思いは、
映画の脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
映画の『真昼の暗黒』(1956年=昭和31年)の脚本にあたり、
取材記録を読んだのを重ねあわしたりした・・。
もとよりこの映画は、八海事件で逮捕された青年を冤罪で無罪である、
と確信した製作者、監督、そして脚本家が、
裁判中にも関わらず無罪を確証するために橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
徹底的に検証をして、脚本にされて映画化された作品である。
その後、1968(昭和43年)に最高裁で、無罪の判決となつた。
その上、佐野眞一氏は被害者のエリート会社員に対して、心の奥に秘そむ深淵まで描きあげたことに、
私は深く心を揺り動かされたのである。
この2作を読み終わった私は、氏の発刊されている殆どを愛読して、
信愛できる作家のひとりとしている。
このように私は佐野眞一氏には確信しているので、
今回の孫正義氏へのインタビューにも、注視させられたのである。
佐野眞一氏の問い、
《 私が感心したのは震災後の孫さんの迅速な行動です。
ツイッターを見ても、翌日からリアクションを起こしています。
その衝動の理由は何だったのですか。 》
孫正義氏の発言、
《 「津波から逃げたときにお母さんとはぐれてしまった小学5、6年生くらいの女の子が、
翌日、海に向かって『お母さん、お母さん』と叫んでいるシーンをテレビで見て、
涙が止まらなかった。
でも僕らには、ほんとに小さなことしかできない。
自分の非力さに腹が立って、悔しくて仕方がなかった。
それこそ、人生観が変わるぐらいのショックでした」 》
私は瞬時に、このような心の思いを発露された孫正義氏の感性に、魅了されたのである。
私は無力な身であっても、提灯持ちの言動は何よりも険悪しているが、
こうした感性の方には、功罪の多さ少なさは別にして、思わず私は脱帽した・・。
そして数多くの方たちが、孫正義氏に魅了させられる秘密のひとつ、
遅ればせながら私は解かったのである。
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