夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎし2月の如月(きさらぎ)に別れを告げ、新生の3月の弥生、花咲月、やがて櫻月を迎え・・。

2012-03-01 06:45:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、年金生活の67歳の身であり、
昨日は小雪が舞い降る朝を迎え、小庭の樹木の枝葉は雪化粧となり、
地上の黒土にはうっすらと積もり、昼下がりまで降り続けて、
積雪は5センチぐらいとなったりした・・。

そして月末だったことに気づき、2月も余りにも早く過ぎ去り、
ぼんやりと2月のメモ帳を見たりしていた。

たまたま1月28日より6泊7日で、札幌の郊外のリゾートホテルに滞在して、
観光地、名所の5か所ばかり訪れ、帰宅したのは2月3日であった。

そして、『所得税の確定申告書』を作成して、送付したりしていた。

その後は、早春の樹木、花木が気になり、野川の遊歩道を独りで散策したり、
家内を誘って、この野川の遊歩道の上流を3キロを歩いたりして、
神代植物園を3度ばかり訪れて、早春の情景に心を寄せたりしてきた。

今年は寒気が多かった為に、梅園も平年より数週間遅れでの情景となり、
大半は大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉で、早咲きの梅だけは咲き始めて、
早春の匂いを漂(ただよ)わせていた・・。

我が家の玄関庭にある白梅は、26日の日曜日に咲き始めて、昨日は20数輪ばかんり咲き、
主庭は日本水仙が咲き、白梅は大きな莟〈つぼみ〉、紅梅は固い莟〈つぼみ〉、
藪椿(ヤブ・ツバキ)は紅色の大きな莟となっているが、
やはり平年より数週間は遅れている、と私は微苦笑してきた。


この間、定年後に自主的に日常の買い物専任者となった私は、
いつものように家内からの依頼品に基づいて、スーパー、ドラッグストアーなど行ったり、
本屋に寄ったりして、私が店頭で魅せられた本を買い求めたりしてきた。

私が購読する本の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などであり、
読書に目覚めたのは遅ればせながら高校生になった時であり、
これ以来は活字中毒のひとりとして、早や50年は過ぎている、と微苦笑する時もある。

或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともあった。

このように2月も過ぎ去ってしまえば、実に早い、と溜息をしたりした。

今朝、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーに、
さよならと過ぎ去った日々に、愛惜を秘めながら別れを告げ、
3月の『弥生(やよい)』に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶ)やいていた・・。

古来より、この3月の季節は『花月(かげつ)』、『夢見月(ゆめみつき)』、『嘉月(よみしづき)』などと、
美麗な言葉を重ねて、春色の季節を迎えてきた。

私は齢ばかり重ねた高齢者3年生で、無念ながら体力の衰えた身であるが、
感性だけは確かな大人の40代のような心情を目標に過ごしている。
このような私であるので、『花見月』、『花咲月』、或いは『櫻月』の愛称を
秘かに好感しているひとりである。

そしてこの時候としては、早春、浅春、春色、春暖、春情、孟春、麗日などと古人から伝承されているが、
私は麗日という言葉に圧倒的に魅了されている。

挨拶の用語としては、《 春はまだ浅いこの頃 》、《 ようやく春めき和(なご)やかなる季節は 》、
《 空の気配も春も感じて 》、《 春光天地に満ちて 》、《 一雨ごとの暖かさに 》、
《 春眠あかつきを覚えず 》、《 小川の水もぬるみ 》、《 柳の緑は日毎に色めき 》、
《 遠山は紫にかすみ 》
こうした綴りを古人の人々から愛用されてきたが、
その日の天候、地域、心の思いによって差異があるので、私なりに使い分けている。

この時節、我家の小庭は、平年であるならば、白梅、紅梅の花は散り始め、
白玉椿(シラタマ・ツバキ)は咲き続け、そして群生させた日本水仙も咲いている。
そして、蕗の薹(フキノトウ)もあちらこちに芽を出したりしている。

葉を落として裸樹となった紫木蓮(シモクレン)は莟(つぼみ)となり、
花梨(カリン)は芽吹き始めている情景となっている。

しかしながら今年は、寒気の為に数週間遅れとなっているので、
待ち焦がれた季節となる。

この時節は古人より、樹木、草花が盛んに生い育つ時節を『弥生』と称しているが、
私は雑木の芽吹き、そして幼い葉を広げる光景が何より好きである。

こうした情景を眺めながら、浅春の花を見つめたりし、
3月の下旬に櫻の花に出逢えれば、私はこれ以上望むことはない。

このように、私は毎年、3月の日々を、
陽射しは優(やさ)しい光を帯び、微風は甘く感じられたりし、
早春からはじまり春色に染められる情景と共に過ごしている。


こうした心情で定年退職後の7年を過ごしてきた私は、
昨年の3月11日の東日本震災と福島原発には、無力な私でも動顚しながら、
心の片隅に深い痛手が、今でも残ったりしている。
敬愛しているノンフィクション作家の佐野眞一〈さの・しんいち〉氏の最近読んだ
『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)の中の一節を引用すれば、
《 津波と放射能洪水は、従来の常識をすべて押し流した 》
こうした明記されたことを私は、心の根底に秘めながら、
新たなる新生の3月を迎えようとしている。


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コメント (1)
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