夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ビートルズの『イエスタディー』、突出した青春の日々の愛惜歌、と私は確信を深め・・。

2012-03-10 07:28:02 | 定年後の思い
ビートルズの数多くの名曲の中に、『イエスタディー』がある。

確か1966(昭和41)年の初めの頃だったと思われるが、
1948〈昭和23〉年生まれの妹がビートルズに熱愛して、
数多くのレコードを買い求めて、盛んに聴いていたので、
たまたま私はこの曲を知った・・。

この頃の私は、大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしていて、
食寝を忘れるくらいに映画作品を映画館で観たり、
小説の数多くの作品を読みふけっていたので、音楽を聴く余裕もなかった時だった。

ときおり妹が生家の応接間にあるステレオで、
ビートルズを大きな音量で聴いていても、
私はうるさいと感じながら、騒音のような音楽としか聴こえてこなかった。

こうした中のある時、メロディー・ラインが良く、英語の詩も良い、と直感した曲が、
この後に、妹から曲名を教えて貰ったのが『イエスタディー』であった。

その後、妹はビートルズが1966(昭和41)年の6月下旬に来日公演の時、
学校では禁止されていたが、無視して何とか日本武道館に行って、
公演には満足した、と私に言ったりしていた。

このように妹は、団塊世代でこの当時は高校の初めの頃であったから、
何事も一番感化されやすい時であるので、
音楽面はたまたまビートルズに熱中した、と思われる。

私は二十歳を過ぎたせいか、或いは映画・文学に熱愛していたので、
音楽を聴く余裕もない時でもあり、ビートルズからは音楽の影響は受けなかった。


その後、私が1970(昭和45)年にある民間会社に中途入社して、
音楽のポピュラーとして影響を受けたのは、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』、『明日に架ける橋』等の一連であった。

私は音楽に関しては楽譜も読めない素人であり、つたない感性を頼りに聴いたりしているが、
もとよりメロディーも大切であるが、
このアーティストは、何を伝えたいのか、という命題を重要視するので、
作詞を優先するひとりである。

まもなくして、私はシャンソンの世界にに魅せられ、
百枚程度のアルバムを買い求めたりし、聴き込んだりしていたが、
特にシャルル・アズナヴールには魅了させられた。
ある程度の大人の年齢になり、若き日の青年時代の愛惜を秘めた『帰り来ぬ青春』(1964年)、
そして『遠い想い出』(1971年)は、友人たちに絶賛したりした。

このような時に、ビートルズの『イエスタディー』(1965年)が甦(よみがえ)ってきた。
そしてビートルズのメンバーが、
あの若い時に《青春時代》を凝縮させた表現出来たのは、
天才という言葉以外は見つからず、唖然とさせられながら、絶賛した。

この『イエスタディー』の曲は、世界の著名の歌手に多く歌われ、
日本に於いても名のある歌手も多く取り上げていた。

私は、少なくとも10人以上の歌い手のレコード、カセット、
その後はCDで聴いて、今日に至っている。


こうした間に、映画の『ワンス・アホン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)に於いて、
ロバート・デ・ニーロが扮する主人公が駅構内で過去を回想するシーンに、
この曲が流れた・・。
私はこの感性には思わず(うな)り、そして瞬時に魅了された。

映画の音楽は、このように使うと映画の画面が引き立ち、
効果のある見本でもある。

このことは、監督・脚本のセルジオ・レオーネ、
そして音楽のエンニオ・モリコーネの功績であるのは、いうまでもない。

私はビートルズからは影響は受けてはいないが、
このたった一曲の『イエスタディー』の曲だけは、
最初に聴いてから、突出した青春の日々の愛惜歌である、とここ45年絶賛しているひとりである。


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コメント (2)
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