夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『春分の日』、お墓参りの後、帰宅すれば白梅の満開の清麗な情景を迎えて・・。

2012-03-20 15:37:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市の隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

毎年この日の『春分の日』は、私たち夫婦は私の実家である長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っている。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、両親、祖父母、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。


今朝いつものように朝の9時半過ぎに、私の実家の長兄宅に行くと、
親戚の77歳の叔父さんが来宅されていて、
長兄と義姉と叔父さんをまじえて私たち夫婦の5人で談笑したりした。
その後、亡き父の妹の叔母も来宅して、お互いに談笑したりした。

そして30分過ぎた頃、叔父さん、叔母さんが帰宅された後、
長兄は73歳、義姉は65歳の迎え老夫婦となり、私も68歳、家内は63歳を迎え、
お互いに無理しないで過ごしましょう、と語り合ったりした。

そして30分ばかり談笑を重ねた後、まもなく私たち夫婦も長兄宅を辞した後、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩数分にあるお寺まで、
お互いに運動不足もあるので、20分ばかり徒歩の道を往復しょう、と歩きだした。

寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり程広く、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。

お墓の墓石を水で清め、途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を4束のお花を奉(ささげ)、
お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、
祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。

こうした思いを重ねたりすると、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、
私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

このためか、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
言葉づかいが想いだされる・・。

そして穏やかな陽射しの中、お線香の煙が芳香を残して、
青き空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。

この後、境内の片隅に白梅は満開となっていたのに気付き、
しばらく見惚れたりした。
平年ならば、3週間前の情景であったが、
今年は寒さで大幅に開花も遅れ、遅れてご免なさい、というように盛大に咲いていた。

我が家に帰宅すれば、主庭の白梅も満開となり、昼下がりの陽射しの中で、
沈香の香りを漂(ただよ)わせながら咲いていた。

私は清麗な花を見たりし、長兄夫婦、私たち夫婦は、
いずれはこの世を去るが、それまでは談笑を重ねられる歳月は・・、
とぼんやりと思ったりした・・。


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コメント (1)
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