夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

作家・南木佳士(なぎ・けいし)氏の発言の一部に、私は考えさせられ、苦笑し・・。

2012-03-06 11:27:08 | 真摯に『文学』を思考する時
過ぎし3日前、たまたま私は読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
【本よみうり堂】のコーナーに於いて、作家・南木佳士(なぎ・けいし)氏のデビュー30年に伴い、
読売新聞のインタビューに対しての発言を読んだりしたが、
この発言の一部に、果たして筆一本だけで作家の生活は成り立つかしら、
或いは現在、作家をめざしている若き諸兄諸姉に、
多少なりとも意欲などを削(そ)ぐなどの危惧を与えるのではなかろうか、
と思ったりし、ここ数日、私は考えさせられた・・。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20120301-OYT8T00828.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==《デビュー30年 南木佳士さん…表現の欲を越えた悟り》☆

この中で、作家・南木佳士氏の発言の一部に、
《・・
「小説を書き始める根底には、『自分がここにいます』と外に向けて発信したがる過剰な自意識がある。
でも、その『ほかの人と自分は違う』と表現したい欲のために自分は具合を悪くした。
それからは、存在するだけで意味があると思うようになりました」
(略)
「自宅の前は、かつて田んぼでした。
 体調を崩した私は半日で病院を終えて家に帰り、
 原稿を書いていると窓の向こうで、農家が作業をしていた。
 あちらが本当の仕事だな。書くことに特権的な意味はないとつくづく思うようになりました」
・・》
このように発言されて、特に後半部分の発言に、霊感のような感銘させられたが、
前半部分の《・・外に向けて発信したがる過剰な自意識がある・・》
に関しては、もとより創作者の作家はもとより、映画の脚本家、画家、音楽の作詞・作曲家などは必要不可欠であり、
まして、ここ10数年はネットのブログなどで、内容の質が問われない誰でも発信できる状況下である。

もともと作家の場合は、商業ジャーナリズムの状況下の中で、筆一本で妻子を養う家庭生活の中で、
確かな作品を発表するのは理想と思われるが、
特に純文学の世界では稀なケースとなっているのが、昨今50年の実態と思われる。

やむなく大学の教師、氏のように医師と両立させるか、
或いは余技のように随筆を綴り、何とか筆一本で家族を養ってきた阿川弘之、遠藤周作・・氏などがあり、
または丸山誠二氏のような稀なスタンスで、
この間に作品を発表してきているケースもある。

このように私は若き頃に文学青年の真似事をして、あえなく挫折し、
やむなく35年ばかり民間会社に勤めて定年退職し、年金生活の身であるが、
ここ数日、氏の発言の一部に、大いに考えさせられたのである。

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