夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『菜の花』の辛し和え、晩酌と共に遠去り、やむなく私は微苦笑を重ね・・。

2012-03-26 15:51:04 | 定年後の思い
私はいつもように午前中のひとときスーパーに買い物に行き、
店内の野菜コーナーで、『菜の花』を見かけ、買い求めるか迷った後、
結果として、取り止めた。
そして家内から依頼された数々の品を購入して、帰宅した。

そして帰宅後、テラスに下り立ち、満開の白梅の樹の周辺に、
少し散った白い花びらを眺めたりし、あの頃までは私も吞んでいたょなぁ、
とぼんやりと思いを馳せたりした。

私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
その直後から年金生活を始めた。

そして現役のサラリーマン時代よりも酒量は減ったりしたが、
相変わらず夕食の前に晩酌をしていた。


確か年金生活の4年生の2008〈平成20〉年の今頃の時節も、
夕食の前に晩酌をしていた。
そして、ときおりビールも呑んだりしたが、殆ど純米酒の辛口を呑んでいた。

私は齢ばかり重ねているが、何かと甘い性格なので、
辛口が心身の波長にあっていた。

この当時、夕食の前に、その日に応じた弐合徳利とぐい呑みを選定した後、
お燗をしていた。
呑兵衛な私は待ちきれず、一升瓶からくい呑みに一杯だけ呑んだりしているが、
この後ろめたさが何とも美味を増すのだから、不思議であると20数年過ぎていた・・。

この時節は晩酌の友は、春菊、菜の花が多く、春の香りに満喫していた。

日中、定年後から私は自主的に買物を担当しているので、
スーパーの野菜売場で、早春の便りを改めて教えられたりし、
最後に三つ葉、春菊、菜の花を眺めたりしていた。
『菜の花』の辛し和え・
特に菜の花が新鮮で程ほどの価格であれば、迷わず購入してしまい、
帰宅後、家内に笑われてしまうことが多かった。


家内が本格的に夕食の準備を台所ではじめた頃、
私は台所の隅の小テーブルで、お燗の準備をして、家内と他愛ない話をしたりしていた。

家内は菜の花をよく水洗いし、
湯通した後、辛しと醤油で調味している時、
私は盗み酒のぐい呑みで、呑んでいる時が多かったりした。

家内が辛しの味を確かめるように、
私に少し箸で菜の花を手渡すのであるが、
『俺は何かにつけて・・甘いから・・もう少し辛し・・加えて・・』
と私は言ったりしたりしていた。

私は居間の食卓テーブルにテーブルマット、料理の受け入れ盆を並び終る頃、
家内から台所から声をかけられて、
私は菜の花の辛し和え、箸などを食卓テーブル運んだ後、
弐合徳利、ぐい呑みも食卓テーブルに置いたりしていた。

そして、私はNHKのニュースなどを視聴しながら、
菜の花を頂きながら、人肌に温めた純米酒を呑んだりしていた。
私は春の香りを口一杯に広がり、歯ごたえをかみ締めると至福のひとときを過ごしたりした。

ときには、江戸中期の俳人の与謝蕪村が詠んだ、

   菜の花や 月は東に 日は西に

と一句を思い出し、春たけなわの光景を思い浮かべたりしていた。

私は菜の花に関しては、
特に味もさることながら、胃腸にも良いと信じているので、
よく飽(あき)きないわね、と家内から笑われているが、
3月は殆ど毎晩頂いたりしていた。

残念ながら菜の花のない時は、カイワレ大根を頂くことが多く、
昨今の政治家の一部の方が心の節度を失くしたニュースなどを観て、
一寸の虫にも五分の魂、
と無力な私でさえ、次回の選挙の時は落選してほしい、
と心の中で呟(つぶや)いたりしていた頃であった。


私は定年退職した時は、身長は170センチ、体重は70キロ弱であったが、
採血、心電、尿検査、血圧測定、そして胃がん、大腸がんの検診も含めて、
至って健康のマークを頂いていた。

この後、現役時代の職責からの重圧から解放され、
現役のサラリーマン時代よりも確かに酒量は減ったりしたが、
相変わらず夕食の前に晩酌をしていたので、
やがてメタボ気味となり、市の斡旋する『メタボの研修』を6か月ばかり受講した。

この時は、うら若き保健師の女医さんの優しい指導で、
ビールでしたら350mlの缶ビールを2本までにして下さいね、
と言われりしたのである。
そして、軽い室内体操を毎日10分ばかりした。

そして『メタボの研修』以降は、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会などに限り、地酒をある程度は呑んだりしたが、
缶ビールの350mlを2本までを殆ど守ってきた。

そして私は減量してきたので悦びながら、家内に伝えたら、
『あなたの健康にも良いし・・家計費のアルコール代も減りますから・・』
と家内は私に微笑みながら、言われたりしたのである。

この後、私は相変わらず缶ビールの350mlを2本までを守り、
幾たびか旅行を重ねた時は、昼はビール、夕食の時は地酒も呑み、
日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風に頼ったりした・・。

そして、一昨年の2010〈平成22〉年の秋、例年通り健康診断を受診し、
3週間過ぎた頃に、健康診断の結果表が郵送配達されて、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』
と明記されていたので、私は青ざめた・・。
そして、翌日に自宅から徒歩10分の内科の専門の病院に行った。

検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

私は定年の5年前の頃から、60代は五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、
と公言してきたが、家内との共通趣味は国内旅行であり、
糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内は旅行先の美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりしたからである。

医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、
軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。


この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
朝夕頂いている。
そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、煎茶を飲んだりしている。

昼食は婦女子のようなフルティ・ランチで、リンゴを一個、そして柿一個としていた。

その上、散策は時速3キロぐらいの歩みから、時速6キロぐらいのウォーキングとなり、
汗をかきながら最低30分は歩き廻り、ほぼ毎日していた。


この結果、この間、私は最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、昨年の2011〈平成23〉の3月の初旬であった。

そして私としては何よりも不思議と感じたのは、
冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。
かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
今日に至っている・・。

しかしながら、『菜の花』の辛し和えなどの食べ物は、お酒の吞みながら頂くと、
風味は数段倍増するので、無念ながら、遠ざかけている。

そして幾つかの弐合徳利、ぐい呑みは殆ど使われくなり、
寂しそうになっているが、こればかりはねぇ、と苦笑している。

昨今、女優をされた後、稀な潔(きよ)き晩年を過ごされた高峰秀子さんの遺(のこ)された言葉のひとつ、
《 思い出は仕舞う場所は要らない。盗まれる心配もない 》
確かな格言です、と拙(つたな)い私でも受け止めている。


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