今朝、私はいつものように読売新聞を見ていたら、
2面の下段に出版社の広告が掲載されていて、この中のひとつに、
《・・ 新潮新書 3月の新刊
自由、常識、教養、運命・・
「本当の答え」が、ここにある。
曽野綾子 『人間の基本』 ・・》
このように掲載されていたのを読み、
本屋で見逃していたよ、と心の中で呟(つぶや)たりした。
そして私は、昨夜のひととき家内と本日の22日に神代植物園に行く約束をしていたので、
『XXちゃんさぁ・・今日・・神代植物園に行くのをやめて・・
駅前に買い物に行くことに、変更しない?』
と私は家内に言ったりした。
結果として私の突然の願いに、家内に妥協してもらい、
自宅の近くの野川の遊歩道を20分ばかり私たちは歩き、
私は本屋に寄り、家内はスーパーで買い物をしたりした。
私は即急に曽野綾子・著作の『人間の基本』(新潮新書)を確保した後、
曽野綾子・著作の『生活の中の愛国心』(河出書房新社)、
阿川弘之・著作の『言葉と礼節 ~阿川弘之座談集~』(文春文庫)を見かけて、
買い求めたりした。
そして読みたい本がたまたま3冊となったが、こうして買い求めて、読書に専念できる今、
小躍(こおど)りしたくなる心思いとなったりした・・。
私は民間会社を35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎え、
年金生活を始めて8年生になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
その後、20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品に深く魅了され、
この著作された人たちを主軸に精読している。
このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイト、契約社員をしながら
明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
明治時代からの各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。
昨今は丸66年の歳月が過ぎ、67歳の今、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
このような読書好きな私が、何よりも困窮するのは、
旅行先で持参した数冊の本を読み終えてしまった時である。
過ぎし2008〈平成20〉年の2月に、私たち夫婦は独り住まいの家内の母を誘い、
箱根・姥子温泉の観光ホテルに7泊8日で滞在した時である。
日中は家内たちの婦人の名所の観たい所と違い、
私は姥子温泉の付近の芦ノ湖周辺を散策したりし、夕方から深夜まで読書をしたりしていたが、
周辺には本屋がなく、コンビニは雑誌しかなく困惑したのである。
私は活字中毒のひとりなので、薬が切れた、と家内にこぼしたりしていた。
そして帰路の箱根湯本の本屋で寄り、
佐野眞一・著の『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)を買い求め、
活字文化に飢(う)えた私の心を充たしたりした。
読書を何よりの友とされた経団連の会長まで栄達された平岩外四(ひらいわ・がいし)氏は、
お亡くなるまで、本を読まれていた、
と風の噂で聞いたりすると、もとより経団連などに縁遠かった私でも、
思わず平岩外四氏に好感させられてしまうから不思議な作用がある。
もとより読書は貧富の差にかかわらず、この世の知力の求愛と確信しているので、
活字に親しむ方に何かと親近感を覚えてしまう。
このような私なので、心の友のひとりとして、この世に別れを告げるまで、
限りなく本を読んでいたと思っている。
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《・・ 新潮新書 3月の新刊
自由、常識、教養、運命・・
「本当の答え」が、ここにある。
曽野綾子 『人間の基本』 ・・》
このように掲載されていたのを読み、
本屋で見逃していたよ、と心の中で呟(つぶや)たりした。
そして私は、昨夜のひととき家内と本日の22日に神代植物園に行く約束をしていたので、
『XXちゃんさぁ・・今日・・神代植物園に行くのをやめて・・
駅前に買い物に行くことに、変更しない?』
と私は家内に言ったりした。
結果として私の突然の願いに、家内に妥協してもらい、
自宅の近くの野川の遊歩道を20分ばかり私たちは歩き、
私は本屋に寄り、家内はスーパーで買い物をしたりした。
私は即急に曽野綾子・著作の『人間の基本』(新潮新書)を確保した後、
曽野綾子・著作の『生活の中の愛国心』(河出書房新社)、
阿川弘之・著作の『言葉と礼節 ~阿川弘之座談集~』(文春文庫)を見かけて、
買い求めたりした。
そして読みたい本がたまたま3冊となったが、こうして買い求めて、読書に専念できる今、
小躍(こおど)りしたくなる心思いとなったりした・・。
私は民間会社を35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎え、
年金生活を始めて8年生になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
その後、20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品に深く魅了され、
この著作された人たちを主軸に精読している。
このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイト、契約社員をしながら
明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
明治時代からの各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。
昨今は丸66年の歳月が過ぎ、67歳の今、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
このような読書好きな私が、何よりも困窮するのは、
旅行先で持参した数冊の本を読み終えてしまった時である。
過ぎし2008〈平成20〉年の2月に、私たち夫婦は独り住まいの家内の母を誘い、
箱根・姥子温泉の観光ホテルに7泊8日で滞在した時である。
日中は家内たちの婦人の名所の観たい所と違い、
私は姥子温泉の付近の芦ノ湖周辺を散策したりし、夕方から深夜まで読書をしたりしていたが、
周辺には本屋がなく、コンビニは雑誌しかなく困惑したのである。
私は活字中毒のひとりなので、薬が切れた、と家内にこぼしたりしていた。
そして帰路の箱根湯本の本屋で寄り、
佐野眞一・著の『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)を買い求め、
活字文化に飢(う)えた私の心を充たしたりした。
読書を何よりの友とされた経団連の会長まで栄達された平岩外四(ひらいわ・がいし)氏は、
お亡くなるまで、本を読まれていた、
と風の噂で聞いたりすると、もとより経団連などに縁遠かった私でも、
思わず平岩外四氏に好感させられてしまうから不思議な作用がある。
もとより読書は貧富の差にかかわらず、この世の知力の求愛と確信しているので、
活字に親しむ方に何かと親近感を覚えてしまう。
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