私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけの家庭で古びた一軒屋に住んでいる。
そしてお互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている・・。
私は中小業の民間会社に35年ばかり勤めて、
2006(平成14)年の秋に定年退職し、予定通り直ちに年金生活に入った。
私が最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし方を考えて、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
もとより家内は料理、洗濯、掃除などがあり、
私の現役時代は小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
それでも少し引け目を感じて、家内の茶坊主に専念したりした。
私は定年後は日の出と共に起床するのをモットーとして、
殆ど起きだして、煎茶を飲みながら新聞の朝刊を読んだり、NHKのニュースを視聴したりしている。
そして家内が目覚める頃になれば、
コーヒーを指定されたマグカップを2階の寝室まで運び、
布団の枕元に置いたりし、
『今日は良いお天気になりそう・・』
と私は朝の挨拶代わりに家内に言ったりしている。
そして日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい入れたりしている。
我が家の生活費の実態は、程ほどのお金を幾つかの銀行に分散したり、郵便局などに貯金をして、
2ヵ月毎に厚生年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしている。
そして月が変わるたびに、月次決算のように家計簿に準じた幾つかの表で、
お互いに確認しあって、今月も赤字かょ、と私は微苦笑しながら、家内に言ったりしている。
こうした中で、ときおり私たち夫婦が外出したりする時、
ご近所の奥様から、仲良し恋しで羨ましいわ、と言われたりしている。
こうした後、私は微苦笑することが多いのである・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。
まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に言った。
『本当ぉ・・』
と私は言いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。
『本当だぁ・・買わなかったょ・・次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に言った。
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に言ったりしている。
我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった』
と家内は言うのである。
私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
家内は専業主婦の時代が大半で、我が家の専守防衛長官の責務となり、
私は現役の時代は、もとより収入の重責で奮闘してきたが、
働き蜂のようなひとりであったりした。
そして家内は、何かと私を叱咤激励することも多々あったりしたので、
退職後の年金生活の今でも、持続しているのかしら、と私は苦笑したりしている。
一週間前、いつものように洗濯の合間でテレビを視聴している家内に、
私はコーヒーを淹れて、居間のテーブルに置いたりした。
『最近・・コーヒーとブライト(粉末ミルク)・・バランスが欠けているわ・・
一定の量じゃないでしょう・・ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は苦笑しながら、私に言った。
『ダメオ(駄目夫)クン・・かょ』
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、新語だょね、と苦笑したりした。
しかしながら私の日常の大半は、
本屋で魅せられた随筆、ノンフィクション、現代史などを買い求め、
読書していることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
家内はブログには興味がなく、私がどのようなことを綴っているのかは、
一切関知していないので、この投稿文も知らない。
こうした日常生活を過ごせるので、ときには『ボケチィン』、『ダメオ(駄目夫)クン』と、
家内から言われ続けても、中小業の重圧の職責と苦楽の多い体験を重ねてきた私は、
簡単に笑い飛ばしたりしている。
尚、私は家内を呼んだりする時は、
『XXちゃん・・』
と家内の名前を婚約の少し前から呼び、今日まで36年を超えても、
相変わらず呼んだりしている。
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私達夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけの家庭で古びた一軒屋に住んでいる。
そしてお互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている・・。
私は中小業の民間会社に35年ばかり勤めて、
2006(平成14)年の秋に定年退職し、予定通り直ちに年金生活に入った。
私が最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし方を考えて、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
もとより家内は料理、洗濯、掃除などがあり、
私の現役時代は小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
それでも少し引け目を感じて、家内の茶坊主に専念したりした。
私は定年後は日の出と共に起床するのをモットーとして、
殆ど起きだして、煎茶を飲みながら新聞の朝刊を読んだり、NHKのニュースを視聴したりしている。
そして家内が目覚める頃になれば、
コーヒーを指定されたマグカップを2階の寝室まで運び、
布団の枕元に置いたりし、
『今日は良いお天気になりそう・・』
と私は朝の挨拶代わりに家内に言ったりしている。
そして日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい入れたりしている。
我が家の生活費の実態は、程ほどのお金を幾つかの銀行に分散したり、郵便局などに貯金をして、
2ヵ月毎に厚生年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしている。
そして月が変わるたびに、月次決算のように家計簿に準じた幾つかの表で、
お互いに確認しあって、今月も赤字かょ、と私は微苦笑しながら、家内に言ったりしている。
こうした中で、ときおり私たち夫婦が外出したりする時、
ご近所の奥様から、仲良し恋しで羨ましいわ、と言われたりしている。
こうした後、私は微苦笑することが多いのである・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。
まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に言った。
『本当ぉ・・』
と私は言いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。
『本当だぁ・・買わなかったょ・・次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に言った。
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に言ったりしている。
我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった』
と家内は言うのである。
私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
家内は専業主婦の時代が大半で、我が家の専守防衛長官の責務となり、
私は現役の時代は、もとより収入の重責で奮闘してきたが、
働き蜂のようなひとりであったりした。
そして家内は、何かと私を叱咤激励することも多々あったりしたので、
退職後の年金生活の今でも、持続しているのかしら、と私は苦笑したりしている。
一週間前、いつものように洗濯の合間でテレビを視聴している家内に、
私はコーヒーを淹れて、居間のテーブルに置いたりした。
『最近・・コーヒーとブライト(粉末ミルク)・・バランスが欠けているわ・・
一定の量じゃないでしょう・・ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は苦笑しながら、私に言った。
『ダメオ(駄目夫)クン・・かょ』
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、新語だょね、と苦笑したりした。
しかしながら私の日常の大半は、
本屋で魅せられた随筆、ノンフィクション、現代史などを買い求め、
読書していることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
家内はブログには興味がなく、私がどのようなことを綴っているのかは、
一切関知していないので、この投稿文も知らない。
こうした日常生活を過ごせるので、ときには『ボケチィン』、『ダメオ(駄目夫)クン』と、
家内から言われ続けても、中小業の重圧の職責と苦楽の多い体験を重ねてきた私は、
簡単に笑い飛ばしたりしている。
尚、私は家内を呼んだりする時は、
『XXちゃん・・』
と家内の名前を婚約の少し前から呼び、今日まで36年を超えても、
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