夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『日記を書くメリット』を学び、ブログ10年生の私は、微笑み返して・・。

2014-08-05 14:49:54 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
まもなくブログの世界を知った・・。
          
                    
私が定年退職する数ヶ月前、遅ればせながら我が家に於いてインターネットを開設した。

この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、
友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後から自由な時間のひとときにすればよいと思いがあった・・。
         
私は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑としてコンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを活用し、業務に従事していたぐらいであった。

このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webの世界の進化した環境には、驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
          
                             
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風に綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかし無念ながらホームページのソフトを購入して開設までの技量に乏しく、
更に無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

          
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活の日々の思いのことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。

          
そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。

        
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    

このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
          

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
           
私は文章を綴ることが好きなので、ブログの世界を知る前に日記形式で綴っていた・・。

若き20代の頃は、原稿用紙のように升目のある分厚い日記帳、
その後は原稿用紙のノート型で綴ったりしていたが、いずれも手書きであった。

やがて40代の頃からは、自宅に備えたワープロで入力し、フロッピー・ディスクに記憶させたりしていた。

これ以前として、私が初めてパソコンを購入したのは、 確か1983年(昭和58年)の頃であったと思われ、
NECのPC8801だったと記憶している。
そしてベーシック言語でプロクラムを書いたりして、この当時はネットの世界が一般の方に普及していなく、
独学の勉強のひとつとして、新古今和歌集を入力したりしていた。

         
やがて1998年〈平成10年〉夏に、会社と自宅で使う為にパソコンを買い改めたりした。
ノートパソコンで『ウィンドウズ 98』の基本ソフトであり、この当時は付属の記憶装置はフロッピーであった。
そして自宅の居間で、表計算ソフトを活用して、会社の資料を作ったり、
或いは『日記』専用のソフトを買い求めて、私自身の日記を書いたりしていた。
          

しかしながらこの『日記』専用のソフトは、ハードディスクに記憶されて、
無念ながらバックアップの方法は、私は無知であった。
          
こうして3年過ぎた頃、このノートパソコンのハードディスクが壊れて、
修理にだしたが、無念ながら修整不能となり、やむなく新品のハード・ディスクに交換した。

この間、私は過ぎ去った日々の思いの散文が消え去ってしまったことに、茫然とした・・。
あの日の思いを真摯に綴ってきたのに、どうしてくれるのょ、と自身に対して、じくたる思いであったりした。
          
もとより私はハードディスクは故障することもある、と知ったりしていたが、
まさか我が身のノートパソコンが・・と思いで、後悔を重ねたりした。
          

こうした苦い私の出来事があり、インターネットの中に於いてのブログの世界は、
私が数多くの投稿文を重ねても、プログを管理して下さる処理先のサーバーで記憶しているので、
たとえ私のパソコンを買い替えても、投稿文の先のサーバーで保管されているので、
簡単に復旧でき安心である。

しかし年に数度は、ネットの世界は不可解な出来事もあり、
プログ管理側のサーバーが万一故障し、修整不能となった場合に備えて、
私は加入ている【gooブログ】のバックアップ機能を活用し、バックアップをしたりしている。

こうした心情の根底には、10数年前に『日記』専用ソフトが消えてしまった苦い体験から、
保険代わりに実施しているのである。
          
               
                  
私はブログを投稿する際、筆力が乏しいながら
最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしているが、
日本だけでもブログをされている方は、数千万人と風の噂で聞いたりしていた。

そして私の加入している【gooブログ】のサイトでも、
過ぎし年の2008年(平成20年)の当時は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら文章だけの散文らしき文を綴り投稿文としていた。

そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
まるで海岸の広い砂浜にある一粒の砂粒のような存在であった。
                        
       
このように私は、やがて埋もれてしまうか、海に押し流されて消えてしまうか、
誰からも読まれなく無視されることが想像されて、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。

         
こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。

                   
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。

          
その後、2010年〈平成22年〉の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していた・・。

やがて投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、
と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いた。

そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
一昨年の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行している。
          
                                              
こうした中で、『にほんブログ村』に加入している50代から70代の多いシニア層のお方を中核に、
多くのお方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。

          
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
          
                                             
先程、ネットの公式サイトで【初心者のための日記習慣】と命名されたサイトにめぐり逢えた・・。
この中のひとつの課題として『日記を書くメリット』を読んだりした・・。
《・・
◆思い出をいつまでも保存しておける

人間の記憶というものはいい加減なもので、大切だとおもっていた思い出も
月日が流れるうちにいつの間にか曖昧になり、やがては忘れてしまうものです。
日記を書くことで後から当時の自分を振り返ったとき、
忘れかけていた想いを思い出すきっかけとなったり、自分の自信を取り戻す機会になることさえあるとおもいます。
          

◆気持ちの整理ができる

文章を書くにはある程度冷静にならなければ文字にすることができないので、
日記を書くという行為によって、客観的に自分を見つめることができます。

一日の終わりに自分を見つめ直すことは、今日やるべきことがやれたか確認できたり、
将来の目標に近づくために自分が行動できていたかチェックする機会にもなります。

結果的に昨日より今日、今日より明日、とより魅力的な自分に成長するきっかけにもなります。
楽しかった思い出はいつまでも残しておくことができるし、辛かった思い出も、文字にすることで少し心が落ち着き、
文字におこすことで、思い悩んでいたほどたいしたことがないことのように思えることもあるでしょう。
          

◆自分の成長が実感できる

日記に記録しているときは自分にとって何気ない日々の一部だったりしますが、
何年も経って読み返すととても貴重な時間だったことに気づく方もいらっしゃると思います。

書いている自分は月日の流れとともにいい意味でも、悪い意味でも変化していきます。
物事に対する捉え方であったり、その人に対する気持ちであったり…。
日記を続けることで、そういった自分の変化を実感することもできます。・・》
          

このように60歳前後の女性の方が、過ぎ去り人生に愛惜を重ねるように綴られたと思われるが、
確かにそうですよねぇ、と微笑み返しのように、同意させられたりした。
   

        
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。

          
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