夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには『おひとりさま』の生活を過す中、支離滅裂のようなことが多く・・。

2014-08-18 12:57:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
家内は過ぎし8月13日より家内の母宅に8泊9日で行っている。

この間は家内は、家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
残された私は我が家で『おひとりさま』の独りぼっちの生活となっている。

こうした理由は、このサイトで一昨日の16日に於いて、
『何かと愚図でグウダラな私でも、ときには『おひとりさま』の独りぼっちの生活を過ごせば・・。』
と題して投稿しているで、省略する。

13日より私は『おひとりさま』となっているが、気ままに過ごしてきたが、
先程、ぼんやりと振り返った時、実態は支離滅裂のように過ごしてきてしまった、と独り微苦笑したりしている。
          

朝は齢を重ねても元気な児の真似事して5時には起床し、夜に寝付くのは深夜の2時過ぎが多く、
体力の衰えた私は、居間のエアコンの冷気の中、簡易ベットで読書をしながら昼寝をしたりした。

読んだ本は、月刊総合雑誌の『文藝春秋』と『中央公論』の最新号であったり、
単行本は北海道新聞社・編集の『聞き書き 倉本聡 ドラマ人生』(北海道新聞社)であった。

新書本としては木村靖二・著作の『第一次世界大戦』(ちくま新書)を読み終わった後、
嵐山光三郎・著作の『年をとったら驚いた!』(新講社)の単行本を読んでいる最中である。
          

夕食は夜の9時過ぎが多く、ウィスキーをオンザロック風にしている。
大きめのコップに氷を大量に入れたのに、ウィスキーを注(そそ)ぎ込んで、コップが9割方となった後、
少しだけ水を入れ呑んだりしながら、夕食を頂いたりしてきた。

こうしたオンザロック風は平素の場合は、5日毎に呑んだりしているが、
独りぼっちの生活をしていると、毎晩こよなく愛飲してきた。

こうした濃いめのウィスキーを友としながら、私は居間の映画棚から名作と称せられる作品を鑑賞してきた。
『駅 STATION』降旗康男 ・監督(1981年)、
『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)
『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)
そして今宵は、『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1996年)するか、
或いは 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)を観ようか、
迷ったりしている。
          

このように過ごす中、『おひとりさま』の生活をしている時、私が亡くなった時の葬儀のことを思案したりした。
年に数回ぐらい私は家内と話し合ったりしてきた中、
私の葬儀は家族葬で祭壇に花がある中で、静かに音楽が流れる中で兄妹たちが談笑してくれれば、
と私は要望したりしてきた。

こうした中で、音楽の選曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、
交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしてきたが、改めて聴いたりしてきた。

そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
何とか60代の年金生活は、我が人生の初めての安らぐ安息の日々で享受してきた為か、
他の曲はないよなぁ、と微苦笑したりしてきた。
          

こうした独りぼっちの生活をしてきて、掃除、食事、洗濯も手抜きながら予定通り過ごしてきたが、
ひとつだけ例外事項を思いだいてしまった。

朝食の時、一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に5分後にセットした後、
『一汁三菜』の真似事の一汁六菜で頂く前、
やはり一合のご飯は多く、4割方はクレラップに包み、冷蔵庫に保管したりした。

そして昼食の時はフランスパンが多い中、
ときにはクレラップに包んだご飯を取りだして、電子レンジで温めて、おにぎりの代用品として、
頂いたりしてきた。

こうしたクレラップに包みが、冷蔵庫の中には、三つ残っているので、
何日に頂こうか、と思い重ねたりしている。

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