私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
午前中のひととき、脇机に置いてある茶色の書類箱を整理していた。
私は新聞、雑誌などで関心のある記事を切り抜いたりする習性があり、
年に数回ぐらいは不要と思われる記事を破棄したりしている。
今回も切り抜いた記事を不要かしら、と選定している中で、ひとつ記事を読み返してしまった・・。
《 見ごろを迎えたエゾミソハギ=山形市神尾の市野草園 》と題された記事で、
読売新聞の2010年8月10日の朝刊に掲載されていた記事であった。
無断ながら転記させて頂く。
《・・お盆の時期に満開になることから「盆花」と呼ばれるエゾミソハギの紫の花が
山形市神尾の市野草園で見頃を迎え、家族連れらの目を楽しませている。
同園によると、エゾミソハギは、高さ約1メートル~1メートル50で、
県内では山の沼辺や田んぼなど、湿地の近くに生息する。
今年は発芽後の5月下旬に気温が低い日が続き、
例年より1週間ほど遅い7月下旬の開花となったという。
現在は7分咲きで、今週中には約100株が先端まで花をつける。
子ども2人と来園した同市東青田、主婦渋谷美帆さん(34)は
「一つの茎にたくさんの花が咲き、繊細な美しさを感じる」と笑顔で話していた。・・》
私は記事に添付されてエゾ・ミソハギの写真を見たりして、
私は幼年期から見た禊萩(ミソハギ)よりも、エゾ・ミソハギは、何かしら色合いも違うようだし、
茎も高いかしら、とぼんやりと感じたりし、
やがて私が幼年期に見たミソハギの情景に思いを馳せたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/0a/f8931b3c824c28db689e6da94b630aba.jpg)
☆7月23日に『水生植物園』で撮った☆
私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。
こうした中で、田んぼの中には小川に流れたり、ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
幼年期の私は、何かと湧水に魅せられて、夏も冬も変ることこんこんと湧き出る水を不思議に思ったりしていた。
そしてこの湧き水は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。
初夏になると湧水の周辺は、朱紅色したミソハギの花が咲きはじめ、
そして蓮の花が莟(つぼみ)になりはじめていた。
私は父、祖父が亡くなる小学三年生の頃までの、この頃を思いだし、
記憶を頼りに思い浮かべていたのである・・。
そして父、祖父が病死される私が小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。
7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。
そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。
そして泥だらけの中で、どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/50/bc7baf35e649ff1220da99a52e7f0f62.jpg)
やがて生家のお盆は、古来より8月1日は『お盆の日』となっている。
そしてお盆の迎え火は、7月30日の夕方に行われるが、
この日の午前中には、仏間にある仏壇から位牌と仏具一式を取り出した後、
仏壇の扉は、このお盆の期間だけ閉じられ、
この前に畳一帖ぐらい台に盆棚と称せられたこのお盆の時だけの棚が設置された後、
この盆棚に移された。
そして盆棚の中央の奥に位牌を置き、周辺に野菜、果物を供えられ、
胡瓜(キュウリ)に割り箸のような足を付け馬を見立て、
茄子(ナス)も同様な形で牛に見立てたものを飾っていた・・。
後年になると、叔父さんから、馬は祖先の霊に乗って、この世に戻り、
牛はお墓に戻る時に乗って帰られる、と私は教えられたりした。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉に茄子を小さく刻んだのを浮べ、
淡い紅紫色のミソハギを小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の百合の花などの草花を飾り、この中で蓮(ハス)の花が中核となっていた。
このような情景を思い出したりしていたが、
お盆に深く思いだされるのは、やはり蓮の花、百合の花、そしてミソハギが、
瞬時に私の心の残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/46/cbf516709db5b725569eb67b215cea1d.jpg)
こうした心情を秘めてきた私は、生家の近くに家を建てた1978年(昭和53年)の春に、
やがて生家の長兄宅の宅地の片隅に植えられたミソハギを少し頂き、
我が家の庭に植えたのであるが、数年後の乾期の時が過ぎた時、枯れ果ててしまった。
そして私は、ミソハギに関しては、
周辺を散策して、あるお宅の片隅、或いは近い所の旧家の畑の片隅に植えられたミソハギを見かけたりするが、
やはり幼年期に見た湧水の周囲の光景が深く残っているので、違和感を感じたりしている。
その後の私は、3キロばかり離れた都立『神代植物公園』の近くにある『水生植物園』に植えられている、
蓮の花、ミソハギを観るために、
この時節に45分ばかり歩いて、過ぎ去り30数年に幾たびも観賞し、心を寄せたりしている。
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午前中のひととき、脇机に置いてある茶色の書類箱を整理していた。
私は新聞、雑誌などで関心のある記事を切り抜いたりする習性があり、
年に数回ぐらいは不要と思われる記事を破棄したりしている。
今回も切り抜いた記事を不要かしら、と選定している中で、ひとつ記事を読み返してしまった・・。
《 見ごろを迎えたエゾミソハギ=山形市神尾の市野草園 》と題された記事で、
読売新聞の2010年8月10日の朝刊に掲載されていた記事であった。
無断ながら転記させて頂く。
《・・お盆の時期に満開になることから「盆花」と呼ばれるエゾミソハギの紫の花が
山形市神尾の市野草園で見頃を迎え、家族連れらの目を楽しませている。
同園によると、エゾミソハギは、高さ約1メートル~1メートル50で、
県内では山の沼辺や田んぼなど、湿地の近くに生息する。
今年は発芽後の5月下旬に気温が低い日が続き、
例年より1週間ほど遅い7月下旬の開花となったという。
現在は7分咲きで、今週中には約100株が先端まで花をつける。
子ども2人と来園した同市東青田、主婦渋谷美帆さん(34)は
「一つの茎にたくさんの花が咲き、繊細な美しさを感じる」と笑顔で話していた。・・》
私は記事に添付されてエゾ・ミソハギの写真を見たりして、
私は幼年期から見た禊萩(ミソハギ)よりも、エゾ・ミソハギは、何かしら色合いも違うようだし、
茎も高いかしら、とぼんやりと感じたりし、
やがて私が幼年期に見たミソハギの情景に思いを馳せたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/0a/f8931b3c824c28db689e6da94b630aba.jpg)
☆7月23日に『水生植物園』で撮った☆
私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。
こうした中で、田んぼの中には小川に流れたり、ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
幼年期の私は、何かと湧水に魅せられて、夏も冬も変ることこんこんと湧き出る水を不思議に思ったりしていた。
そしてこの湧き水は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。
初夏になると湧水の周辺は、朱紅色したミソハギの花が咲きはじめ、
そして蓮の花が莟(つぼみ)になりはじめていた。
私は父、祖父が亡くなる小学三年生の頃までの、この頃を思いだし、
記憶を頼りに思い浮かべていたのである・・。
そして父、祖父が病死される私が小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。
7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。
そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。
そして泥だらけの中で、どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/50/bc7baf35e649ff1220da99a52e7f0f62.jpg)
やがて生家のお盆は、古来より8月1日は『お盆の日』となっている。
そしてお盆の迎え火は、7月30日の夕方に行われるが、
この日の午前中には、仏間にある仏壇から位牌と仏具一式を取り出した後、
仏壇の扉は、このお盆の期間だけ閉じられ、
この前に畳一帖ぐらい台に盆棚と称せられたこのお盆の時だけの棚が設置された後、
この盆棚に移された。
そして盆棚の中央の奥に位牌を置き、周辺に野菜、果物を供えられ、
胡瓜(キュウリ)に割り箸のような足を付け馬を見立て、
茄子(ナス)も同様な形で牛に見立てたものを飾っていた・・。
後年になると、叔父さんから、馬は祖先の霊に乗って、この世に戻り、
牛はお墓に戻る時に乗って帰られる、と私は教えられたりした。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉に茄子を小さく刻んだのを浮べ、
淡い紅紫色のミソハギを小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の百合の花などの草花を飾り、この中で蓮(ハス)の花が中核となっていた。
このような情景を思い出したりしていたが、
お盆に深く思いだされるのは、やはり蓮の花、百合の花、そしてミソハギが、
瞬時に私の心の残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/46/cbf516709db5b725569eb67b215cea1d.jpg)
こうした心情を秘めてきた私は、生家の近くに家を建てた1978年(昭和53年)の春に、
やがて生家の長兄宅の宅地の片隅に植えられたミソハギを少し頂き、
我が家の庭に植えたのであるが、数年後の乾期の時が過ぎた時、枯れ果ててしまった。
そして私は、ミソハギに関しては、
周辺を散策して、あるお宅の片隅、或いは近い所の旧家の畑の片隅に植えられたミソハギを見かけたりするが、
やはり幼年期に見た湧水の周囲の光景が深く残っているので、違和感を感じたりしている。
その後の私は、3キロばかり離れた都立『神代植物公園』の近くにある『水生植物園』に植えられている、
蓮の花、ミソハギを観るために、
この時節に45分ばかり歩いて、過ぎ去り30数年に幾たびも観賞し、心を寄せたりしている。
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