私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
まもなくブログの世界を知った・・。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活の日々の思いのことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。

このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした中で、先ほどネットで各種のニュースを見ている中で、
【ネットで賢く生きる方法 SNSでいかに自分が弱者かアピール】と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、とクリックしてしまった。
私は齢ばかり重ねても、好奇心を失くしたらこの世は終わりだ、と信念のある身なので、
この記事を精読したのである。
この記事は『NEWS ポストセブン 』の8月9日(土)に於いて配信された記事であり、
無断ながら記事の大半を転載させて頂く。
《・・ネット社会でどう生きるかは多くの人にとって重要なテーマだ。
ネットニュース編集者の中川淳一郎氏はこうアドバイスする。
2014年、ネットで賢く生きる方法を紹介しよう。
【1】いかに自分が傷ついたかをアピール
【2】いかに自分が弱者であるかをアピール
【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことの3点だ。
これをネットでやっておけば、まぁ、強い強い! 【1】~【3】のコンボを出されてしまったら、もはや勝てない。
「弱者の強者化」である。
【1】、【2】については、持病があること、貧乏なこと、父親からDⅤを受けたことなどを
SNS等のプロフィール欄などに書いておくことが重要だ。
これにより「弱者様」になれるし、この方々を批判すると人でなし扱いされ、
「彼女は心の傷を負ってるんですよ! 彼女に謝ってください!」なんて話になる。
(略)重要なのは、自分の努力ではどうしようもならないことを書いておくことです。(略)・・》
このような3つのネット上の哲学のような記事を読み終わった後、私は微苦笑してしまった・・。

これまでの私の多くの投稿文の中には、、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しては、余すところなく表現してきた、
誰しも光と影があるので、ためらいながらもマイナスと称される影も私は描写してきた。
たとえば
◎母は生まれてまもなく里子にだされて、やがて私たち兄妹の母親となった。
◎私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
◎或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、私たち五人の子供は成人したこと。
◎又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。
◎そして私自身の場合は、幼児の時は、いじけたことが多く、小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であった。
◎大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、新人賞に3回応募したが落選し、やがて敗退したこと。
◎或いは定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。
こうした出来事のことは、小心者の私としては匿名であることで発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。
このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。
小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、間接的な意味合いからして同じかしら、と思ったりしている。
このような理由も重ねて、私は『夢逢人』と命名した。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
そしてこのように私は、これまでの人生の歩みを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。
このようなことであるが、上記の【1】、【2】には該当しない、と思ったりしている。

悩ましいのは、【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことである。
私の場合も専門知識のなく疎(うと)い身ながら、ときおり政治、外交、軍事、経済、社会の出来事を綴ったりしてきた。
しかしながら、一時的な感情だけで吐露(とろ)し、後で後悔することが多かったりしてきた。
その上、心の奥に感じてきた危険な事柄は、心の節度として抑止してきた。
たとえば、
◎XX党は、うわべの平和を念仏のように発言し、平和ボケであり、国家の主権さえも欠落している。
◎XX党は、財源の悪化を無視してまでも、福祉だけを最優先とする政策を掲げ、日本の衰退を招く悪質な党である。
◎社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、たとえ法治国家の日本であっても、即時に絞首刑にしなさい、
このようなことを私が記載すれば、もとより私の人格が疑われてしまい、
感情と理性の間を往還しながら、心の節度して平坦な発言の投稿文となってしまうことが多かった。

しかしながら余りにも政治家が心の節度が欠けたと感じた時は、幾たびか投稿したこともあった。
過ぎ去り年、民主党は衆議選の公約のひとつとして、基地を県外移設などど掲げて、政権の交代をした後、
やがて鳩山政権の中、『普天間基地の移設問題』も混迷していた時であった。
【鳩山首相、5月4日沖縄訪問の時は、『沖縄県民の前で土下座をする責務がある』】
と題して2010年4月30日、投稿したりした。
今回、あえて一部を再掲載する。
【・・今回の『普天間基地の移設問題』に関しては、ときおり注視してきた。
このことはこのサイトに於いても綴ってきたので省略するが、
何よりも鳩山首相の言動に困惑してきたひとりである。
国の根幹となす防衛のひとつの『普天間基地の移設問題』であるが、
沖縄県民はもとより国民の多くを愚弄してきたことは罪は重く、国際の主要国もあきれ果ている現状である。
鳩山首相がそれなりに沖縄に対して深い思いがあるならば、
就任後、いち早く関係国のアメリカはもとより、国内の関係者に働きかけるべきであり、私は不可解であった。
今回、昏迷している『普天間基地の移設問題』を解決する第一歩として、
沖縄訪問の際は、少なくとも沖縄首脳陣の方たちはもとより、数多くの県民の前で、
少なくとも土下座してこれまでの昏迷したことにお詫びする・・、
これしか私には対応策として浮かばないのである・・。
今回のような迷走となっている場合は、鳩山首相が沖縄に下り立った時、
たとえ警察官の守られながらも、県民の多くから石を投げつけられてやむえない現状であるので、
せめて鳩山首相ができることの第一歩として、
ひたすらお詫びを重ねながら土下座をし、スーツが泥まみれになっても、
こうした言動こそ私は切望するのである。・・(略)・・】

こうした投稿をしたのであるが、今回の【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことである、
該当するかしら、と私は苦笑してしまった。
たかがブログ、されどブログの投稿文の内容は、ときには気楽でなく、真摯で苦渋する時もある、
と高齢者の私は微苦笑したりしている。
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年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
まもなくブログの世界を知った・・。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活の日々の思いのことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。

このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした中で、先ほどネットで各種のニュースを見ている中で、
【ネットで賢く生きる方法 SNSでいかに自分が弱者かアピール】と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、とクリックしてしまった。
私は齢ばかり重ねても、好奇心を失くしたらこの世は終わりだ、と信念のある身なので、
この記事を精読したのである。
この記事は『NEWS ポストセブン 』の8月9日(土)に於いて配信された記事であり、
無断ながら記事の大半を転載させて頂く。
《・・ネット社会でどう生きるかは多くの人にとって重要なテーマだ。
ネットニュース編集者の中川淳一郎氏はこうアドバイスする。
2014年、ネットで賢く生きる方法を紹介しよう。
【1】いかに自分が傷ついたかをアピール
【2】いかに自分が弱者であるかをアピール
【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことの3点だ。
これをネットでやっておけば、まぁ、強い強い! 【1】~【3】のコンボを出されてしまったら、もはや勝てない。
「弱者の強者化」である。
【1】、【2】については、持病があること、貧乏なこと、父親からDⅤを受けたことなどを
SNS等のプロフィール欄などに書いておくことが重要だ。
これにより「弱者様」になれるし、この方々を批判すると人でなし扱いされ、
「彼女は心の傷を負ってるんですよ! 彼女に謝ってください!」なんて話になる。
(略)重要なのは、自分の努力ではどうしようもならないことを書いておくことです。(略)・・》
このような3つのネット上の哲学のような記事を読み終わった後、私は微苦笑してしまった・・。

これまでの私の多くの投稿文の中には、、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しては、余すところなく表現してきた、
誰しも光と影があるので、ためらいながらもマイナスと称される影も私は描写してきた。
たとえば
◎母は生まれてまもなく里子にだされて、やがて私たち兄妹の母親となった。
◎私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
◎或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、私たち五人の子供は成人したこと。
◎又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。
◎そして私自身の場合は、幼児の時は、いじけたことが多く、小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であった。
◎大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、新人賞に3回応募したが落選し、やがて敗退したこと。
◎或いは定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。
こうした出来事のことは、小心者の私としては匿名であることで発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。

このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。
小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、間接的な意味合いからして同じかしら、と思ったりしている。
このような理由も重ねて、私は『夢逢人』と命名した。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
そしてこのように私は、これまでの人生の歩みを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。
このようなことであるが、上記の【1】、【2】には該当しない、と思ったりしている。

悩ましいのは、【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことである。
私の場合も専門知識のなく疎(うと)い身ながら、ときおり政治、外交、軍事、経済、社会の出来事を綴ったりしてきた。
しかしながら、一時的な感情だけで吐露(とろ)し、後で後悔することが多かったりしてきた。
その上、心の奥に感じてきた危険な事柄は、心の節度として抑止してきた。
たとえば、
◎XX党は、うわべの平和を念仏のように発言し、平和ボケであり、国家の主権さえも欠落している。
◎XX党は、財源の悪化を無視してまでも、福祉だけを最優先とする政策を掲げ、日本の衰退を招く悪質な党である。
◎社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、たとえ法治国家の日本であっても、即時に絞首刑にしなさい、
このようなことを私が記載すれば、もとより私の人格が疑われてしまい、
感情と理性の間を往還しながら、心の節度して平坦な発言の投稿文となってしまうことが多かった。

しかしながら余りにも政治家が心の節度が欠けたと感じた時は、幾たびか投稿したこともあった。
過ぎ去り年、民主党は衆議選の公約のひとつとして、基地を県外移設などど掲げて、政権の交代をした後、
やがて鳩山政権の中、『普天間基地の移設問題』も混迷していた時であった。
【鳩山首相、5月4日沖縄訪問の時は、『沖縄県民の前で土下座をする責務がある』】
と題して2010年4月30日、投稿したりした。
今回、あえて一部を再掲載する。
【・・今回の『普天間基地の移設問題』に関しては、ときおり注視してきた。
このことはこのサイトに於いても綴ってきたので省略するが、
何よりも鳩山首相の言動に困惑してきたひとりである。
国の根幹となす防衛のひとつの『普天間基地の移設問題』であるが、
沖縄県民はもとより国民の多くを愚弄してきたことは罪は重く、国際の主要国もあきれ果ている現状である。
鳩山首相がそれなりに沖縄に対して深い思いがあるならば、
就任後、いち早く関係国のアメリカはもとより、国内の関係者に働きかけるべきであり、私は不可解であった。
今回、昏迷している『普天間基地の移設問題』を解決する第一歩として、
沖縄訪問の際は、少なくとも沖縄首脳陣の方たちはもとより、数多くの県民の前で、
少なくとも土下座してこれまでの昏迷したことにお詫びする・・、
これしか私には対応策として浮かばないのである・・。
今回のような迷走となっている場合は、鳩山首相が沖縄に下り立った時、
たとえ警察官の守られながらも、県民の多くから石を投げつけられてやむえない現状であるので、
せめて鳩山首相ができることの第一歩として、
ひたすらお詫びを重ねながら土下座をし、スーツが泥まみれになっても、
こうした言動こそ私は切望するのである。・・(略)・・】

こうした投稿をしたのであるが、今回の【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことである、
該当するかしら、と私は苦笑してしまった。
たかがブログ、されどブログの投稿文の内容は、ときには気楽でなく、真摯で苦渋する時もある、
と高齢者の私は微苦笑したりしている。
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