私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
年金生活を始めた当時、家内は結婚後やがて2年ばかり除き、長らく専業主婦だったので、
家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、平素の買物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後も私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
そして散策し帰宅後、何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
定年後の年金生活の単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしている。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。
ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。
或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
このような年金生活をしている中で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
こうした中で、多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしている。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られたそのお方の人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深め教示されている。
このように読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりする時もあり、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、単なる絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。
そして言霊(ことだま)を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしている。
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
秘かに感謝したりしている。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
こうした生活を過ごす中、ときには我が家の小庭の手入れをしたり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行を重ねたり、
ある日には気心知れた長年の友と居酒屋などで談笑したりしている。
このように年金生活を10年近く過ごしてきたが、
何かしら愚図な私であるが、年金生活の中でも、一日が早く過ぎていることを実感したりしている。

過ぎし20日に於いて、私のブログサイトにシニア・ナビ事務局から、コメントを頂いた。
《・・はじめまして。シニアナビ事務局と申します。
突然のコメントで申し訳ございません。
私たちはシニア向けのコミュニティサイト「シニア・ナビ」を運営しております。
シニアナビはお持ちのブログ登録が出来き、シニアナビ内でこちらのブログを公開する事ができます。
メンバーにいつまでも楽しんで頂けるよう、また新しい趣味や生きがいをお探しの方に役立つサイトを目指して、
日々、イベントなどを企画して発信しております。
こちらで日々書かれている素晴らしいブログをシニアナビでもご披露いただけないでしょうか?
私達は、皆様が書かれているブログを通してシニアの皆様にそれぞれの生活、趣味、生き方をお伝えし、
ご自身の生活をより豊かなものにしていただきたいと考えています。
まずは、シニア・ナビに遊びに来ていただけると嬉しいです♪・・》
こうした礼節ある丁重なシニア・ナビの加入の勧誘を頂いた。
私はシニア・ナビに関して、無知であったので、この公式サイトを開いた・・。
そして30分ばかり拝見して、それぞれの加入しているシニアの方たちに好感を感じたりしたが、
私はこれ以上フィールド(範囲)を拡げると、肝要な読書の時間も減るし、
私が愛読しているブログの投稿文を読む時間も減ってしまう、と危惧したりした。
或いは愛読しているブログの投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしているが、
殆どはコメントをするのに時間に余裕なく、単なる隠れキリシタンのような愛読者のひとりとなっているのが、
実情である。
こうした心情のある私は、シニア・ナビの加入して交遊する時間があったならば、
これまで愛読している人にコメントをする時間にしたい、と強く思いながら、
シニア・ナビの加入を断念した。
私は年金生活を始めて1年を過ぎた頃、
たまたま作家・城山三郎の著作の『無所属の時間に生きる』を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を瞬時に圧倒的に魅了され、この時から教訓のひとつとしている。
《・・人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。・・》
そして私は亡き城山三郎氏の遺(のこ)された言葉を秘かに指針として、日々過ごしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
年金生活を始めた当時、家内は結婚後やがて2年ばかり除き、長らく専業主婦だったので、
家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、平素の買物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後も私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。

そして散策し帰宅後、何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
定年後の年金生活の単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしている。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。
ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。
或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
このような年金生活をしている中で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
こうした中で、多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしている。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られたそのお方の人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深め教示されている。
このように読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりする時もあり、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
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その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。
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この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしている。
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
秘かに感謝したりしている。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。

こうした生活を過ごす中、ときには我が家の小庭の手入れをしたり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行を重ねたり、
ある日には気心知れた長年の友と居酒屋などで談笑したりしている。
このように年金生活を10年近く過ごしてきたが、
何かしら愚図な私であるが、年金生活の中でも、一日が早く過ぎていることを実感したりしている。

過ぎし20日に於いて、私のブログサイトにシニア・ナビ事務局から、コメントを頂いた。
《・・はじめまして。シニアナビ事務局と申します。
突然のコメントで申し訳ございません。
私たちはシニア向けのコミュニティサイト「シニア・ナビ」を運営しております。
シニアナビはお持ちのブログ登録が出来き、シニアナビ内でこちらのブログを公開する事ができます。
メンバーにいつまでも楽しんで頂けるよう、また新しい趣味や生きがいをお探しの方に役立つサイトを目指して、
日々、イベントなどを企画して発信しております。
こちらで日々書かれている素晴らしいブログをシニアナビでもご披露いただけないでしょうか?
私達は、皆様が書かれているブログを通してシニアの皆様にそれぞれの生活、趣味、生き方をお伝えし、
ご自身の生活をより豊かなものにしていただきたいと考えています。
まずは、シニア・ナビに遊びに来ていただけると嬉しいです♪・・》
こうした礼節ある丁重なシニア・ナビの加入の勧誘を頂いた。
私はシニア・ナビに関して、無知であったので、この公式サイトを開いた・・。
そして30分ばかり拝見して、それぞれの加入しているシニアの方たちに好感を感じたりしたが、
私はこれ以上フィールド(範囲)を拡げると、肝要な読書の時間も減るし、
私が愛読しているブログの投稿文を読む時間も減ってしまう、と危惧したりした。
或いは愛読しているブログの投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしているが、
殆どはコメントをするのに時間に余裕なく、単なる隠れキリシタンのような愛読者のひとりとなっているのが、
実情である。
こうした心情のある私は、シニア・ナビの加入して交遊する時間があったならば、
これまで愛読している人にコメントをする時間にしたい、と強く思いながら、
シニア・ナビの加入を断念した。

私は年金生活を始めて1年を過ぎた頃、
たまたま作家・城山三郎の著作の『無所属の時間に生きる』を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を瞬時に圧倒的に魅了され、この時から教訓のひとつとしている。
《・・人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。・・》
そして私は亡き城山三郎氏の遺(のこ)された言葉を秘かに指針として、日々過ごしている。
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