夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

齢を重ね気弱な私、蝉(セミ)、鈴虫(スズムシ)より、蟋蟀(コオロギ)に愛(いと)おしさを増し・・。

2014-08-14 14:49:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昼下がりの今、小庭の四方で幾種類かの蝉(セミ)が盛んに鳴いて、
今鳴かなくて何日鳴くのよ、といったように煩(うるさ)いほど鳴いている。

私は指揮者のいない混成合唱団が、まとわりつかないまま勝手に唄っている、
と思えて苦笑したりした。
          

昨日の朝、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、花梨(カリン)の枝にたわむれている。

そして私は、たわわな紫紅色の花の木槿(ムクゲ)を眺めたり、
          

或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
或いは一週間前の頃から純白な花な玉すだれ〈タマスダレ〉の花が咲きはじめ、
齢ばかり重ねた私の汚れきった心を浄化してくれるようなので、長らく見つめたりした。


我が家の小庭では、この時節の朝は鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となる。

そして日中の暑い中は、蝉(セミ)がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように健気(けなげ)に鳴き響いている・・。

鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈している。

やがて夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしている。

鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型と思ったりしているが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。
          

過日、小庭の手入れをし、草むしりもしている中、塀際の一部だけは、
鈴虫(スズムシ)と蟋蟀(コオロギ)の安住地と願いながら、あえて草は放置した。

夜のひととき、予定通り鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱の中、
定年退職後の年金生活の中で、何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。

鈴虫(スズムシ)は少なくとも平安朝の頃から、
夜のひととき月明かりの下で音色を奏(かな)で、愛されてきた・・。

私は思いを重ねるように、若き頃の私は千年の歳月も超越して確かに風流だよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)くこともあったりした。

しかしながら、ここ10年は鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱団の音色より、
蟋蟀(コオロギ)に愛(いと)おしさを増している。

少し遠慮しながら哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、やがて初秋になれば、
蝉(セミ)が消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。

鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはオトナシクなるかしら、と私は秘かに願ったりしている。

このようなことをここ数年、この時節の夜のひととき、思いながら過ごす時もある。

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