私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
昼下がりの今、小庭の四方で幾種類かの蝉(セミ)が盛んに鳴いて、
今鳴かなくて何日鳴くのよ、といったように煩(うるさ)いほど鳴いている。
私は指揮者のいない混成合唱団が、まとわりつかないまま勝手に唄っている、
と思えて苦笑したりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/97/a7aff93b52c51805d715822ff2808d68.jpg)
昨日の朝、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、花梨(カリン)の枝にたわむれている。
そして私は、たわわな紫紅色の花の木槿(ムクゲ)を眺めたり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c9/43da271222b93c984fb1bb10d33821af.jpg)
或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
或いは一週間前の頃から純白な花な玉すだれ〈タマスダレ〉の花が咲きはじめ、
齢ばかり重ねた私の汚れきった心を浄化してくれるようなので、長らく見つめたりした。
我が家の小庭では、この時節の朝は鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となる。
そして日中の暑い中は、蝉(セミ)がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように健気(けなげ)に鳴き響いている・・。
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈している。
やがて夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしている。
鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型と思ったりしているが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/39/b45c99e4909d70dd20405b0a86e48e36.jpg)
過日、小庭の手入れをし、草むしりもしている中、塀際の一部だけは、
鈴虫(スズムシ)と蟋蟀(コオロギ)の安住地と願いながら、あえて草は放置した。
夜のひととき、予定通り鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱の中、
定年退職後の年金生活の中で、何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。
鈴虫(スズムシ)は少なくとも平安朝の頃から、
夜のひととき月明かりの下で音色を奏(かな)で、愛されてきた・・。
私は思いを重ねるように、若き頃の私は千年の歳月も超越して確かに風流だよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)くこともあったりした。
しかしながら、ここ10年は鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱団の音色より、
蟋蟀(コオロギ)に愛(いと)おしさを増している。
少し遠慮しながら哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、やがて初秋になれば、
蝉(セミ)が消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。
鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはオトナシクなるかしら、と私は秘かに願ったりしている。
このようなことをここ数年、この時節の夜のひととき、思いながら過ごす時もある。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1661_1.gif)
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
昼下がりの今、小庭の四方で幾種類かの蝉(セミ)が盛んに鳴いて、
今鳴かなくて何日鳴くのよ、といったように煩(うるさ)いほど鳴いている。
私は指揮者のいない混成合唱団が、まとわりつかないまま勝手に唄っている、
と思えて苦笑したりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/97/a7aff93b52c51805d715822ff2808d68.jpg)
昨日の朝、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、花梨(カリン)の枝にたわむれている。
そして私は、たわわな紫紅色の花の木槿(ムクゲ)を眺めたり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c9/43da271222b93c984fb1bb10d33821af.jpg)
或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
或いは一週間前の頃から純白な花な玉すだれ〈タマスダレ〉の花が咲きはじめ、
齢ばかり重ねた私の汚れきった心を浄化してくれるようなので、長らく見つめたりした。
我が家の小庭では、この時節の朝は鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となる。
そして日中の暑い中は、蝉(セミ)がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように健気(けなげ)に鳴き響いている・・。
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈している。
やがて夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしている。
鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型と思ったりしているが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/39/b45c99e4909d70dd20405b0a86e48e36.jpg)
過日、小庭の手入れをし、草むしりもしている中、塀際の一部だけは、
鈴虫(スズムシ)と蟋蟀(コオロギ)の安住地と願いながら、あえて草は放置した。
夜のひととき、予定通り鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱の中、
定年退職後の年金生活の中で、何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。
鈴虫(スズムシ)は少なくとも平安朝の頃から、
夜のひととき月明かりの下で音色を奏(かな)で、愛されてきた・・。
私は思いを重ねるように、若き頃の私は千年の歳月も超越して確かに風流だよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)くこともあったりした。
しかしながら、ここ10年は鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱団の音色より、
蟋蟀(コオロギ)に愛(いと)おしさを増している。
少し遠慮しながら哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、やがて初秋になれば、
蝉(セミ)が消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。
鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはオトナシクなるかしら、と私は秘かに願ったりしている。
このようなことをここ数年、この時節の夜のひととき、思いながら過ごす時もある。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
![にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ](http://senior.blogmura.com/senior_over60/img/senior_over6088_31.gif)
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1661_1.gif)