私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若い65歳となっている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中で、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私たち夫婦は、結婚してまもなく39年生を迎える。

こうした中で私は、外見上は連れ合いと称しているパートナーのことは、家内としている。
奥方というのも、つなない私でも遥か高貴の家から降下され嫁いできたような方と思い、
女房、というのも、私はあえてさけている。
女房の語源は、平安時代に於いて、宮中で私的事務をつかさどった女官の名称、
と若き頃に、井口樹生・文学博士から教示された。
そして、『房』は部屋を指し、奥ゆかしき独り専用の広い部屋のことらしく、
我が家としては、無念ながらこのような家内専用の部屋がないのである。
従って、消却法として、妻というのは何となく恥ずかしく、家内と私は外見上は公言している。
そして内輪の名称は、XX、と愛しき連れ合いを呼び捨てにしている方たちがいる。
私の世代より齢上の方の男性に多く、私の兄も同様で、
私は何となく存在を粗末にしているように感じ受け、論外としている。
XXさん、というのも寝食を共にしているので、他人行儀らしく感じたりしている。
このような幾つになっても私は、可愛げのない独断と偏見の思いがある私である。
私がこの広い世界の中で、家内とめぐり逢えたのは、私の妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であり、
二度目に私たちは待ち合わした時、私はXXさんでは他人のように思え、
いきなり相手の名前をもとより知っていたので、XXちゃん、と呼んだ。
相手の女性は、驚いたような表情を浮かべた・・。
私の発想の根源は、恥ずかしながら告白すれば、
私が二十歳過ぎた頃に愛読していた小説家・福永武彦さんの『草の花』の中で、
主人公の男性が交遊し好感している女性に対して、XXちゃん、と呼んでいたのである。
私はこれ以降、婚約、結婚、そして子供も恵まれなかったこともあるが、
家内のことを、我が家ではもとより、親族の集いなどを含めて、
XXちゃん付けとして呼んでいる。

私たち夫婦は、共通の趣味のひとつとして、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から国内の各地を旅行をしたりしている・・。
ときには団体観光ツアーで各地を周遊したこともある。
バス、新幹線の車内、休憩所の土産売り場、観光ホテルのロビーとかで、
ご一緒に旅をしている人達から、ときおり笑われたりしてきた。
たとえば、新幹線を下車する直前、旅行のバックを持つ前に、
『あなた・・まわりのお方に注意して・・持ってね・・』
と私は家内から言われたりすることが多い。
こうした時、
『はい!』
と私は明るく大きな声で家内に返事をする。
私は日常生活でも家内から何か言われた時、はぁ~ぃ、と少しだらけた返事は嫌いなので、
短めで明るく大きな声で返事をしているのであるが、
なぜか旅先でご一緒から、笑われたりするのである。
私は家内を呼ぶ時には、
『XXちゃん・・さぁ・・』
と私はいつものように、家内の名前を口にしたりすると、
車内の付近から、くすくす笑われたりしてきた。
私は家内と婚約する前の交際期間から、ちゃん付けで呼んでいるので、
もとより私は平然としたりしてきた。
家内が私を呼ぶ時は、
あなた、が多いが、ときにはXXさん、と名前で呼ばれたりすることもある。
こうした時、ご一緒の特に女性グループ方達から、
『あなた達・・いいわねぇ・・』
と家内は笑いながら言われたりしている。
こうしたことは、私はいつもの日常生活で使っているので、
私は戸惑いながら、ご一緒の方達に微笑返しをしたりしてきた。

このように私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら2004年(平成16年)の秋、定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めてまもない頃、私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
このように長き結婚生活をしている中、家内が私の呼び名に変貌する時もあり、
ときおり私は微苦笑する時もある。
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家内は私より5歳ばかり若い65歳となっている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中で、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私たち夫婦は、結婚してまもなく39年生を迎える。

こうした中で私は、外見上は連れ合いと称しているパートナーのことは、家内としている。
奥方というのも、つなない私でも遥か高貴の家から降下され嫁いできたような方と思い、
女房、というのも、私はあえてさけている。
女房の語源は、平安時代に於いて、宮中で私的事務をつかさどった女官の名称、
と若き頃に、井口樹生・文学博士から教示された。
そして、『房』は部屋を指し、奥ゆかしき独り専用の広い部屋のことらしく、
我が家としては、無念ながらこのような家内専用の部屋がないのである。
従って、消却法として、妻というのは何となく恥ずかしく、家内と私は外見上は公言している。
そして内輪の名称は、XX、と愛しき連れ合いを呼び捨てにしている方たちがいる。
私の世代より齢上の方の男性に多く、私の兄も同様で、
私は何となく存在を粗末にしているように感じ受け、論外としている。
XXさん、というのも寝食を共にしているので、他人行儀らしく感じたりしている。
このような幾つになっても私は、可愛げのない独断と偏見の思いがある私である。

私がこの広い世界の中で、家内とめぐり逢えたのは、私の妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であり、
二度目に私たちは待ち合わした時、私はXXさんでは他人のように思え、
いきなり相手の名前をもとより知っていたので、XXちゃん、と呼んだ。
相手の女性は、驚いたような表情を浮かべた・・。
私の発想の根源は、恥ずかしながら告白すれば、
私が二十歳過ぎた頃に愛読していた小説家・福永武彦さんの『草の花』の中で、
主人公の男性が交遊し好感している女性に対して、XXちゃん、と呼んでいたのである。
私はこれ以降、婚約、結婚、そして子供も恵まれなかったこともあるが、
家内のことを、我が家ではもとより、親族の集いなどを含めて、
XXちゃん付けとして呼んでいる。

私たち夫婦は、共通の趣味のひとつとして、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から国内の各地を旅行をしたりしている・・。
ときには団体観光ツアーで各地を周遊したこともある。
バス、新幹線の車内、休憩所の土産売り場、観光ホテルのロビーとかで、
ご一緒に旅をしている人達から、ときおり笑われたりしてきた。
たとえば、新幹線を下車する直前、旅行のバックを持つ前に、
『あなた・・まわりのお方に注意して・・持ってね・・』
と私は家内から言われたりすることが多い。
こうした時、
『はい!』
と私は明るく大きな声で家内に返事をする。
私は日常生活でも家内から何か言われた時、はぁ~ぃ、と少しだらけた返事は嫌いなので、
短めで明るく大きな声で返事をしているのであるが、
なぜか旅先でご一緒から、笑われたりするのである。
私は家内を呼ぶ時には、
『XXちゃん・・さぁ・・』
と私はいつものように、家内の名前を口にしたりすると、
車内の付近から、くすくす笑われたりしてきた。
私は家内と婚約する前の交際期間から、ちゃん付けで呼んでいるので、
もとより私は平然としたりしてきた。
家内が私を呼ぶ時は、
あなた、が多いが、ときにはXXさん、と名前で呼ばれたりすることもある。
こうした時、ご一緒の特に女性グループ方達から、
『あなた達・・いいわねぇ・・』
と家内は笑いながら言われたりしている。
こうしたことは、私はいつもの日常生活で使っているので、
私は戸惑いながら、ご一緒の方達に微笑返しをしたりしてきた。

このように私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら2004年(平成16年)の秋、定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めてまもない頃、私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
このように長き結婚生活をしている中、家内が私の呼び名に変貌する時もあり、
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