夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

70歳になっても、敗残者のような私でも、人生最良の時期と感じ深めて・・。

2015-03-05 15:06:20 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
年金生活を始めたひとりである。

こうした中で、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となり、
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたりした。

そして遠い勤務地に通勤し、やかて半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、
と自身を叱咤激励しながら奮戦している中、出向先の会社も大幅なリストラが実施されたりした。

或いは私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風が加速され、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。
                     

           
そして私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

     
このように私は敗残者のようなサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。

         
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。

                 
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、ささやかに年金生活を始めた・・。

やがて厚生年金、わずかな企業年金を基盤に、程ほど貯金を取り崩しながら、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を開始した。
          

          
  
  
年金生活を始めた当初、私は平素の買物に関しては、自主的に専任者と家内に宣誓したりした。

そして私は独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後も独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。

       
こうした根底には、定年前の私は数多くの人たちと同様に多忙なサラリーマン時代であり、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたのである。

私は定年後した直後として、このペースを崩したくなく、平素の買物専任者を自主宣言したのであった。

そして少なくとも家内は、年金生活の今でも料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
       

私たち夫婦は幸運にも大病することなく今日に至っているが、
やはり歯の老化だけは避けられず、それぞれ幾たびか歯科医院で治療を受けたりしてきた。

こうした中で、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて何とか克服してきたので、
糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、ひたすら歩くことが多くなっている。
       
       

私の日常の午後の大半は居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。

そして定年後の年金生活の単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしている。

ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。

或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。


       
こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。

私たち夫婦は、子供に恵まれなかった為か、新婚時代から幾たびか旅路を重ねてきた。

現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

そして私たちは、意欲と体力のあるうちに行きたい所があれば、
という思いで国内の各地を遊学してきた。

こうした中で、私たちは観光ホテルなどに滞在して、周辺の山里、遊歩道、街並みの中をひたすら歩き、
その地の情景を観ながら風土、文化を教示されて、遊学したりしてきた。
       

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

たまたま定年後にブログの世界を知り、パソコンの故障、国内旅行で自宅を不在した以外は、
10年過ぎた今でも、毎日一通はつたない投稿文を重ねてきたりしている。

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。        
                            

年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。

こうした年金生活を私の60代の10年間を過ごし、
つたない私の長い人生の航路の中、何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
              

私は昨年の9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、
総務省の公表に寄れば、日本の70歳以上の方は2383万人で、総人口の19%近くの長寿社会を迎えている今日、
古来稀(まれ)なり・・は死語だよねぇ、と微苦笑を重ねたりした。、

しかしながら70代となれば、殆ど方は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。

私は何かとプラス思考の単細胞であるので、
年金が減少、医療費の高騰、諸物価は不安定、何かと将来に不安となる中で、
ひとすら歩き、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保つことが肝要、と思ったりしている。

そして私の父は42歳の若さで病死され、母は77歳の『喜寿』の祝いの後、病死されたが、
私は秘かに男性の健康平均寿命の71歳を超え、やがて男性の平均寿命と称せられる80歳まで、
認知症に遭遇せずに、たとえ歩く状態がノロマになっても、駅前までの1キロぐらいの路を自力で買い物に行きたい、
と念願したりしている。

もとより、こうしたことは自助努力も必要であるが、天上の神々の采配に寄ることであり、
定年退職するまで敗残者のような半生を歩んきた為か、先苦後楽の人生航路と感じている私に、
果たして・・と微苦笑したりしてきた。

そして70歳以降の人生は、体力の衰え実感させられる中、
『生きがい』、『気力』あるいは『意欲』があれば、晩年期は、その人なりに充実した人生になる、
と思いながら、微笑んだりしてきた。
              

しかしながら私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

やがて私は70代以上の方で自助努力も肝要であるが、
幸運に恵まれ健康寿命を保った70代以上の方は、選ばれた方かしら、と思いを重ねたりしている。
       

我が家は無念ながら金庫がなく、新築した36年前より、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、私たち夫婦は重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。

そして年金生活を始めてからは、どちらかがボケたり、死去することも恐れ、
銀行、郵便局で100万円の出し入れをする時は、お互いに確認したりしてきた。

或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
或いは年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
体力の衰えた高齢者の私でも、一家の主(あるじ)の責務と確信を深めて、
家内のボディーガード兼お供、そして荷物持ちで、共に出かけたりしてきた。

こうした中で、我が家はふたりで一人前だよねぇ、と私は家内に言ったりしている。
       
          

このように私たち夫婦は、ささやかながら安楽な年金生活を続けている今、
いずれは私か家内か大病となり、やがてどちらかが『おひとりさま』となるので、
私たち夫婦としては、今が人生最良の時期かしら、と思ったりしている。

しかしながらこればかりは天上の神々の采配に基づく範疇なので、
日々を大切に過ごせばよい、と深く思ったりしている。

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