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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界でも、出逢い、別れがあると、この人生の喜びと愛惜を深く重ねて・・。

2015-03-24 15:41:44 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の70歳kを迎える身である。
ここ一が月、園児の卒園式、中学、高校生の卒業式、或いは社会人の入社式などのニュースを見たりし、
思いで深い人と別れて、新たな旅たちをされる人たちから、感動させられることが多かった・・。

私も民間の中小業に35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎えたが、
この間は人事異動などで、もとより数多く人とめぐり逢う中で、
上司、同僚、後輩など盛んに交流を重ねたりしてきた。

やがて私は定年後は多々の理由で年金生活を始めて、
次第に疎遠になり、年賀状だけを交わすだけが大半となっている。

或いは一部の人たちと、年に一度ぐらい居酒屋で会ったり、
会社のOB懇親会がある時は、必ず出席して、懐かしき人と談笑を繰り返してきた。

古来より誰しもが長き人生を過ごす中、人との出逢い、別れがあると学んできたが、
改めて年金生活を過ごす中、実感を深めて、愛惜を重ねてきた・・。
       

こうした中で、私は定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。        

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
        
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
  
やがて幾つかのブログサイトを彷徨(さまよ)いながらも、
パソコンの故障、国内旅行をしている以外は、毎日一通はつたない投稿文を重ねてきたりしている。
       

そして私が現在加入している【gooブログ】であり、
一時は他のブログサイトに加入して投稿を中止したことがあったが、10年は過ぎてきた。

私は年金生活をしていると、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
         
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                                                                   

こうした中で、ブログの投稿文を10年を過ぎた中に於いて、
ブログ上で出逢い、やがてコメント上で心の交流を盛んに重ねても、
ふとしたことで疎遠になり、別れとなる場合もある・・。

私がブログを初めてまもない2004年〈平成16年〉の12月の時、
ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入している中、
確か一カ月後に、九州の北部にお住まいの60歳前後と思われる奥方と
投稿文に於いてコメントをお互いにしたりした。

その後、2年ぐらい高校生の交換日記のように、殆ど毎日コメント欄で心の交流を重ねた。

こうした中で、この奥方が一枚の写真を添付し、散策する時に何かと魅せられている小花のひとつです、
と投稿文に掲載されていた。

私は恥ずかしながら無知であったので、ネットで検索したら、
『オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)』と明記されていたので、
命名された植物学者は、余りにも文学性の感性が欠落している、と思い苦笑した。

そして『瑠璃唐草』、『天人唐草』、『星の瞳』とも名づけられていたので、
この奥方に、『星の瞳』に瞬時魅せられました、と私はコメントしたりした。
           
           ☆過ぎし2008年3月、私が近くに流れている野川の川べりで、偶然に『星の瞳』にめぐり逢い撮った一葉☆

   
こうした淡き心の交流を2年半していたが、ご主人様がご病気となり、入退院をされる中、
奥方の投稿文も途絶え、やがて私たちの交流も途絶えがちとなり、
まもなく加入している【簡単gooホームページ】自体が閉鎖となり、そして交流も終えてしまった。

このような私にとっては、貴重な思いを秘めているので、
『星の瞳』を通して、この奥方は、私の年金生活を始めて不安な心情の中、心おだやかに過ごせたので、
女神のような人と私は思っている・・。

そして、その後に私は春先に散策したりする時、『星の瞳』を見かけたりすると、
あの奥方はどのように過ごされているのかしら、と思ったりし早や7年が過ぎている。
          


或いは数多くのブログの投稿文がある世界の中で、たまたま投稿文を読ませて頂く中、
瞬時に魅了される諸兄諸姉の投稿文があったりした。

日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
                      

私のブログサイトの左側の『ブックマーク』に於いて、
ご当人様のご承諾も得ずに、掲載させて頂く、と明記して掲げているが、
このお方が投稿するたびに、必ず私が愛読してきたサイトである。

そして諸兄諸姉のサイトに関しては、一部のお方とのコメント上で交流を除き、
熱烈な隠れキリシタンのように秘かに私は、愛読者のひとりとなっている。
                     
             
私がブログを書き始めて、丸10年が過ぎて、早や11年生であるが、
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
その上に、数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、改めて感謝している。

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