夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の我が家でも、2月度の月次決算を終えて、やがて微苦笑を重ねて・・。

2015-03-02 15:25:53 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
 

昨日の午前中、天気情報をテレビで視聴していたら、
朝の6時は4度、昼下がりは8度前後、夜の6時は8度前後で、小雨が降る寒い一日となります、
と報じていた。

こうした後、『小雨の降り続け日ですので、買物はやめて、2月の家計簿・・締めましょうか?』
と家内は私は言ったりした。

『結構ですね・・』
と平素の買物専任者の私は、責務から解放された為か、
若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。

もとより我が家は企業の月次決算と違い、年金などの収入もほぼ決まっているが、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者となったので、
今回の2月より私と家内との間で厚生年金は一部移動したが、合算すれば大勢に影響はないので、
微苦笑したりしてきた。

そして2月度の電話料金、ネットの関連費、電気、ガスなどは銀行引き落とし、新聞代も支払ってきた。

或いは3月2日までの国民健康保険料、家内の介護保険料、そして固定資産税も忘れてはいけないと思いながら、
2月月末の28日に郵便局で振込をしたりしてきた。
       
   

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、多々の理由で年金生活をし、
現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、やがて65歳の高齢者入門が許された時から、
ボケてはいけない、と家の中でも明るく大きな声で家内と会話することが多くなっている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ10年を過ごしてきた・・。

そして我が家は、日常は買い物したレシートなどを、
家内が一週間に一度ぐらいノートに簡単に集計している程度であり、
月末を過ぎた数日後に、私たち夫婦は家計簿の月次決算をしたりしてきた。
                                  

昨日の午前中のひととき、家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトのエクセルを活用して、入力したりした。

そして2月は厚生年金、企業年金などの収入の項目、そして郵便局の個人年金を入力した上、
やがて銀行、郵便局、信託銀行などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の資産と収支別明細表を作成したりした・・。

やがて2月の家計簿の月次決算を終え、
連動させた計算で2015〈平成25〉年度の1月度~2月度までの通期決算も終えてしまい、
日本で一番早い決算かしら、と私は苦笑したりした。

結果として2月度は、2か月分の年金の収入があったりしたが、我が家は赤字となってしまい、
こうしたことは衣服費の増加、そして過ぎし9日より紋別~サロマ湖~網走の旅を7泊8日で遊学してきた結果であり、
意欲と体力のあるうちに、行きたい所に行ければ良い、と私たち夫婦の想いであったので、
お互いに微苦笑したりした。
             

私たち夫婦は年金生活をして11年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り残額は減るばかりとなっている。
                 

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。

そして私はつたないサラリーマン時代の軌跡であったので、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの年収、そして退職金などは、遥かに及ぶことなく、遠い存在である。

その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
                


2004年(平成16年)の秋に定年退職し、年金生活を始めた直後、私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした時、ある銀行の窓口で私の退職金を引き出した時、支店長から応接間に招待され、
支店長から『一時払い終身保険』を私たち夫婦に説明して頂ながら、勧誘させられたりした。

しかし10年間の運用利回りが良いと言われても、長期に及び資金が固定されてしまうので、
魅力は感じることなく、対象外とした。

この直後、支店長から3分の2はある投資信託で高い金利、残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、
と勧誘するように助言されたりした。
そして支店長が自分もしていますよ、と自身の投資額と金利の推移表のカードを
私たち夫婦に見せて、先月は5万少し・・と提示して、微笑みながら勧誘した。

しかし私たち夫婦は、もとより金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などした。

私は小心者のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思ったりした。

そして、貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
                    

こうした私たち夫婦の根底には、バブル期の終了まじかに、投資信託に失敗したことがあったことが主因であった。
バブル期、私は現役のサラリーマンであり、同僚たちが盛んに株の売買で、高揚していた。

そして私は基本的な私たちの生活資金として、この当時は預貯金は1000万に到達していない上、
小心者の為に株のハイリターン、ハイリスクは避けて、ボーナスを頂くたびに定期貯金に加算したりしていた。

やがてある証券会社より、投資信託の勧誘のパンフレットが郵送され、
何かしら四半期毎に8%~12%の利回りがあった、と直近の四半期実績推移表が添付していた。

こうした中で、私は天下のXX証券が、世界中の資金を運用するプロの集団だから、と信頼して、
取りあえず100万円だけ、我が家は投資した。

やがて一年過ぎた頃、結果として元本の100万円の消えて、精算は85万円にお詫び状が付いていた。
そして我が家は少なくとも15万円も損失したので、これ以来どのような証券会社より勧誘が来ても、
無視をしたりしてきた。
       

我が家は国債を二千万円足らずを購入しているが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。

このように我が家は預貯金に関しては、元本保証プラスわずかな金利主義となっている。

確か年金生活を始めた翌年の2005年(平成17年)頃に、
外資のシティバンクの新聞に《・・金融資産1億円の方に・・》と掲載していた。

私はこっそりと読んだりしたが、金融資産と住宅の敷地の固定資産評価額を加算したら1億円は超えるが、
とても金融資産1億円は・・と項垂(うなだ)れたりした。
                 

このように拙(つたな)い年金生活をしてきたが、
確実に増えているのは、現役サラリーマンの時は苦楽の激しかった時が過ぎ、
年金生活の中で、家内と共に過ごしてきた平穏な生活の中に於いて、日常生活のささやかな想いでの数々である。

こうした中で、デジカメで季節の移ろう情景を撮った写真は、記憶の数々のかたみであり、
或いはブログの日々の思いの投稿文であり、ときおり過ぎ去り日々に愛惜を重ねたりしてきた。

或いは私たち夫婦は、国内旅行を幾たびか重ねてきたので、旅先の情景、こぼれ話を
のちの想いとなったりしている。

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