夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

毎年『春分の日』の日は、私たち夫婦は長兄宅に行き、やがてお墓参りを重ねて・・。

2015-03-21 16:07:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京都の世田谷区と狛江市の隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた築後37年の一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、毎年『春分の日』の日は、私たち夫婦は私の生家の実家となっている長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例ようになっている。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、この日の『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。
       

今朝、曇り空の中、9時20分過ぎに長兄宅に行き、
いつもように長兄夫婦と一時間ばかり談笑したりした。

こうした中で、今年の誕生日を迎えと長兄は76歳、義姉は69歳となり、
私も71歳、家内は66歳を迎えることとなるので、
お互いに無理しないで過ごしましょう、と語り合ったりした。

やがて私たち夫婦も長兄宅を辞した後、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩5分ぐらいにあるお寺まで、
お互いに運動不足もあるので、路線バスの利便性に頼らず、片道20分ばかり道を歩いたれした。

いつものように山門から私たち夫婦は入り、
        

寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり程広く、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。
               
       私の生家は室町時代から代々続いていた農家で、父まもなく祖父が亡くなった私の小学3年まで継続されたが、
       その後はやむなく転業して今日に至っている。
       こうした関係から、右側は徳川時代の後期までのお墓となり、これ以降は左側に添付したお墓で、
       私たちはいつものように二つのお墓参りをしている。

この後、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが永眠しているお墓の墓石を水で清め、
途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。

こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、言葉づかいが想いだされる・・。

そして生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

まもなく淡い陽差しの中、お線香の煙が芳香を残して、
澄み切った空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。


やがて寺を辞した後、現実の身過ぎ世過ぎの生活に帰った。
       

今回はホームセンターで台所の備品、洗面用の石鹸、洗濯用の洗剤、柔軟剤などを
多めに買い求めに、一キロばかり歩き、買い求めた。
そして配達依頼をして、帰宅したのは午後1時過ぎであった。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする