私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身である。
過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、私は大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしていたが、やがてはかなくも敗退した。
そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
苦手な理工系のコンピュータの専門学校のソフト科に1年間ばかり学んだりした。
やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
知人のご尽力もあり、何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。
まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、裏方の商品、情報、経理、営業を配属され、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
しかしながら最後の5年半はリストラ烈風の中、CD、DVDなどの音楽商品を扱う物流会社に出向となり、
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は都心の本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感が増しながら、都落ちの無念さを感じたりした。
そして遠い勤務地に通勤し、やがて半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、
と自身を叱咤激励しながら奮戦している中、出向先の会社も大幅なリストラが実施されたりした。
或いは私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風が加速され、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。
そして、私は出向身分であったので、何かと烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は敗残者のようなサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
そして新聞、本、ブログなどで多くのお方の半生期を読んだりすると、何かしら自慢史が多く、
つたない私は、程遠い世界であったと苦笑したりする
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、ささやかに年金生活を始めた・・。
そして厚生年金、わずかな企業年金を基盤に、程ほど貯金を取り崩しながら、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を開始した。
年金生活を始めた当初、私は平素の買物に関しては、自主的に専任者と家内に宣誓したりした。
そして私は独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
その後も独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
こうした根底には、定年前の私は数多くの人たちと同様に多忙なサラリーマン時代であり、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたのである。
私は定年後した直後として、このペースを崩したくなく、平素の買物専任者を自主宣言したのであった。
そして少なくとも家内は、年金生活の今でも料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
私の日常の午後の大半は居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。
或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。
このような年金生活を過ごして11年生になったが、
日常の心の友ひとつには、時候と挨拶用語となってきた・・。
たとえば3月には、早春、浅春、春色、春分、春暖・・などの時候がある。
そして挨拶の用語には、
◎寒さも緩み
◎春まだ浅いこの頃
◎暑さ寒さも彼岸までと申し
◎一雨ごと暖かさにもう春はそこまで
◎ようやく春めきなごやかなる季節に
◎春眠あかつきを覚えずの季節
◎小川の水もぬるみ
このような用語が、私は限りなく信愛している。
たとえデジタルの世界がどのように進化しても、私の日常の基軸は変わらないなぁ、
と微笑んだりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村
過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、私は大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしていたが、やがてはかなくも敗退した。
そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
苦手な理工系のコンピュータの専門学校のソフト科に1年間ばかり学んだりした。
やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
知人のご尽力もあり、何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。
まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、裏方の商品、情報、経理、営業を配属され、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
しかしながら最後の5年半はリストラ烈風の中、CD、DVDなどの音楽商品を扱う物流会社に出向となり、
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は都心の本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感が増しながら、都落ちの無念さを感じたりした。
そして遠い勤務地に通勤し、やがて半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、
と自身を叱咤激励しながら奮戦している中、出向先の会社も大幅なリストラが実施されたりした。
或いは私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風が加速され、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。
そして、私は出向身分であったので、何かと烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は敗残者のようなサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
そして新聞、本、ブログなどで多くのお方の半生期を読んだりすると、何かしら自慢史が多く、
つたない私は、程遠い世界であったと苦笑したりする
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、ささやかに年金生活を始めた・・。
そして厚生年金、わずかな企業年金を基盤に、程ほど貯金を取り崩しながら、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を開始した。
年金生活を始めた当初、私は平素の買物に関しては、自主的に専任者と家内に宣誓したりした。
そして私は独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
その後も独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
こうした根底には、定年前の私は数多くの人たちと同様に多忙なサラリーマン時代であり、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたのである。
私は定年後した直後として、このペースを崩したくなく、平素の買物専任者を自主宣言したのであった。
そして少なくとも家内は、年金生活の今でも料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
私の日常の午後の大半は居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。
或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。
このような年金生活を過ごして11年生になったが、
日常の心の友ひとつには、時候と挨拶用語となってきた・・。
たとえば3月には、早春、浅春、春色、春分、春暖・・などの時候がある。
そして挨拶の用語には、
◎寒さも緩み
◎春まだ浅いこの頃
◎暑さ寒さも彼岸までと申し
◎一雨ごと暖かさにもう春はそこまで
◎ようやく春めきなごやかなる季節に
◎春眠あかつきを覚えずの季節
◎小川の水もぬるみ
このような用語が、私は限りなく信愛している。
たとえデジタルの世界がどのように進化しても、私の日常の基軸は変わらないなぁ、
と微笑んだりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村