夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

桜花(さくらばな)を求めて、東京郊外に住む私は、散策すれば・・。

2015-03-25 16:05:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
平素の買物専任者として、家内から依頼された品をスーパー、専門店などで買物の責務を終えた後、
自宅の周辺3キロ範囲の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしている。

そして季節のうつろいを享受したりしているが、その上に何よりも認知症は避けたくて、
殆ど毎日のように歩いている。

一昨日の23日、東京都心で染井吉野(ソメイヨシノ)が開花し、
平年より3日早く、昨年より2日早い『桜咲く』季節が到来いたしました、
とテレビのニュースで報じていた。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
私の住む地域は、平年は3月下旬から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、平年の習わしとなってきた。

しかしながら今年の冬は、三寒四温が激しく、10日ぐらい遅いかしらと感じたりしてきた。

畏(おそ)れ多くも天皇陛下、皇后陛下さまのお住まいの都心の中心部に、染井吉野(ソメイヨシノ)が咲き始めたと知り、
私の住む地域は、まだかしらと思い深めて、
昨日の午前中のひととき、自宅の近くに流れている野川の遊歩道を散策した・・。
       

たまたま上流に向かって私は歩いたりしたが、この野川の遊歩道の多くは桜並木が多いので、
ここ10数年、桜花(さくらばな)を私は愛(め)でてきた所でもある。

やがて桜並木を歩いて、見上げたりしても蕾(つぼみ)が大きく膨(ふく)らむ状態であり、
一週間ぐらい待てば、三分咲きになるかしら、と感じたりした。

そして上流に向い、100メートルぐらい歩いた時、前方にピンクの色合いが見えたので、
足早に近寄ったりした・・。
       

そして感謝しながら、愛(いと)しき桜花(さくらばな)をアップして撮ったりした。
       

この後、周辺の染井吉野(ソメイヨシノ)は大きな蕾(つぼみ)なのに、
この桜は早咲きとして名高い大島桜(オオシマザクラ)の親戚かしら、と思いながら微苦笑したりした。


本日の午前中のひととき、私は野川の遊歩道を下流に向かって散策した・・。
       

しかしながら桜並木の中を歩いて、見上げたりしても蕾(つぼみ)が大きく膨(ふく)らむ状態であり、
少し落胆をしたりした。
       

やがて5分ぐらい歩くと、白い桜花(さくらばな)が見えて、立ち止まったりした。
       

ときおり風が吹く中、健気(けなげ)に咲いているよねぇ、と私は褒め称えた・・。
そして記念に写真一葉ねぇ、とデジカメを構えたが、風に揺られていた。
       

この白い桜花(さくらばな)も早咲きとして名高い大島桜(オオシマザクラ)の親戚であり、
やはり私の住む地域の染井吉野(ソメイヨシノ)は、あと一週間ぐらいお待ち下さい、といったような風情であった。

やがて帰路に向かうと、華やかなピンクの色合いが遠くから観え、
私は近寄ったりすると、花桃(はなもも)の樹と見えた。
       

そして華やかな若き女性のようだ、と思しながら記念に撮ったりした。
       

やがて桃(もも)の花は、女の子が全国的に祝賀される『桃の節句』は、
もとより3月上旬なので、何かと人生の歩みが遅かった私と似ている、と微苦笑しながら見惚(みと)れたりした。


この後、帰宅に向かう遊歩道の片隅に、ひっそりと咲いている草花に足を止めた。
       

私は民間会社を35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた。

何かしら慎(つつ)ましい年金生活を過ごしにあたって、
人生信条は『清く貧しく美しく』とし、日常生活を過ごす目標として『野に咲く花のように』とした。
          
『野に咲く花のように』の発想の語源は、
古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私は40歳の初めに、夏季休暇で家内と共に旅先で、実感させられ、まもなく私なりに命名した。

海辺のリゾートホテルに滞在していた私たち夫婦は、
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、支配人から家内が誘われ、
私も末席としてお供した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、多額な借入となったが、私は何かと単細胞の性格で、
何かに夢中になると、あなたしか視(み)えないような熱中となることが多く、
その上に若さの勢いとして、家屋の中で茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
家内が免許状の昇進と共に、礼金も重なったりし、こうしたことは暗黙のような約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。
         
そして無知な私でも、リゾートホテルの庭園にある茶室は、
掛け軸、花入、茶花も簡素で、素朴な茶碗で抹茶を頂いたりしたが、感銘を受けたりした。

やがて茶室から庭園に出た私たち夫婦は、その後に私は家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に言ったりしたので、家内は微笑んでいた・・。
       

私はこの1985年〈昭和60年〉の夏の時節以来、
人生のささえる確かな言葉として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしてきた。

このような『野に咲く花のように』を思い浮かべ、やがて自宅に足早に向かった。

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コメント (4)
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