私は東京の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々理由で、その直後から年金生活をして、早や11年生になっている。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。
今朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして私は何かと私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
生の戒(いまし)めとして、心の中で呟(つぶや)いている。
本日もいつものように向っていると、
そして深く心の中で読んだりした後、
何かと気弱な癖に、我執、自己顕示欲が強い私は、苦笑させられてしまった・・。
私は世の中で著名な『相田みつを』氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親と、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。
そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあったりした。
そして私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な書体で書かれ、
この日以来、私はこのお方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたのである。
やがて2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、まもなくブログの世界を知り、
パソコンの故障、国内旅行をしている以外は、毎日一通はつたない投稿文を重ねてきたりしている。
こうした中、私が加入している【gooブログ】のサイトは、
2008年(平成20年)の頃は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら散文らしき文を綴り投稿文としていた。
私は年金生活をしていると、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中のたった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。
このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像されて、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。
その後、2010〈平成22〉年の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
私は2008〈平成20〉年の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたが、
投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、ふたたび本加入させて頂いた。
そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
2年前の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行したりしてきた。
こうした中で、つたない私の投稿文に於いて、気楽に綴ったのが上位になると戸惑い、
真剣勝負のように綴ったのが評価されず、下位となり落胆したりする時もあったりしてきた。
やがて私が60代の時は、訪問者数が毎日600人前後が多く、私は微笑んだりしてきた。
しかしながら私が昨年の9月に70歳になると、加入している70代の方が少ない為か、
訪問客が減少し、私は苦笑したりしてきた・・。
平素の私は、ご近所の奥さんたちから、御歳よりお若く、謙虚で明朗活発な方、と褒めたたえられているが、
もとよりオセイジであり、私の日頃の言動はともすれば自己顕示欲もあり、
あとで反省したりしているが、忘れた頃に幾たびも繰り返すことが、若き青年時代の頃からあったりした。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
裏返しのような反動心があり、ときおり自己顕示欲が増して、平常心から程遠いことをする時もある。
たとえば確固たる専門知識のない癖に、少しばかり知っていることを断言したりする時もあったりした。
年金生活をしている今でも、ときおりは自己顕示欲が露呈して、
つたないブログの投稿文なのに、ランキングが上位になれば、と思ったり、
齢ばかり重ねた70歳の私は、幾つになったら人知れず純粋な言動ができるの、と反省ばかりしている。
そして怪我は治(なお)るが、性格は直(なお)らないなぁ、と苦笑した後、項垂(うなだ)れている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々理由で、その直後から年金生活をして、早や11年生になっている。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。
今朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして私は何かと私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
生の戒(いまし)めとして、心の中で呟(つぶや)いている。
本日もいつものように向っていると、
そして深く心の中で読んだりした後、
何かと気弱な癖に、我執、自己顕示欲が強い私は、苦笑させられてしまった・・。
私は世の中で著名な『相田みつを』氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親と、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。
そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあったりした。
そして私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な書体で書かれ、
この日以来、私はこのお方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたのである。
やがて2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、まもなくブログの世界を知り、
パソコンの故障、国内旅行をしている以外は、毎日一通はつたない投稿文を重ねてきたりしている。
こうした中、私が加入している【gooブログ】のサイトは、
2008年(平成20年)の頃は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら散文らしき文を綴り投稿文としていた。
私は年金生活をしていると、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中のたった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。
このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像されて、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。
その後、2010〈平成22〉年の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
私は2008〈平成20〉年の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたが、
投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、ふたたび本加入させて頂いた。
そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
2年前の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行したりしてきた。
こうした中で、つたない私の投稿文に於いて、気楽に綴ったのが上位になると戸惑い、
真剣勝負のように綴ったのが評価されず、下位となり落胆したりする時もあったりしてきた。
やがて私が60代の時は、訪問者数が毎日600人前後が多く、私は微笑んだりしてきた。
しかしながら私が昨年の9月に70歳になると、加入している70代の方が少ない為か、
訪問客が減少し、私は苦笑したりしてきた・・。
平素の私は、ご近所の奥さんたちから、御歳よりお若く、謙虚で明朗活発な方、と褒めたたえられているが、
もとよりオセイジであり、私の日頃の言動はともすれば自己顕示欲もあり、
あとで反省したりしているが、忘れた頃に幾たびも繰り返すことが、若き青年時代の頃からあったりした。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
裏返しのような反動心があり、ときおり自己顕示欲が増して、平常心から程遠いことをする時もある。
たとえば確固たる専門知識のない癖に、少しばかり知っていることを断言したりする時もあったりした。
年金生活をしている今でも、ときおりは自己顕示欲が露呈して、
つたないブログの投稿文なのに、ランキングが上位になれば、と思ったり、
齢ばかり重ねた70歳の私は、幾つになったら人知れず純粋な言動ができるの、と反省ばかりしている。
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