私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の高齢者の70歳の身であるが、
昨夜、ネットを彷徨(さまよ)っている中で、
【 B型思考に学ぶ 】と見出しされた記事を見つめた・・。
そして私は、亡くなった両親から受け継いだのは血液型としてはB型であり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心に負けて、クリックしてしまった。
何かしらこの記事は、雑誌の『DIME』の専用サイトの『@DIME』であり、
『【B型思考に学ぶ】なぜ、政界、スポーツ界、芸能界でB型が目立つのか? 』
と記事の最初に掲げられていた。
そして掲載された記事は、一昨年の2013年11月13日と明記されていたが、
血液型は一生変わらないもと伝えられているので、さして古くはない、と思いながら精読した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/09/ee35c4dd3e3a99d87fe9a0b5a6924c5c.jpg)
無断であるが、この記事の大半を転載させて頂く。
《・・そもそも日本の血液型研究の原点は……と調べると、戦前の日本軍に行き着いた。
大正時代から、より高い戦闘集団を作り上げるために、兵士と血液型の相関関係を研究していたのだ。
その結果、昭和に入ると世界にも類を見ない「血液型編成部隊」が誕生していた。
それによると、「快活で社交的とされるB型の班長に、意志強固で精神力のあるO型の班員の班」
「班長も班員も全員、温厚で慎重とされるA型の班」など、
血液型によって班構成がなされていた。
日本軍の大陸進出が始まると、研究の余裕もなくなり、血液型部隊は解体されてしまったという。
そんな歴史を知ったうえでリサーチしてみると、スポーツ界のトップ選手はB型だらけということが判明。
特に世界に進出して結果を出す選手、野球界では野茂英雄やイチロー、水泳の北島康介、ゴルフの藍ちゃん(宮里藍)、
卓球の愛ちゃん(福原愛)、テニスのクルム伊達公子、なでしこジャパンの新キャプテン・宮間あや、フィギュアスケートの浅田真央など……。
「マイペース、ハマった時に強い、あきらめる時の潔さなど、まさにB型的。
そして、ドジで、ちょっとエッチで周囲から愛されるキャラというのもB型の真骨頂です。」
そう話すのは、人材コンサルタント、作家として活躍中の常見陽平さんだ。
自身もB型だという常見さんの分析によると、根底には「空気を読まない」ことがあるという。
「読めないんじゃなくて、あえて読まないんです」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/02/631d7ec5b9bfb8ae37fc11aee47dffb3.jpg)
一方、放送作家で新しいコミュニケーションに関する著作の多い田中イデアさん(B型)は、
「B型の人間も空気は読みます」という。
ただ、その目的は、読み取った空気に沿うことではない。
「空気を読んで、新たに作って、壊そうとすることが大事。
そうすることで、驚きやギャップが生まれて、
その結果、他の人には作れない笑いが生まれ、場を盛り上げることができるんです」
二人が言うB型像は共通している。
常識や慣習による「空気」から自分を解放して、新しさを創り出し、周囲の人間をを魅了するのだ。
●B型力を身につけて人生を楽しく生きる
●不調、逆境の時こそ自分が主演と信じる
★結論
[B型思考]の基本素養
①マイルールを大事にする。
②自分なりの工夫で努力を楽しむ。
③弱点をさらけだす。
④他人の評価より自分の満足。
⑤小さなことでも真剣勝負する。
⑥ひとつのことにハマってみる。
⑦ハマった自分を堂々と宣言する。
⑧悩みぬいて飽きる。
⑨部下や上司には積極的に声をかける。
⑩頼みの綱は自分自身。・・》
このような記事を読みながら、私は幾たびか微苦笑をしてしまった・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/8b/608a786b0e0d14ec7cf24e0009509c9d.jpg)
私は今回の記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
何かしら素肌を視られたように恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。
そして何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、と苦笑してしまった。
年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。
そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界にに熱中した・・。
そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。
こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
やがて1989年〈昭和64年〉に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は民間会社の情報畑で奮闘していた時代であった。
この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。
その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。
この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。
そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。
そして、脚本家として橋本 忍(はしもと・しのぶ)さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーン、そしてセルジオ・レオーネの両氏に夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。
この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a3/37c33a83094cb37a94924ab326744458.jpg)
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/51/d9d8920e6460257d53dd80bbc680f32a.jpg)
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦(こ)がれて時もあった。
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。
恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。
そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d2/224aca822c9f01cb5168b5e980a5a56d.jpg)
余談であるが、家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生する。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
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昨夜、ネットを彷徨(さまよ)っている中で、
【 B型思考に学ぶ 】と見出しされた記事を見つめた・・。
そして私は、亡くなった両親から受け継いだのは血液型としてはB型であり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心に負けて、クリックしてしまった。
何かしらこの記事は、雑誌の『DIME』の専用サイトの『@DIME』であり、
『【B型思考に学ぶ】なぜ、政界、スポーツ界、芸能界でB型が目立つのか? 』
と記事の最初に掲げられていた。
そして掲載された記事は、一昨年の2013年11月13日と明記されていたが、
血液型は一生変わらないもと伝えられているので、さして古くはない、と思いながら精読した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/09/ee35c4dd3e3a99d87fe9a0b5a6924c5c.jpg)
無断であるが、この記事の大半を転載させて頂く。
《・・そもそも日本の血液型研究の原点は……と調べると、戦前の日本軍に行き着いた。
大正時代から、より高い戦闘集団を作り上げるために、兵士と血液型の相関関係を研究していたのだ。
その結果、昭和に入ると世界にも類を見ない「血液型編成部隊」が誕生していた。
それによると、「快活で社交的とされるB型の班長に、意志強固で精神力のあるO型の班員の班」
「班長も班員も全員、温厚で慎重とされるA型の班」など、
血液型によって班構成がなされていた。
日本軍の大陸進出が始まると、研究の余裕もなくなり、血液型部隊は解体されてしまったという。
そんな歴史を知ったうえでリサーチしてみると、スポーツ界のトップ選手はB型だらけということが判明。
特に世界に進出して結果を出す選手、野球界では野茂英雄やイチロー、水泳の北島康介、ゴルフの藍ちゃん(宮里藍)、
卓球の愛ちゃん(福原愛)、テニスのクルム伊達公子、なでしこジャパンの新キャプテン・宮間あや、フィギュアスケートの浅田真央など……。
「マイペース、ハマった時に強い、あきらめる時の潔さなど、まさにB型的。
そして、ドジで、ちょっとエッチで周囲から愛されるキャラというのもB型の真骨頂です。」
そう話すのは、人材コンサルタント、作家として活躍中の常見陽平さんだ。
自身もB型だという常見さんの分析によると、根底には「空気を読まない」ことがあるという。
「読めないんじゃなくて、あえて読まないんです」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/02/631d7ec5b9bfb8ae37fc11aee47dffb3.jpg)
一方、放送作家で新しいコミュニケーションに関する著作の多い田中イデアさん(B型)は、
「B型の人間も空気は読みます」という。
ただ、その目的は、読み取った空気に沿うことではない。
「空気を読んで、新たに作って、壊そうとすることが大事。
そうすることで、驚きやギャップが生まれて、
その結果、他の人には作れない笑いが生まれ、場を盛り上げることができるんです」
二人が言うB型像は共通している。
常識や慣習による「空気」から自分を解放して、新しさを創り出し、周囲の人間をを魅了するのだ。
●B型力を身につけて人生を楽しく生きる
●不調、逆境の時こそ自分が主演と信じる
★結論
[B型思考]の基本素養
①マイルールを大事にする。
②自分なりの工夫で努力を楽しむ。
③弱点をさらけだす。
④他人の評価より自分の満足。
⑤小さなことでも真剣勝負する。
⑥ひとつのことにハマってみる。
⑦ハマった自分を堂々と宣言する。
⑧悩みぬいて飽きる。
⑨部下や上司には積極的に声をかける。
⑩頼みの綱は自分自身。・・》
このような記事を読みながら、私は幾たびか微苦笑をしてしまった・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/8b/608a786b0e0d14ec7cf24e0009509c9d.jpg)
私は今回の記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
何かしら素肌を視られたように恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。
そして何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、と苦笑してしまった。
年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。
そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/94/ac72f1cf5a0bd0bbd2f64a581c249ed4.jpg)
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界にに熱中した・・。
そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。
こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
やがて1989年〈昭和64年〉に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は民間会社の情報畑で奮闘していた時代であった。
この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。
その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。
この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。
そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/05/47af35ab792e28949e78b47aee65b967.jpg)
映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。
そして、脚本家として橋本 忍(はしもと・しのぶ)さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーン、そしてセルジオ・レオーネの両氏に夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。
この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a3/37c33a83094cb37a94924ab326744458.jpg)
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/51/d9d8920e6460257d53dd80bbc680f32a.jpg)
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/d8/19404a25aaa7a97d987f08309bd2f5e0.jpg)
私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦(こ)がれて時もあった。
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。
恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。
そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。
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余談であるが、家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生する。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
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