夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

血液型B型の私、遅ればせながら『B型思考』を学び、微苦笑を重ねて・・。

2015-03-28 07:25:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の高齢者の70歳の身であるが、
昨夜、ネットを彷徨(さまよ)っている中で、
【 B型思考に学ぶ 】と見出しされた記事を見つめた・・。

そして私は、亡くなった両親から受け継いだのは血液型としてはB型であり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心に負けて、クリックしてしまった。   

何かしらこの記事は、雑誌の『DIME』の専用サイトの『@DIME』であり、
『【B型思考に学ぶ】なぜ、政界、スポーツ界、芸能界でB型が目立つのか? 』
と記事の最初に掲げられていた。

そして掲載された記事は、一昨年の2013年11月13日と明記されていたが、
血液型は一生変わらないもと伝えられているので、さして古くはない、と思いながら精読した。
       

無断であるが、この記事の大半を転載させて頂く。

《・・そもそも日本の血液型研究の原点は……と調べると、戦前の日本軍に行き着いた。
大正時代から、より高い戦闘集団を作り上げるために、兵士と血液型の相関関係を研究していたのだ。

その結果、昭和に入ると世界にも類を見ない「血液型編成部隊」が誕生していた。
それによると、「快活で社交的とされるB型の班長に、意志強固で精神力のあるO型の班員の班」
「班長も班員も全員、温厚で慎重とされるA型の班」など、
血液型によって班構成がなされていた。

日本軍の大陸進出が始まると、研究の余裕もなくなり、血液型部隊は解体されてしまったという。

そんな歴史を知ったうえでリサーチしてみると、スポーツ界のトップ選手はB型だらけということが判明。
特に世界に進出して結果を出す選手、野球界では野茂英雄やイチロー、水泳の北島康介、ゴルフの藍ちゃん(宮里藍)、
卓球の愛ちゃん(福原愛)、テニスのクルム伊達公子、なでしこジャパンの新キャプテン・宮間あや、フィギュアスケートの浅田真央など……。

「マイペース、ハマった時に強い、あきらめる時の潔さなど、まさにB型的。
そして、ドジで、ちょっとエッチで周囲から愛されるキャラというのもB型の真骨頂です。」

そう話すのは、人材コンサルタント、作家として活躍中の常見陽平さんだ。
自身もB型だという常見さんの分析によると、根底には「空気を読まない」ことがあるという。

「読めないんじゃなくて、あえて読まないんです」
       

一方、放送作家で新しいコミュニケーションに関する著作の多い田中イデアさん(B型)は、
「B型の人間も空気は読みます」という。
ただ、その目的は、読み取った空気に沿うことではない。

「空気を読んで、新たに作って、壊そうとすることが大事。
そうすることで、驚きやギャップが生まれて、
その結果、他の人には作れない笑いが生まれ、場を盛り上げることができるんです」

二人が言うB型像は共通している。
常識や慣習による「空気」から自分を解放して、新しさを創り出し、周囲の人間をを魅了するのだ。


●B型力を身につけて人生を楽しく生きる
●不調、逆境の時こそ自分が主演と信じる

★結論

[B型思考]の基本素養
①マイルールを大事にする。
②自分なりの工夫で努力を楽しむ。
③弱点をさらけだす。
④他人の評価より自分の満足。
⑤小さなことでも真剣勝負する。
⑥ひとつのことにハマってみる。
⑦ハマった自分を堂々と宣言する。
⑧悩みぬいて飽きる。
⑨部下や上司には積極的に声をかける。
⑩頼みの綱は自分自身。・・》

このような記事を読みながら、私は幾たびか微苦笑をしてしまった・・。
       
          
私は今回の記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
何かしら素肌を視られたように恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。

そして何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、と苦笑してしまった。

年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。
そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
              
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
                 
                     
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界にに熱中した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。


やがて1989年〈昭和64年〉に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は民間会社の情報畑で奮闘していた時代であった。

この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。


そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
                           

映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として橋本 忍(はしもと・しのぶ)さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーン、そしてセルジオ・レオーネの両氏に夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
          

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
       
       
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
       
                                         
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
                 

私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦(こ)がれて時もあった。

         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。
       

余談であるが、家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生する。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする