夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

昭和生まれ、平成生まれの言動の差異、昭和19年生まれの私は、微苦笑しながら多々教示されて・・。

2018-07-25 15:34:48 | ささやかな古稀からの思い

先程、ソニー生命保険が2018年5月8日、「平成生まれ・昭和生まれの生活意識調査」の結果を公表されたのを、
たまたま私は読んだりした。

何かしら全国の平成生まれの男女(20歳~28歳)と
昭和生まれの男女(52歳~59歳) を対象にした調査で、
両時代生まれの人たちの間に横たわる、価値観や人生に対する考え方の違いを明らかにしている。

こうした中で、私が一番興味を深めたのは、『昭和生まれからみた平成生まれ』、
そして『平成生まれからみた昭和生まれ』の言動のおける調査の結果であった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
こうした関係で息子、娘にいなく、まして孫もいないので、何かと世間の疎(うと)くなっている。

このような私でも、好奇心ばかり強く、どのようなことですか、と思いながら、
精読してしまった。

無断ながら、この部分を転載させて頂く。


             

《・・・【昭和生まれからみた平成生まれ・平成生まれからみた昭和生まれ】

それでは、昭和生まれは平成生まれを、
平成生まれは昭和生まれをどのように感じているのでしょうか。


まず、昭和生まれ(500名)に、“この人は平成生まれだな”と感じる言動を聞いたところ、
1位は「すごい、感動などの意味で『ヤバイ』と言う」(45.6%)でした。

昭和生まれにとっての“ヤバイ”は、
“不都合だ”、“危ない”など、もっぱらネガティブなシチュエーションで使う言葉だったため、
美味しい料理や、感動的なシーンを前に、“ヤバイ!”を連発する平成生まれに、
戸惑っているかもしれません。

以降、2位は「固定電話を持っていない」(40.2%)、
3位は「驚いたとき『マジっすか』と言う」(36.4%)、
4位「ニュースは新聞よりネットで見る」(31.0%)、
5位「上司にタメ口で話す」(28.0%)となりました。 (図28)
 

(図28)



              

また、平成生まれ(500名)に、
“この人は昭和生まれだな”と感じる言動を聞いたところ、
1位「あたり前田のクラッカーと言う」(41.8%)、
2位「カップルのことをアベックと言う」(38.6%)、
3位「『D』の発音を『デー』と言う」(36.6%)、
4位「飲み会の席で頭にネクタイを巻く」(31.2%)、
5位「『ザギン』(銀座のこと)など業界用語を使う」(30.4%)となりました。

昭和生まれにとっては、聞き慣れたセリフでも、
平成生まれからは、一発で“昭和生まれ認定”となるようです。


そのほか、「小指を立てて『彼女』、親指を立てて『彼氏』と言う」(6位)や
「ズボンのチャックを『社会の窓』と言う」(7位)、
「ショックなときに『ガーン』『ガビーン』と言う」(11位)、
「親指と小指を立てて『電話』と言う」(15位)も、
“この人は昭和生まれだな”と思われるセリフ・しぐさで上位15位以内にランクインしました。 (図29)

 

(図29)

 


             

このように掲載されて、私は微苦笑しながら、過ごしてきた社会状況が違うからょ、

と深く感じたりした。

私は昭和19年(1944年)の秋に生を受け、
やがて昭和が終わった昭和64年1月(1989年)まで『昭和の時代』を過ごしてきたので、
もとより数多くの愛惜もある。


私たち夫婦が結婚したのは1976年(昭和51年)の春であるが、
この当時は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、

そして家族全員で、明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。

そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
            
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。

そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などの労働力の安価の国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
そして殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。

             

やがて私は確か8年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

このように私は漠然としながら、感じ受け止めてきた・・。

             

平成の時代を短的に表現すれば、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化、
このような状況であれば、何かと心に余裕はなく、言葉、しぐさも乱れている、
とブラス思考の私でも、ときおり憂いたりする時もある。

コメント
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