夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには『おひとりさま』の私は、猛暑の中、我が家の冷気の中で、とりとめなく過ごして・・。

2018-07-23 16:04:46 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
雑木の多い中で、古ぼけた戸建てに住み、

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に戸建てに住み、
私より14歳年配で87歳の身となり、デイ・サービスに通った成果で、市の福祉課が再審査を得て、
『要介護2』から『要支援2』と回復して認定されたりしてきた。

そして長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除に専念したり、
或いは整形外科の通院、ときには買い物の付き添いなどしている。

たまたま今回、家内の担当となり、過ぎし7月19日より8泊9日予定で、家内の母宅に行き、
この間は、我が家で私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活となっている。

              

過ぎし6月29日に気象庁より梅雨明けと宣言されて以来、
35度前後の熱い日が続き、何かと熱さに苦手な私は戸惑ってきた。

こうした中、何かと気弱な私は熱中症になって、救急車で病院に搬送されて、
気が付いたら病院のベットだった・・こうしたことは困苦するので、
せめて我が家の室内でエアコンの威力に頼り、冷風と冷気に甘えたりして、
水分補修として冷茶、アイスコーヒーなどを飲んだりしている。

しかしながら何かと愚図の私でも、『おひとりさま』の生活となると、少しばかり慌ただしくなる時もある。

              

朝、目覚めた後は、やがて台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』、『燃えないゴミ』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりしている。

やがて朝食は、家内は炊き上げた十六穀米の入った白米のご飯を、
半合単位にラップに包んで、冷蔵庫の片隅に保存してくれているので、
私は電子レンジで温めて、頂いたりしている。

こうした中で、私の朝食の前菜は、
新タマネギと生ワカメとあえたりした常食をミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

この後は、電子レンジで温めた十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、しらす干し、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、サバの味噌煮の缶詰としてきた。


昼食は、ヨーグルトを箱の2分の1を食べた後は、大きめのトマトを2個ばかり、
そしてアンパンをひとつ食べている。

その後は、台所でかぼそい声で鼻歌を唄いながら、大皿、小皿、小鉢、茶碗、グラスなどが散乱していたので、
恥ずかしながら一日一回だけ、皿洗いの水遊びをした。

              

午後の時間は、いつものようにブログの投稿文を送信した後、
私が愛読している御方のブログの投稿文を読ませて頂いたりし、
或いは本を読んだり、音楽が聴きたくなった時は、音楽棚からDVDを取り出して、
ライブ盤などはテレビを通して、視聴したりしてきた。

たまたま7月20日の朝、NHKのニュースを視聴する中、脚本家・橋本忍(はしもと・しのぶ)さんが、
死去されたことを知り、哀悼を重ねたりした。

私は1955年(昭和30年)の小学4年生の頃から、独りで映画館に通ったりした映画少年であり、
高校生活も相変わらず映画館に通い鑑賞し、
映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、付随しているシナリオを読んだりしていた。

こうした中で、脚本家の橋本忍さんの『切腹』を脚色された作品
(原作・滝口康彦、監督・小林正樹、1962年)を観て、圧倒的に感銘させられ、
やがて東京オリンピックが開催された大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。

こうした中で、橋本忍さんは映画の脚本家としては、突出した御方であり、
やがて私は映画青年にも敗退してしまった身であるが、今でも敬愛している御方である。

このような深情のある私は、村井淳志・著作の『脚本家・橋本忍の世界』(集英社新書、2005年)、
橋本忍・著作の『複眼の映像  ~ 私と黒澤明 ~』(文藝春秋、2006年 ==>文春文庫、2010年)、
この二冊を本棚から引き抜き、ここ3日再読したりしている。


                           

やがて夜の8時前後に入浴した後、家内が温めて食べられる料理を数多く準備してくれているのを、
夕食として食べたりしている。

そして健康の源(みなもと)は、程々の食物から形成されると学んだりしてきたので、
前菜として、ニンジンを千切りにして、電子レンジで少し温めて、
ゴマドレッシングに少しお醤油をかけて、食べている。

そして家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
私がスーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、
食べているのが実態となっている。

こうした中で、話し相手がいない私は、ウィスキーを濃い水割りを数杯を呑みながら、
殆ど映画棚から、その日に観たい作品をテレビを通して、視聴したりしてきた。

やはり今回は、私は脚本家の橋本忍さん御逝去に伴い、遺(のこ)された数多くの作品を
居間にある映画棚のビデオテープ、DVDをテレビを通して、鑑賞したりした。

たとえば『羅生門』(1950年、黒澤明・監督)、『生きる』(1952年、黒澤明・監督)、
『七人の侍』(1954年、黒澤明・監督)、『切腹』(1962年、小林正樹・監督)、
『上意討ち 拝領妻始末』(1967年、小林正樹・監督)を鑑賞したりしてきた。

そして今宵からは、『砂の器』(1974年、野村芳太郎監督)、『八甲田山』(1977年、森谷司郎監督)などを
改めて鑑賞する予定である。

              

洗濯に関しては、洗濯から乾燥できるまでの洗濯機に頼り、

せめて下着、タオル、パジャマぐらいはしょう、と当初は私は思ったした・・。

しかしながら家内より、着替えはたくさんあるでしょう、私が帰ってからします、
と強い口調で私は言われてしまい、助かるよぅ・・と私は即答したりしてしまった・・。

このような洗濯機の機能も知らずに、今日まで至っている軟弱な私となっている。

掃除に関しては、多少の埃(ほこり)がたまっても・・とグウダラな心情で、
二日に一回・・電気掃除機を曳いて、掃除したくらいである。


平素の我が家では、私は何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、殆ど毎日過ごしている。

今回、たまたま『おひとりさま』になった為か、
ご近所の奥様、ご主人などと長話になることが多くなったりしている。
       
このように私は手抜きの『おひとりさま』の生活
をしているが、
家内は料理、掃除、洗濯などの家事は優等生であり、私などはいつまでたっても初心者以下あり、
もとより落第生だよなぁ・・と微苦笑を重ねたりしている。

コメント
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