先程、ときおり愛読しているネットの【ファイナンシャルフィールド】の『暮らし』を見ている中、
『 匿名で運営しているブログやSNS。
本名をばらされたら賠償請求できる? 』と見出しを見たりした。
私はブログを投稿して早や14年目になる年金生活の73歳の身であるが、
好奇心に負けて、精読してしまった。
この記事は、【ファイナンシャルフィールド】の編集部が、弁護士の石垣美帆(いしがき・みほ)さんに監修を得て、
まとめられた記事で、【ファイナンシャルフィールド】に7月27日に配信され、無断ながら転載をさせて頂く。
《・・ハンドルネームを使って、ブログやSNSを利用している人もいますよね。
実名でないからこそ、自分の作品をネット上で公開したり、
思ったことを自由に発信できる面もあるのではないでしょうか。
しかし、閲覧者の中には、有名なブロガーや人気のSNS利用者に対して、
中傷したり、個人情報を明かそうとしたりする人もいます。
もし、匿名で活動している人が、ネット上で本名をばらされたら、
相手に賠償請求することは可能なのでしょうか。
人気主婦ブロガーのMさんの例を見てみましょう。
カリスマブロガーのMさん。ある日ネットで本名をばらされて・・・。
Mさんは、小学生の子どもをもつ専業主婦です。
子どもが学校に行っている間は、暇を持て余していたため、
趣味の料理をテーマにブログをはじめました。
本名を出すのは気が引けたため、ハンドルネームを使っています。
何の気なしにはじめたブログでしたが、口コミで人気が広がり、
ついにはブログの広告収入で、月数十万円稼ぐほどに。
先日は出版社から料理本発売の話が来たところです。
誰もがうらやむシンデレラストーリーを実現したMさんですが、
その成功を妬む人たちも現れました。
ネットの掲示板では、悪口を言われることもしばしば。
Mさんは、極力そのようなものは、見ないようにして過ごしました。
しかし、ある日のことです。
小学校の保護者会で、あるママ友が声をかけてきました。
「Mさん、ネットで本名晒されてるけど、大丈夫?」
Mさんは、ぞっとしました。
家に帰ってパソコンを開くと、ブログのコメント欄に、
Mさんの本名と年齢、住んでいる地名が、書き込まれていました。
慌てて削除したものの、すでに他の掲示板やSNSで、拡散されてしまったようです。
今までも批判的なコメントはありましたが、
本名で悪口を言われるのは、精神的なダメージが比になりません。
Mさんは、本名をばらした人に対して、強い憤りを感じました。
相手の身元を明らかにして、損害賠償を請求するつもりです。
*物語はフィクションです。
匿名で運営しているブログやSNS。本名をばらした人に対して賠償請求は可能なのでしょうか。
東京桜橋法律事務所の石垣美帆弁護士にお伺いしました。
このようなケースで損害賠償を請求することは、可能だと思います。
自己の情報をコントルールする権利があると考えられるため、
プライバシーの侵害として、請求できるのではないでしょうか。
賠償請求の金額に関しては、ケースバイケースであるため、状況によって異なります。
匿名で活動している人の本名をばらした人に対して、損害賠償請求することは可能
Mさんのようなケースでは、損害賠償請求することが、可能だということが分かりました。
ネット上だから問題ないと軽い気持ちで、人の個人情報を書き込んだり、
誹謗中傷したりしてはいけません。
みんなもやっていると高をくくっていると、逮捕されたり、賠償請求されることもあります。
また、Mさんのように、誰にも知られず、ネット上で活動したいという人は、
プライバシーの管理に気を付けましょう。
もし被害に遭ってしまったら、弁護士に相談することも検討してみてください。・・》
T注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めたりした・・。
やがて年金生活をしていると、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
そして原則として少なくとも国内旅行で不在、或いはパソコンが故障しない限り、殆ど毎日投稿してきたので、
早や丸13年半となっている。
我が家に於いてインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったりした。
そして年金生活を始めて間もない時、ネットの世界にも殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。
こうした根底には、自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』という発信名で投稿をはじめた。
タイトル名の『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』に於いて、~団塊世代のひとりとして~、と副題をしたのは、
私が中途入社した25歳の時、職場で机を並んだのは、大学の新卒の人が多く、
彼らは団塊世代の人たちが多く、その後30年ぐらいは、それぞれの時代の苦楽を共にした心情が根底にあったりした。
この当時、インターネットのWebの世界に未熟な私は、
ブログの知識のないまま戸惑いながら投稿をはじめ、日記投稿欄の書き込み、送信に、
この当時は幾たびかエラーなどが発生し、初心者として技量もなく、何度も書き直し投稿をしたりした。
この間、初めてコメントを頂いた時、喜び小躍(こおど)りしたりしていたが、
まもなく賞金ランキングのような形式が公示され、私のブログの思いの主旨と違うので、投稿をやめた。
そして私は他ブログ・サイトを探し、ブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】を知り、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、入会したり、
或いはブログ・サイトの【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入し、
『年金青年のたわむれ記』とタイトルを掲げて、無知なりに1年近く政治、経済など難題を投稿した。
この当時の【gooブログ】は、入会している会員数は確か100万人であり、
ブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】は、こじんまりとした10万人ぐらいの会員数であった。
私は個人的な幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
お読み頂いた方に、リアルな私を判明しずらい会員数の少ない【goo簡単ホームページ】を選定した。
私はブログの投稿文を綴ることの内容は、誰しも光と影を有しているので、
つたない私でも、ときには書くことのためらう影の内容を秘めたりしている。
たとえば幼児の時は、何かといじけたことが多く、
やがて小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であったりした。
そして私は若き20代の前半に文学青年の真似事した時期、新人賞に応募し、
最終候補6作品の寸前で3回ばかり落選し、敗退したりした。
或いは母は生まれてまもなく里子にだされて、やがて成人して、
里子先で結婚されて、やがて私たち兄妹の母親となったりした・・。
または次兄が自営業の資金繰りに失敗し、自室で睡眠薬を多量に飲み自裁した。
この当時の私は住宅ローン返済で苦慮していたので、
次兄から私を資金に関しては無力と感じとられて、結果的には私としては何の役にも立てずにいた・・など、
私なりに心に秘めてきた屈折した出来事を、余すことないように投稿してきた。
こうした出来事のことは、小心者の私としては、匿名であることで初めて発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。
このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。
小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションンとして読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いに於いては同じかしら、と思ったりしている。
このような理由も重ねて、私はここ11年半近く、発信名は『夢逢人』と命名したりした。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたように恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
この間、幾たびかブログサイトに彷徨(さまよい)い2010年(平成22年)の7月から、
この【gooブログ】に於いて統合して、やがて7年半前の頃に『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』と
タイトルを改名した。
やがて、いつまでも年金青年は違和感がありと思い、
『夢逢人かりそめ草紙』とタイトルを短縮して、現在に至っている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、殆ど毎日投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
こうした中、確か4年半前の頃、電子メールで、XXさんと思いますが、後輩のXXです、
と私が35年近く勤めていた音楽業界のあるレコード会社の後輩のひとりから、
丁重なお便りを頂いた。
何かしら私のブログの投稿文を偶然に読み、
リアルの私本人が判明し、会社時代の最近更新された名簿録から、電子メールのアドレスが解り、
私宛に後輩本人の近況を含めて、お便りを送信された、と私は知ったりした。
そして私は匿名の投稿文でも、ありのままの真情の投稿文を重ねると、
リアルな本人は判明してしまった、と少しばかり微苦笑させられたりした・・。
たとえば勤めていた音楽業界のレコード会社の各社に於いて、
私の定年後に、ある他社のレコード会社の社長が自裁されたり、
或いは他業界からあるレコード会社の買収案が新聞紙上でニュースになった時、
無力な私でも、いたたまれない心情となり、私は幾つかの投稿文を発信したりしてきた。
こうした私の投稿文をお読み頂ければ、現役サラリーマン時代の先輩、同僚、後輩、
そして知人は、あの人だ、とリアルの私本人は判明してしまう。
或いは私の現役時代の最後の5年間は、リストラ烈風の中、
私は出向となり、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社に勤めた私が、
この当時の真情をくまなく投稿文に綴ってきたので、
やはりリアルの私本人は、一部の方に判明してしまう、と思われたりした。
こうした中で、私は定年後の年賀状を発信する時、私の近況を書く中で、
《・・このような身過ぎ世過ぎの年金生活をして、あふれた思いをブログの投稿文を重ねたりし、
生きがいのひとつとなっています。・・》
このような意味合いの文を11年ばかり綴たりしてきた。
このような状況であるので、先輩、同僚、そして知人の中の人たちの一部に於いて、
私のブログの投稿文を偶然に読み、リアルな私を判明し、微苦笑されていると思われる。
そして私にあえて告知せずに、静観して、お読み頂いている、と私は思ったりしている。
私は今年の9月に誕生日を迎えると、恥ずかしながら74歳を迎える。
そして私は残された人生の歳月は、自助努力も肝要であるが、もとより神様か仏(ほとけ)さまの采配に寄る。
こうした中で、私はブログに関しては匿名であろうと、リアルの私本人が判明しょうが、
これまでと同様に、脚色もないありのままの思い、そして真情を投稿文に認(したた)めようと、
早や4半年が過ぎて、微苦笑を重ねたりしている。
今回の記事、カリスマブロガーのMさんの状況に、私は苦笑しながら震撼させられたりした・・・。