夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

妻は夫と死別しても離別しても動じない、高齢者の男性の私は、驚きながら学び、やがて安堵を重ねて・・。

2018-07-11 14:55:58 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中で、
【「亭主元気で留守が良い」の科学的な根拠 】と見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の9月に誕生日を迎えると74歳の身となるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごして、早や14年生となっている。

このような私たち夫婦でも、晩秋期に向けて、どちらかが大病、介護・要、死別とか難題があるので、
記事を精読してしまった。

この記事の原文は、
東京大学高齢社会総合研究機構・特任講師の村山 洋史さんが、
『「つながり」と健康格差』(ポプラ新書)を上梓され、この一部を再編集し、
プレジデントオンライン】に2018年7月11日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・
夫を亡くしたシニア女性は、いきいきと暮らしているのに、
妻を亡くしたシニア男性は、幸福度が低い・・・。

最新の研究は、定年後の夫婦の意識が、男女であまりにも違うことを浮き彫りにしている。
たとえば60代以降の男性は、幸福度が上がるのに、女性の幸福度は下がる。

妻を亡くした夫の死亡リスクが、1.3倍に上がるのに、妻は不変。
こうした男女差の原因とは何か・・・。


【図表】男女別、年齢別での幸福度

■夫在宅ストレス症候群の証明

性別、年代別の幸福度をインターネットで調査した研究があります。
それによると、男性は40代で最も低く、それ以降、年代が高いほど幸福度の平均値は
徐々に高い傾向がありました。

40代は、一般的に中間管理職的な役割を担う時期であり、仕事の大変さなどが、大きく関係していそうです。
50代では、役目が変わったりして、その大変さが少し緩和されるために、幸福度が少しだけ高いのかもしれません。

60代以降は、定年退職して、それまでの仕事のストレスから解放されたので、幸福度が高いのでしょうか。
もしかすると、夢見た定年退職後の生活を実現している可能性もあります。


では、女性はどうでしょうか?
なんと、女性は、60代以降は年代が高いほど、それまでの年代と比べて、
幸福度が低い傾向にあったのです。

60代以降で幸福度が高くなる男性とは、正反対の傾向です。
まさに、主人在宅ストレス症候群を支持する結果といえそうです。


別の調査結果でも、同じような傾向が示されています。
全国の60~74歳の高齢前期の人を対象とした研究では、
夫が就労している女性は、就労していない、あるいは配偶者がいない女性に比べて
幸福感が高いという結果でした。

つまり、夫が仕事をしていない場合(定年退職している場合も含む)には、
妻の幸福感が低く、働いている場合には、高いということです。

            

■60歳で逆転する夫婦のパワーバランス

夫が就労している場合には、その分の稼ぎがあるから、
幸せでいられるという理由もあるかもしれません。

しかし、本人と配偶者の就労状況の組み合わせによって幸福感を比較してみると、
「妻本人も夫も就労」のいわゆるダブルインカムの状態よりも、
「妻本人は非就労で、夫は就労」の場合の方が、幸福感が高かったのです。

まさに、「亭主元気で留守が良い」が実証されているといってもよいでしょう。


一方、男性は、「自分が働いていようがいまいが、妻が働いていようがいまいが、妻がいれば幸せ」
という状況が見えました。

本人および配偶者の就労状況に関わらず、配偶者がいる男性は、
配偶者がいない男性よりも、幸福感が高いという結果だったのです。


夫婦のパワーバランスも気になるところです。

夫婦間でどちらの意見が通りやすいかを質問したところ、
50~59歳では、「いつも夫」と「だいたい夫」を合わせた、
夫の意見が通りやすいと回答している人の割合が多いのですが、
65~69歳では逆転し、妻の意見が通りやすいという割合が多くなっています。

これらの結果は、高齢期の入り口で経験する定年退職という一大ライフイベントが
夫婦関係に及ぼす影響を顕著に示しているといえます。

この時期には、夫婦は次に挙げるような変化を経験します。
            

■4つの変化が引き起こす深刻なギャップ

(1)生活や社会関係の変化

どの年代でも、その時に応じて幅広く社会関係を築くことができる女性に対して、
定年を迎えて高齢期に入った男性は、それまでの生活や人間関係が一変してしまいます。

その結果として、頼る相手が妻だけになり、その依存的な関係性が、夫婦の力関係を変えてしまいます。


一方で、女性はこれまで築いてきた生活が、
夫の定年退職によって崩されるかもしれないという危機感を抱きます。
これも夫婦間のギャップを生むことにつながります。


(2)収入の変化

家庭の稼ぎ手だった頃に比べると、一般的には定年退職後は、収入が減少してしまいます。
収入が減ることで、これまでとは暮らし方を変化させないといけない部分もあるでしょう。
また、男性は稼ぎ頭というポジションを失うことによって、家庭内での地位が変化しがちです。


(3)病気などによる体調の変化

年齢を重ねるに従い、様々な病気や障害を持つリスクは高まります。
親の介護が一段落しても、配偶者の介護の可能性が出始めるわけです。

男性の平均寿命は、女性に比べて短いことを考えると、
男性の方が早い時期に、大きな病気を患いがちです。


体調の悪化は、男性の妻への依存度を加速させ、
夫婦の勢力図を書き換えているのかもしれません。


(4)目標や価値観の不一致

子どもが小さい時期には、子育てを夫婦の共通の目標として、
一緒に頑張る、あるいは役割を分担することが可能です。

しかし、子どもが手を離れてからは、子育てのような夫婦の共通の目標を見つけにくいといわれます。


また、それに伴って夫婦で話し合う機会が少なくなってしまうと、
それぞれの価値観にずれが生じていることにも、気づきにくくなってしまいます。
            


■死別しても離別しても女性は動じない


婚姻の影響が男女によって、違うのではないかという予想もできます。

結婚している状態は、比較的分かりやすいのですが、
結婚していない(非婚)状態と一口にいっても、色々な状態が混ざっています。
一般的に、「未婚」(結婚したことがない)「死別」、「離別」を区別して考えます。


ここで紹介する研究は、40~79歳の約9万人の日本人男女のデータを用い、
婚姻状況が、その後の死亡率にどう影響するかを調べたものです。

婚姻状況は、調査した時点で結婚しているか(既婚)、過去に死別しているか(死別)、過去に離婚しているか(離別)、
これまで結婚したことがないか(未婚)を尋ねています。


まず、男性です。
最も死亡のリスクが高いのは、未婚者でした。
既婚者に比べ、死亡のリスクは約1.9倍です。

次に、死別者と離別者ですが、総死亡のリスクは、それぞれ約1.3倍と1.5倍であり、
未婚者に比べると低いものの、それでも死亡リスクが高くなっていました。


一方の女性でも、未婚者は最も死亡のリスクが高いという結果で、
既婚者に比べて、約1.5倍高くなっていました。


しかし、死別と離別を見てみると、男性とは、異なる傾向がありました。

死別と離別の死亡のリスクは、両方とも約1.0倍であり、結婚している人と同じレベルでした。
つまり、結婚していても、死別しても、離別しても、女性の将来の死亡率は、同じだということです。


ちなみに、配偶者の死後、残された方が後を追うように弱り、亡くなってしまう事象は、
「Widowhood effect」(未亡人効果)とも呼ばれ、世界中で広く知られています。


未亡人効果を含む、死別、離別の死亡率への影響が、
女性よりも男性で強いことを報告しているのは、日本のこの研究だけではありません。
実はメタ分析によっても報告されており、男女の違いは、世界共通のことなのです。


            

■生活力の差、ネットワーク力の差


死別、離別の死亡率への影響が、男女で異なる理由の第1は、生活力の差です。
女性は、たとえ死別、離別しても、家事など自分で生活をしていくスキルがあります。
配偶者がいなくなったとしても、そのスキル自体は変わりません。

一方で男性は、自分で生活するスキルがない場合が多く、死別、離別してしまうと、
生活が乱れ、食事や生活リズムといった生活の質が落ちてしまい、
不健康に陥ってしまった可能性があります。


第2に、少なくとも日本では、死別、離別した女性は、そういった男性に比べると
遺族年金をはじめ、様々な制度の保障を受ける機会が多くあります。

そういった経済的な保障を受けやすいという要素も、
死別、離別した女性の死亡率の低さに影響していると考えられます。


第3に、ソーシャルネットワークの男女差が挙げられます。
先にも触れたように、男性は、定年退職後に人間関係が、一気に希薄化してしまう傾向があります。

そんな中、頼みの綱である妻と別れてしまっては、周りの助けを得ることもできず、
実際の生活は、立ち行かなくなる危険があります。


加えて、気持ちが安らぐ存在である妻を失くした心理的ダメージは、かなりのものでしょう。
男性は、女性に比べて喪失経験のダメージを引きずりやすく、
うつの発症率が高まることが知られています。
これらの状況は、間違いなく健康に悪い影響をもたらします。
            

かたや女性は、友人とのつながりや地域を通じたつながりが比較的強く、
死別や離別によって女性のソーシャルネットワークの量自体は
あまり影響を受けないといわれています。

夫と別れた後も、変わらず人とのつながりを持てていることで、
必要な時にサポートを得られることも多く、また気晴らしや楽しみを見つけるチャンスも多いでしょう。
こういった特徴が、死別や離別のマイナスの影響を緩和しているのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

私は中小業の民間会社に35年近く奮闘して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして私は年金生活を始めて当初、平素の我が家の買物を担当する、と自主宣言をした。
こうした関係で、私は家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家として、
私は独りで歩いて最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている
買物メール老ボーイの身となったりした。

そして帰宅後、買物の責務を終えた後は、
やはり独りで自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりし、
このようなことが午前中、ほぼ毎日のように過ごしている。

こうした根底には、定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などの家事で、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
せめて午前中だけは、私は外出している。

この後の昼食も、お互いに制約することなく、自由食としてきた。

            

午後から夜の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            
こうした中、家内は相変わらず専業主婦の延長戦のように料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

ときおり、私は家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねてきた。

こうした中、平素は私は家の掃除、洗濯、料理は家内を頼り、
せめてながら朝食、夕食の時は、料理のできた台所から食卓のある居間まで料理を運ぶ老ボーイ、
食事後は食卓から洗い場のある台所まで、素早く運ぶ老ボーイとなっている。

このような日常生活を過ごしているが、私は亡き母の遺伝を素直に受け継いで、
恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりであり、家にいる時は家内に談笑を重ねている。


このような生活をしていると、夫在宅ストレス症候群などは、我が家では死語と思ったりしている。

                         


しかしながら、我が家でも定年退職後の年金生活を始めると、夫婦の力関係を歴然と変っている。

我が家の家内は長らく専業主婦してきたので、少なくとも掃除、洗濯、料理などの家事に関しても、
家庭内の達人である。

私はやはり掃除、洗濯、料理などの家事の全般は家内に依頼して、ときおり助力する程度である。

このような生活をしていると、何かしら決めることは、私は家内に従順となり、
私が現役サラリーマン時代と大きな変貌となり、独り微苦笑する時もある。

たとえば私たち夫婦の共通趣味は国内旅行であり、行きたい処の選定権は家内に優先権として、
日頃の感謝を浮かべて、そうだよねぇ・・と安易に私は妥協している。

そして何かと気弱な私は、家内の手の平に乗れば、何事も年金生活は安楽に過ごせる、
と微苦笑したりしている。

                  

私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、まもない時、
私は、いつの日にか私は、家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したりした。

こうした理由には、亡き母が生前に遺産などで困苦した時代もあり、
或いは親戚に当たる兄弟間で、相続で長らくもめて、やがて裁判までなった、
と私は聞いたりしていたからである。

このような私が亡くなった後、このようなことを避けたく、
水戸黄門様の紋章のような公正証書の遺言書を作成した次第である。


私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、

私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
 

こうした中で、家内には老朽化した我が家を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。

このように私は家内に言ったりしてきたが、今回の《・・死別しても離別しても女性は動じない・・》に関して。
私は驚きながら多々学び、これだったら私は、いつの日にかあの世に安心して行けるよねぇ、と私は安堵を重ねたりした。

                  

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で87歳の身となっている。

過ぎし年、私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間半を要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や13年半となっている・・。            
     
これ以来、家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行ったりしてきた。

やがて家内の母は、ここ3年は要介護の身となり、家内は家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活となっている。

いつの日にか私たち夫婦も、どちらかが片割れとなる『おひとりさま』になる時が来るので、

私としては『おひとりさま』の特別演習かしら、と思いながら過ごす時もある。
    
しかしながら、まさかの出来事で私は家内に先き立たれて、本当に『おひとりさま』になってしまった時は、
このことに関しては、このサイトに於いて幾たびも投稿しているので、今回は省略する。

今回の記事で、私は多々教示されたが、もとより定年後のセカンドライフは、
千人千色のように、それぞれ御夫婦は思惑を秘めながら、お過ごしされている、
と改めて思い馳せたりしている。

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