先程、ときおり愛読しているネットの【東洋経済オンライン】を見ている中で、
『 「優先席に座れて当然」と思う高齢者の勘違い 』と見出しを見たりした。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住む73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
そして私の生家も近くにあるので、私自身としては結婚前後の5年を除き、
この地域に住んで、早や68年が過ぎている。
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。
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こうした状況下で、ときおり路線バス、私鉄の京王線、小田急線、
或いは都心で懇親会、国内旅行の時はJRの中央線、山手線を利用したりしている。
このように路線バス、私鉄、JRの電車を活用してきた私は、
「優先席に座れて当然」と思う高齢者の勘違い、と見出しに、どのようなことですか、
と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏が、
現在は江口オフィス 代表取締役で、ご活躍されている。
こうした中で、若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった「上司と部下の常識・非常識」に続いて、
「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」についての寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に7月9日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・「優先席に座れて当然」と思う高齢者の勘違い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/03/c3329024458317fd4ab7955fafd303d9.jpg)
電車やバスなど、公共交通機関に乗ると、たいてい「優先席」がある。
お年寄り、妊婦などの方の「優先席」というステッカーが貼ってある。
これは「弱者への思いやり」ということで考えられたものらしい。
鉄道会社によっては、「優先座席」とか「専用席」、
なかには「おもいやりゾーン」と呼称しているところもある。
45年ほど前に国鉄(当時)が、シルバーシートの名称で東京、大阪を中心に導入したのが
はじまりだという。
確かに妊婦とか身体障害者、病気の人など弱者のための優先席はいいが、
年寄りというだけの理由で、座れるような優先席は要らないのではないかと思う。
■そこまでして、席に座りたいのか?
年寄りは、周囲から年寄りと言われ、そのように扱われると、老け込んでいくものだ。
まして、優先席に座って、自分ですすんで老人っぽく、年寄りっぽくする必要はあるまい。
そこには、老人としての毅然たる心意気もなければ、年長者としての誇りもない。
おおよそ、老人が無視され、年寄りが馬鹿にされるのは、誇りがないからだ。
「この頃の若者は、思いやりがなくて」などと、自分も若い頃、言われたような身勝手を、
さも、したり顔で言う。
そこまでして、席に座りたいのか。優先席に座りたいのか。
なんとも情けないとしか言いようがない。
過日、SNSに載っていたのが次のような話である。
間抜けな高齢者たちもいるもので、ハイキング帰りに、電車で座っている若者の前に立って、
その若者に聞こえよがしに「まったく、この頃の若い人たちは、思いやりとか、いたわりの心がないね」
「そうよ、そうよ」、「昔はね、譲ったものだな」などと話したりしていた。
そのようなことを言っていたら、その若者が
「あんたら、なに言ってるんだ。ハイキングの帰りだろ。
それだけの体力があるなら、立ってたっていいじゃん。
こっちとらは、これから仕事だよ。仕事に行くんだ。
オレたち若い連中の働きによって年金貰ってさ、あんたら暮らしているんだぜ。
ハイキングに行けるのも、オレたちのおかげなんだ。
けど、俺たちがあんたらのような歳になったら、年金があるかないか。
ハイキングなんか行けない。ちょっとはそのこと、考えろよ」と一喝、逆襲されたという。
当たり前だろう。
■立っていればちょうどいい運動になる
電車やバスのなかで立って、吊り革にぶら下がる。結構なことではないか。
立っていることは、健康のため、体力づくりのためにも役立つ。
揺れる。バランスを保とうとする。無意識のいい運動ではないか。
以前、あるベテランの落語家が、電車やバスの中で絶対に座らないどころか、
つま先で立ち続けると言っていた。
それを聞いて、なるほどと思った。
いつも、つま先で立ち続けているわけではないが、私もそれに倣い、
よほどの空席の時以外は、つり革をもって立つようにしている。
結構、いい運動になるし、車窓からの景色に四季の変化を感じて楽しい。
気の弱い老人や年寄りは、座席を譲られると座らないと申し訳ないと思って
座ってしまうかもしれないが、そこは同調圧力に負けてはいけない。
若者に席を譲られても、次のように応じればいい。
「ありがとう、でも今、こうやって運動しているんです。
大丈夫ですよ。お気持ち、ほんとうに感謝します」
こんなふうに丁寧に辞退すれば、相手も嫌な思いはしないだろう。
それが健康のため、体力づくりのため、自分のためだ。
なにも高いお金を払って、ジムや水泳に通ったり、時間をかけて歩き回ったり、
老人や年寄りで集まって、ハイキングなどに行く必要もない。
行ったって、はぐれたり、遭難して、人に迷惑をかけるのがオチなのだから。
この頃、若い女性、主婦たちの間で流行っていると聞く「ながら体操」や「ながら運動」をすればいい。
料理しながら、掃除しながら、身体をほぐして、つくっていくという、
それを老人や年寄りもやったらいい。
こういう日常の中で、体力づくりをすればいいのではないか。
高齢だから、という理由だけで優先席は要らない。
50歳を過ぎたら、本当に座らなければならないほど苦しくなったときに備え、
原則、電車やバスの席に座るべきではない。
座らない癖をつけよ。
それが自分のため、それが体力づくりのためだ。
そして、自分が座っている前に若者が、なにやら疲れた様子で不機嫌そうに立ったら、
すかさず立ち上がって席を譲ろうではないか。
立ち上がって、次のように言うのだ。
「どうぞ、お座りください。私たちがこうやって暮らしていけるのも、年金のおかげ。
その年金や医療費は、あなた方のような若い人たちが一生懸命働いてくださるから。
えぇえぇ、感謝してますよ。どうぞ座ってください。
そして、お疲れを取って十分に働いてください」
そう言って慇懃に話しながら、座席を譲るのだ。
そういう老人、年寄りが増えれば、若者は、かえって老人に敬意をもつようになるだろう。
■70歳や80歳くらいで老人ぶるな
それでも座りたい、優先席は老人のための席、年寄りが座るべき席であって、
若い者が優先席に座るのは、けしからんと思うなら、
首から大きなカードをぶら下げて、大きな文字で「私は65歳の高齢者です」とか、
「私は78歳の後期高齢者です」、あるいは「私は1936年生まれです」などと書いたらどうか。
それで優先席なり、一般座席の前に立ったらどうか。全力で老人アピールをすればいい。
「50、60はなたれ小僧、70、80働き盛り、90になって迎えがきたら、100まで待てと追い帰せ」
という言葉があるが、70歳を過ぎた、80歳になった、というだけで老人ぶったりすること自体、いただけない。
自分は年寄りである、と思っている人も、今一度思い直したほうがいいのではないだろうか。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は記事を読みながら、江口克彦さんはご年配に稀な気概のある御方だ、と微苦笑したりした。
私は電車の座席に於いては、一般席は9割、そして優先席は1割の車両が多いが、
完全に区別している男である。
私は初めて電車に乗ったのは、1951年(昭和26年)の小学一年生の時で、
父の妹が未婚当時、親戚のお宅に訪ねる時、私はこの叔母に引率されて、
電車に乗った体験がある。
こうした中で、空席が少し空いていたが、子供は座ってはダメ。大人の人が座る席ょ、
と私は叔母から言われて、学童は電車の中では立つこと、教えられた。
これ以来、私は学生時代まで、空席が多い場合に限り、座ることがあったが、
小学一年から大学を中退するまで、殆どつり革をしっかり握って、立っていた。
やがて社会人になって、空席があれば当然ながら座ったりしてきた。
しかしながら、乳児、幼児を連れた婦人、或いは御年配が近くにいると、
たとえ私は疲れていても、どうぞお座りして下さい、と明るい表情で席を譲ったりしてきた。
まもなく『優先席』の設置の時代が到来すると、
『優先席』に学生が座っていると、私は険悪感が増したりした。
やがて私は民間会社に35年近く勤めて定年退職になり、多々の理由で年金生活を始め。
この後、65歳の頃から体力の衰えを実感して、電車の中で空席があれば、座ったりしてきた。
しかしながら、一般席に座っている働いて下さる諸兄諸姉には、
席を譲ってもらおうなって、もとより論外で、つり革をしっかり握って、立っていた。
こうした根底には、私は確か8年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。
そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
このような深情を秘めた私は、一般席に座っている働いて下さる諸兄諸姉には、
少子高齢化の難題の中、何かと大変ですねぇ・・と無力ながら同情さえ深めたりしてきた。
或る日、私は一般席で70歳前後の5名の男女グループが、朝方の満員電車の中、
大声でも談笑しているのを、たまたま私は見かけたりした。
もとより働いて下さる諸兄諸姉には、出勤時である。
こうした70歳前後の男女グループは、心の節度がなく、
労害だねぇ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうして私は電車の車内の情景を65年近く見たりしてきたが、
一般席は学童を含めて学生は、空席がない限りチャカリと座るのが違和感があり、
働いて下さる諸兄諸姉、乳児、幼児を連れた御婦人が最優先であり、この後に老人が座る。
このような思いで過ごしてきた私は、今回の江口克彦さんの論説、大半は共感をさせられたりした。
余談ながら、確か一年前の頃、夕方の4時過ぎ、
私は一般席の中、つり革をしっかり握って、立っていた。
こうした中、たまたま私の前に座っていた若き30歳前後の女性から、
『どうぞ、お座り下さい』と私は言われたりした。
『私は若いですから、大丈夫ですょ・・お気遣いありがとう・・』
と私は若き30歳前後の女性に微笑みながら言ったりした。
やがて私は下車後、俺も年寄りになったなぁ・・と独り微苦笑したりした。