先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
『 老人はなぜ「怒り多く、欲深くなり、心を乱す」のか その原因は子にあり?
貝原益軒 養生訓 』
と題された見出しを見たりした・・。
今の世、老(おい)て子に養はるる人、わかき時より、
かへつていかり多く、慾(よく)ふかくなりて、子をせめ、
人をとがめて、晩節をたもたず、心をみだす人多し。
養生訓では、巻第八の前半に「養老」という題名をつけて、
老人の養い方や老人の振る舞いについて語っています。
そこでは27項目にわたり、老いに対する考え方を披露しています。
その一つは、こういうものです。
「いまの世は、老いて子に養われる人に、
若い時より怒りが多くなり、欲が深くなって、子をせめ、人をとがめて、
晩節の節度をたもつことができずに、心を乱す人が多い」(巻第八の5)
なかなか厳しい見方ですが、これに対する子どもの対応として、こう説いています。
「子は、そういうものだと思って、
父母が怒らないように、日頃から気をつかい、慎重になるべきである。
父母を怒らせるのは、子としては大いなる不孝となってしまう」(同)
この老いて乱れるというのは、ひとつには、
子に養われるというところに、起因しているのではないでしょうか。
以前にも紹介しましたが(6月30日号)、
養生訓の研究家として名高い立川昭二先生が、
「人生の幸福は、後半にあり」という益軒の慧眼について、
老いの豊かさを支えるのは、一に生活費、二に健康、三に生きがいであると補足しています。
老いても、生活費を自分で確保できることが、
実は心の平穏にとっては、重要なのかもしれません。
人生の後半を見事に生きた人物として立川先生が、
著書『足るを知る生き方』(講談社)で紹介しているのが
神沢杜口(かんざわとこう・1710~95)です。
益軒の晩年期に生まれた杜口は、益軒とは面識がなかったでしょうが、
その影響は強く感じられます。